午前八時。真理は新都心駅についていた。国道を徒歩でさかのぼり、別の駅から電車に乗ったのだ。人込みの方が安全、それは事実らしかったが、最初の通行人とすれ違うときは怖かった。
新都心中心部の町並み。オフィスビル群の外には、繁華街、商店街が網の目のように連なる。
わたしは手近なデパートに入った。サラリーマンや学生で混雑するファーストフード店。ここなら安心して朝食を取れるかも。
わたしはサンドイッチセットを頼んで、席についた。
涼平さんのことを思い返す。怪我をした上、どろどろに汚れた衣服で辺地に一人。加えて武器も有り金もわたしに渡してしまったのだ。無事なのだろうか。
「涼平は敬虔なクリスチャンだった」ふと、押し殺した声がした。「神に愛されるヤツは、早死にする」
わたしの前の席に男が座った。丸顔で生気の無い眼をした、ジージャン姿の少年。涼平さんを殺そうとした男。直人!「あなた!」
「鈍いな。最初の駅から尾行していたぞ」
「わたしを……どうするつもり?」背筋に冷たいものが走った。(新庄真理、おれはおまえなら殺せる……)脳裏に直人の声がこだまする。
「別に。ただ一緒に食事でも、とね」
うそ! 絶対裏があるよ、こいつ。直人はポテトフライ、つまりわたしのを勝手につまんでいたが、その先をわたしに向けた。
「涼平は戦士さ。おれとは違ってね。なにかを守るために死ぬ、それが当たり前にできる男だ。そいつが」皮肉たっぷりに、ささやく。「おまえなんかを守るためにね」
「あなたたちは、なにものなの? ジェイルバードってまさか」
「ああ、ジェイルバードは解散したよ。ボスの命令だ。『女一人を守れなくて、なにが組織だ。どうせ破滅するのなら、せめて人間らしく生きろ』って。まったくお人好しにもほどがあるよなあ」
ジェイルバード、『籠の鳥』。もちろん知っていた。隠語で『囚人』を意味するそれは、新興のヤングマフィアの名前なのだ。いまマスコミを騒がせている謎の組織。マフィアなんて言いながら、大がかりな愉快犯。数か月前連日テレビ報道されていたけど、やり口がすごい。きっかけは、旧都に巣食う暴力団相手の詐欺商法だった。
どぎついギャグの効いた詐欺。『南米からタイマーを輸入し、中東から冷しゃぶを仕入れて街でさばく』。暴力団相手に、拳銃ハジキではなくおもちゃのおはじき掴ませる。戦闘車両と見せかけて、電車の先頭車両を売る。手榴弾と思わせてそのニックネームのパイナップル売ると、まあめちゃくちゃやってたみたい。
強持ての暴力団相手にして、こんな馬鹿みたいな事件起こして金をむしり取って。もちろん暴力団のやくざたち大激怒なんだけど、ジェイルバードは姿を消した。それを機に東京では、組同士の大抗争が勃発してしまったのだ。めいわくな話だけど、痛快ではある。不景気でどんより停滞した世の中に、風穴空けてくれたよね。
でもそれが、わたしとなんのつながりが?
「ま、馬鹿な組織だけど」直人はふう、と息をつく。「ジェイルバードはボスが平和主義者だから、許してやってくれ。相手がドス使おうがハジキ使おうが、決して死人を出さないのが自慢だから」
「どうやって?」
「秘密。ボスは魔法使いなのさ」直人は真顔になった。「本題に戻るよ。おれたちは単なる愉快犯だった。なのにそれがいまではね、倒さねばならない黒幕が現れた。それが日本中央バイオニクスなんだ。そうなると、遊びとはいかなくなった」
「それでなんだ」
わたしは思い当たった。ドラゴンを生み出した会社、尊い生命の神秘を弄んだ存在。たしかに、許せない相手ではある。シザーズって、見た目は怪物でもふるまいは紳士だよ。ドラゴンを作った会社の大株主がわたしのお父さんなら、疎まれてしかたないな。
兵器を密造、なんてしていたのなら暴力団も付いていたわけだ。
「なんてことに巻き込まれたんだろうなあ」直人は長く息を付いた。「日中バイオは大組織でね。資金も情報網も人脈も強大だ。おれたちジェイルバードは気づいたときには、もう引き下がれなくなっていた。ばらばらに逃げたら、追いつめられて殺されるだけさ。涼平は、真理の家。新庄家をマークしていた。それでコンビニ店長なんてやってたのさ。真理、きみを店員にしたのはあいつの策略だよ。友人から誘われたろ? 新庄家の情報が欲しくてね」
「なんで?」
「涼平の任務は。新庄誠治の身分証を奪って、日中バイオに潜入する切符を手にすること。それが適わなければ、きみの家の資産を消し去ることだった」
「家?」
「きみの家に放火でもしていたということさ」
「涼平はそんなこと……」
わたしの言葉を直人は手で制した。「正直に言うとね。きみのことを甘やかされて育った、わがままなお嬢様と思っていたから。彼はやったろうな、他に手がなければ」
