今日は、あいにくの曇り空だった。午前六時、早朝。一面の明るい白い雲。東の空が紅く染まっている。数多くの様々な色彩のトイ・プレーンが、その空を華やかに彩っていた。

 ローカスト。いなごを意味する緑色のトイ・プレーンは、軽やかにタッチダウンを決めた。アスファルトの上をさっと滑走する。ローカストは大型の単葉機だ。胴体の下につけられた翼は長く広く、やや上を向いている。上反角のついた低翼機。

 そして滑走路わきのハンガーに向かい、他のトイ・プレーンと並んで止まる。ここの飛行場にはもう、百を超えるトイ・プレーンが集まっている。

 一典は薄茶色のコートに身を包んで、函館の外れにある飛行場に降り立った。ほとんど建物の無い、平らな広い草地が広がっている。ふだんはあまり混まないトイ・プレーン専用のパーキング。だけど今日はもう五千人以上も、カメラ片手の見物客でごったがえしている。

 ゴールデンウィークの日曜日。空の運動会が始まった。

 逢香さんと真理さんのペアは、先の春休みのうちに予選を勝ち抜いている。そして、出場資格を得たのだ。ぼくみたいな素人が参加できるなんて、不相応だけどね。

 プログラムはトライアスロンに似ている。芸術点を競うアクロバット、時間を競うエアレース。そして。模擬空中戦のドッグファイトの三つからなる。これらの総合点により、優勝者が決まるんだ。

 基本はエアレースなんだけど。函館を出発して、稚内、根室を経由して北海道を三角形に飛び、札幌がゴール。そして、函館、稚内と根室の上空ではアクロバットを演じなければならない。最後の札幌では、ドッグファイトを行って優勝者を決める。

 飛行経路と、途中の補給も重要なポイント。競技のどれに比重を置くかも。

 問題はこれら三つの競技をどれも、一つの機体で飛ばなければならないこと。乗り換えはできない。これが大きいんだよね。ひとつには機が途中で故障したらもう失格、ってのもあるけど。

 アクロバット向きの機体とエアレース向きの機体とでは、要求される性能が相反するんだ。

 アクロバットなら、必要なのはまず運動性。旋回の速さや軽快さ。とすると、一人乗りの軽量機が有利なんだけど。

 エアレースでは、なんといっても最大速度。とすると大型でパワーのある機体。それも、複座(二人乗り)のほうがいい。長い航路を一人で飛ぶのは大変だもんね。でもそうすると、運動性は犠牲になってしまう。

 ちなみに、ドッグファイトに関しては一概に言えない。軽快な水平格闘戦をするか、高速を生かして垂直一撃離脱するか戦法があるから。

 やっぱり、光ちゃんは強敵だなあ。彼女の機体「頼人」って仕様が特製だから運動性抜群で速度も高い。エンジンが後方にあるおかげで前方が開けて視界抜群だしね。ま、ぼくはできるところまで、やってみるだけさ。

 ぼくと逢香さんは二人乗りのトイ・プレーン、ローカストで出場を決めた。だから勝負はエアレースだ。

 ぼくが操縦できないから、無理にお願いしちゃったんだけど。

 午前七時。開会式。

 参加者の二百名ほどは、そろって広場に整列した。台上にスーツをまとった進行委員が登り、開会を宣言する。そして訓示の後、選手宣誓。ほんとうに運動会だね。

 ぼくは回りのライバルたちを確かめた。

 光ちゃんはどこかなあ。あ、もっと小さい五年生くらいの少年も出ている。男女の比率は半々。ほとんどは十代後半から三十代だけど、六十くらいのご年配もいるね。制服姿の自衛官も、どうやら選手だ(コスプレかな?)。

「……安全第一に戦いましょう。これより、空の運動会を開始いたします。みなさんのご健闘をお祈りします。解散!」

訓示は終わった。

 ドン……ドドン! 合図の花火が打ち上がった。いよいよ、ゲームスタートだ。

 各選手は一斉に自分のトイ・プレーンに駆け寄って搭乗する。準備が整ったところから、次々と滑走が始まっている。ぼくらも急がなきゃ。

 ぼくが逢香さんとローカストに乗り込んだとき、最初に離陸した機体が前方に見えた。羽根のようにふわり、と浮き上がる軽快な黄色い機体。機の前ではなく後ろにプロペラのあるそれは、光ちゃんの頼人だ。

 さすがだなあ、天才少女飛行士って宣伝通りだね。ぼくも続かなくては。エンジンスタート! でも暖まって回転数が上がるまで、すぐには滑走できない。ぼくは計器をチェックしながら時を待った。

 サングラス・モニターに映し出される計器のグラフィック。水平儀、磁気コンパス、速度計、高度計、異常なし。ぼくは報告する。「油圧系統、電子系統ともにオールグリーン」

「了解、離陸開始。フルスロットル!」逢香は左手でスロットルを全開にした。

 ローカストが滑走している間、早くも五十機、つまり半数くらいのトイ・プレーンが離陸して空にあった。どうしても、光ちゃんの頼人に目が行ってしまう。

 その黄色い複葉機が、機首を上げた。ループ、宙返りだ。ぐんぐん上昇し、真上を向いてしまう。上昇に連れて、速度は落ちていく。頼人が止まりそうになった、その頂点。

 カクり、と頼人は傾いた。すごい急旋回だ。弧を描くこと無く、その場で百八十度回転し真下を向いてしまう。そしてくるくると翼を回しながら、一直線に真下に落ちていく。

 ひねり込み! それからきりもみ降下だ。いずれも高等なマニューバ(機動)。やるなあ。

 頼人は地面すれすれで体勢を立て直し、それから北北東へ向かって水平飛行に移った。すごいアクロバットだったなあ。ぼくたちなんて、すっかり出遅れているのに。

 ローカストはやっと離陸していた。順位では半分くらいかな。エンジンの振動と加速によるGが、ぼくを奮い立たせる。時速百キロ……百二十……百四十……。だんだん加速していくけど、こんなんで遅れを取り戻せるかなあ。

「軽量機はさすがに早いわね」と、逢香。「でも鈍重な機体も、悪くないよ」

「ぼくへのあてつけ?」たしかにぼく、体重百キロ近くあるけどさ。

「ちがうわ。巻き返すわよ!」逢香は操縦菅を引いた。ローカストは上昇に入った。と……? どんどん昇っていく! 周囲を飛行しているトイ・プレーンを差し置いて、ローカストがいちばん高くなってしまった。

「得点稼げたかな。ズーム上昇。運動量保存則よ。同じスピードから上昇を始めたなら、重量の重い方が速く昇れるの。運動エネルギーを使い切るまではね。それから後は推力対重量比が高いほうが優位になるけどね。そうなる前に」

 ローカストは機首を水平に直した。しかし、真っすぐは飛ばない。それからロール(横転)を繰り返す。左にくるり、右にくるり。だんだん前進速度も上がっていく。

 と、宙返りに入った! どんどん上を向いて、真っ逆さまになる。それから右に横転して上に向き直り、もう一回宙返りをする。これで、8の字を描いたことになる。

 キューバンエイト。横倒しの8の字旋回だ。やった! 見事に決まった。

「ね、重い分垂直方向への動きが冴えるのよ。突っ込みが速くてシャープだからきれいに飛べたでしょ」逢香は得意げに言う。「これからは、一典くんの出番よ。航法をお願いね、わたしは操縦に専念するから、指示に従うわ」

「じゃあ、高度を取ろうね。前半は東回りだから、上空の偏西風に乗ろう。山地を避けてね」

 上空には、強風が吹いている。これを利用するのがエアレースの秘訣。

 ぼくは一路、稚内を目指した。標高1000メートルほどの山を超えると、すぐに海。内浦湾が見えてきた。ローカストはその馬力を見せ、他の機体を追い抜き始めた。