信じられない。というよりいまこの状況で、なにを信じたら良いのだろう。ふと、聞いてみる。「あの涼平さんが、親友にはとてもかなわないって、言っていたから。あなたのことでしょ」
「涼平が?」
「ナイフは銃よりも強いって、聞いたことある」
「まさか。単なる金属片を鋭く尖らせただけの武器が、指一本で瞬時に離れた敵を貫く、拳銃にかなうはずないだろ。戦争で歩兵は、銃で戦うだろ。剣で戦うなんていつの時代の話だよ」
「え? でも劇画とか小説では、至近距離ではナイフの方が強いとか、銃を撃つよりもナイフを投げるほうが速いとかってよくあるよ。映画でもたいてい拳銃持っているほうが負けるし」
「馬鹿馬鹿しい。たとえ組み合っていたって、ナイフをわざわざ力一杯突きつけるよりは、拳銃のトリガーを引く方が速い。弾が撃てない状況でも、拳銃はハンマー代わりになるしな。大抵のナイフの刃より拳銃の金属の方が硬いし。拳銃の早撃ちとナイフ投げなら、単に早さなら互角だが。ナイフでは致命傷になりにくいし射程も短い。しかも拳銃なら大抵何発も連発できるが、ナイフは投げたらそれっきりだ。これだけでも不利だし。仮に大勢を相手にするとしたら、もう優劣は明らかじゃないか」
「でもあなたは強いんでしょ。銃で襲われてもなんとかなる」
「ならないな。銃で襲われたら、死ぬしかないね」
「だったら、今度なにかあったらどうするの?」
「簡単さ。襲われなければいい」
「どうやって?」
「おまえってほんとうに馬鹿だな」直人は嘲笑的に息をついた。「そんな方法、あるわけないだろ」
「これからどうするのよう!」わたしは声を上げていた。どっちがバカよ! と、気付くとわたしは他のお客みんなに注目されていた。一瞬だったけど、気恥ずかしい。わたし馬鹿。
直人はさらりと答えた。「殺された二人、ケンジとナミを復旧する。幸い、耕は無事だったからな」
「復旧って?」
「彼らは人間じゃない。ケンジくんとナミさん、じゃないのさ。漢字で書くと『顕示』と『波』だ。それに『孝』」直人は携帯でその名前の漢字を見せてくれた。「コウは思考、知能。ケンジ、顕示は自我。ナミ、波は感情をつかさどる。三位一体で、一つの人格を構成する。感情と自我を持ち合わせる人工知能だ」
「そんなものが現実に?」
わたしは問い返した。人工知能なんて、まだまだ実用段階ではない。人間の脳の潜在能力は、コンピューターの数億倍あるって聞いたことある。
「ランバージャック、かれならできる。ちょっとした知り合いさ。ハジキもドスも俺より上だ。本名は知らない。会ったことはないからな。ハンドルネームが『ランバージャック』。十二歳かな。中学一年のはずだけど」
「そんな子が、そんなに強いの?」
「そいつは天才ハッカーなのさ。ハジキってのはそろばん、つまり数学で。ドスってのはDOS(ドライブオペシステム)、つまりパソコンの事だけどね。ま、きみにはデータを渡しておこう」
直人はメモリチップを一個、テーブルに置いた。携帯かパソコンで閲覧可能らしい。直人は唐突に席を立った。立ち去ろうとする。わたしは声を上げた。「あなた?」
「涼平から言われたろう、一人の方がなまじ安全だぜ。今日は暗くならないうちに、家に帰るんだな」
「家にって……」
「まさかおれについてくる、なんて言わないだろう? 他に手があるか。警察を頼る? 精神科行きが落ちだぜ。とにかく、帰れ。まったく危険が無いとは言わないがね。が、覚えておくことだ。きみは危険と同時に、力を手にした。故に責任と代償も付いて回る。自分だけでなく他人の運命も握る力だぞ」
「わたしに力なんて無いわよ!」
「真理、きみは強いはずだよ。おれなんかよりもね」直人は平易に言った。
なぜかおもわずドキり、とする。直人は続けた。「女の方が男より、心は強くできているのさ。進化の過程の悲しい現実だ。女は肉体的に非力だから、精神力の強い個体しか生き残れなかった。弱く見えるのは、女を虐待する男が多いせいさ。それを女は耐えている。男なんて、ちょっといじめられただけで発狂するものだぜ。少年期の精神年齢も女より2歳は低いしな。男はいつまでも子供、っていうだろ」
わたしはこのセリフに、直人に共感できるものを感じていた。変わっているけど、ほんとうは悪い人ではないのかも。が、次いで直人はこう言った。
「女の方が血を見るのに馴れてるしね。男なんて、ちんぴら同士の大喧嘩でもあそこまではまず、出血しないぜ。それを女は。一カ月に一回、よくもまあ」
「最低!」 わたしは思い切り、平手打ちを直人の顔面に決めた。直人はもろくもぶっころんだ。こいつやっぱりいかれてるよ! わたしは食べ掛けのモーニングセットを手に取ると、一人ファーストフード店を後にした。