一典は生あくびを飲み込むと、ふかぶかと深呼吸をした。

 あ~~~っ! 長いフライトだった。入ったばかりで、サークルの二泊三日合宿旅行なんて。これから休みのたびに、新都心と北海道を往復するんだって。新都心から飛行場を点々。ついに北海道まで来ちゃったよう! 今日なんて朝から飛ぶこと六時間。もう昼飯どきだ。

 飛行場から見えるのは、広野の大草原。遠くには連なる山脈、青い空。ところどころ純白の雪がのぞく。ぼくはおもわず動物を探しちゃった。

 ぼくは半ば立ち上がるとこわばった手を伸ばし、地面に降りるはしごを掴もうとした。

「気をつけてね」と、真理。

 もう着陸しているのに。いまさら気をつけることなんてないよ。素手で金属のはしごを掴む。え?

 パチッ!  痛っ!

「ほらね、電撃。ここは空気かわいているし」真理はさらりと言う。「空飛んでいると、アースされないから静電気たまるのよ」

 最初に言ってよう、もう。

 ぼくは飛行場に降りた。どっちかというと、高速のパーキングエリアみたいな場所だ。そこの店で真理と、おにぎりを食べることにした。

 飛行サークルの学生って、トイ・プレーンにお金がかかるからみんな生活は質素なんだ。みんなアルバイトにせいをだしている。というかいまは誰でもトイ・プレーンを持っているのが当たり前だから、わざわざこんなサークルへ入るのは、自分のトイ・プレーンを買えない学生ばっかりなんだって。ある意味感心だけど学業はどうなのかなあ。

 わざわざ北海道へ来ているのは、広くて安全な飛行区域が多いことと、北国で寒いことがある。

 気温が低いのが、結構重要なのだ。気温が低いと空気の密度が高くなり、飛びやすくなる。機体の凍結を招くほどの寒さでさえなければ、飛行機の飛行にプラスに働く。

 ぼくは飛行の安全性について学んだ。トイ・プレーンの馬力は自動車程度。速度も自動車よりおそいくらいだ。

 なまじヘリコプターは危ない。事故ってエンストしたら最後、墜死は免れない。刃物のようなローターが危ないから脱出も難しい。でも飛行機なら滑空できるからまだ望みはあるし、パラシュートも使える。言うことなし。

 おまけに、パラシュートには安全装置がついている。勝手に開くのだ。

 電子機器ではなく、単純な装置。要は小さな風船を利用した気圧計で、高度が低くなり気圧が高くなるとパラシュートが開くしくみだ。

 そしてパラシュートで落ちれば、機体は壊れちゃうけど。でも爆発炎上しないからパイロットは無事だし、民家に落ちても人に直撃さえしなければ、屋根をへこましてすむくらい。軽量ならでは。

 真理はお茶を飲みながら声をかける。「一典くんって、わたしと同い年なんだ。二十二でしょ、働いていたの?」

「そう……だけど」ぼくは返答に困る。サラ金店員っていきなり言うと、ちゃんとした友だち作りづらいんだよね。

「どんな?」

と、真理。追及しないでよう、てきとうにごまかそ。「勇者。剣を振り回して、悪い鬼を退治していたよ」

「そっか。わかるわかる、一典くん気が優しいもんね」同情ぎみの声。

 あれあれ。てっきり、家に閉じこもってテレビゲームにふける、引きこもり青年に思われたらしい。まあ、いいけど。

「ほんとうだもん。ぼくの愛剣は、「おにぎり」って言ってね」と、コンビニの百円おにぎりをちらつかせる。「鬼を斬るのにぴったりなんだよ」

 真理はくすくす笑った。ぼくは反論する。「うそじゃないもん! いまだってグレムリンと戦ってる」

「どこに?」

 ぼくは真理を指でさす。真理はけらけら笑った。「なるほど。グレムリンって空の小悪魔だもんね。第二次大戦でイギリスの戦闘機を故障させた、謎の魔物」

「え? そうなの」

「実話よ、空の雑学」真理はぼくの肩をぽんぽん叩く。「無理に誘ってごめんね。わたしも空が苦手だったから、共感できる友だちが欲しかったの。わたしこのサークル、間違って入ったのよ」

「真理さんが?」驚きだ。

「グラスホッブスって聞いて、てっきり飲み会のサークルかと思って」

「グラス入りのビールかと思ったんでしょ」ぼくはぶっと吹き出した。「草原の子鬼、か」

 ぼくを入会させたのある意味、陰謀だったんだ! 真理さんってほんとうに子鬼みたいだなあ。

「でも、いまは気に入ってるよ。質問。世界でいちばん、大酒呑みの会社は?」 

「ボーイング、でしょ、飛行機メーカーの。暴飲」

「そうそう。だからね、トイ・プレーンなんてプレーンヨーグルトだと思えばいいの。食べちゃうくらいの気迫を持ってよ」

「ヨーグルトなら、もちろん食べて見せるよ」

「その意気よ。じゃあ男爵が男爵芋だったら?」

「芋だったら残さず食べてやるけど。男爵ってなに?」

「会長の旦那。その子の飛行機が赤男爵、レッドバロンっていうんだって」真理はけらけら笑ってる。「じゃあ、これも食べてね。プリンセスがプリンだったら?」

「プリンなら残さず食べてやる!」ぼくは調子に乗って叫んでいた。「で、プリンセスって?」

「知らないの? スペードの選手よ。日野光。優勝候補筆頭で、マスコミ各社みんなお姫様扱いしてるの」

 う……光ちゃんだったのか。顔が熱くなった。すごく気まずい。そうなのか、ここでは光ちゃんがライバルなんだ。ぼくどうしようかなあ。どうすればいいかなあ。いっしょに飛んで、応援するくらいしかできないよ。

「その子のデータ、携帯に送るわよ。見てね」

 と、真理。ぼくは携帯電話のモニターを見た。光ちゃんの顔写真に、雑誌記事。

(日野光 十三歳。身長百四十八センチ、体重(推定)三十四キロ。

 常に冷静で表情を変えず、口数の少ないミステリアスな美少女。通称プリンセス。目鼻立ちすっきり、細面の儚げな彼女には、芸能界からの依頼も殺到。しかし彼女はトイ・プレーン関係の仕事しか引き受けない。追跡取材は以下のページ、アドレス。

 愛機は頼人(らいと)。スペードの誇る、トイ・プレーンの最新鋭試作機。先尾翼の複葉機。外見はライト兄弟が発明した、世界最初の動力飛行機「フライヤー」に似てる。運動性は抜群、複葉機なのに速度も高い。

 ……)

 この説明に失笑した。なんて記事だ。

 可哀相に。言葉もまともに言えないのに、こんなに引っ張り回されて。人前に出るだけでも苦痛なはずなのに。会社に利用されてるだけだよ。

 光ちゃんがトイ・プレーンに乗る気持ちがわかるように思う。空を飛ぶって、ある意味現実逃避だからな。悪く言うと。前向きに生きようとしているのはわかるけど……。

 ぼくは他のページを見た。光ちゃんは、どの写真も頼人とかいうトイ・プレーンと一緒に写っている。変わった飛行機だな。普通のトイ・プレーンを前後逆にしたような機体だ。尾翼が主翼の前にあって、プロペラが胴体の後ろにあるよ。

「いつまで見てるの?」と、真理。「これから五時まで自由時間よ。どこか行きたいとこある?」

「まずは病院」

「どこか悪いの?」

「ああ、近くに献血センターがあってね。そこに行くだけだよ」

「あ、えらい」

「そんなんじゃないよ、タダで血液検査ができるから。それに、ダイエットもかねてね。最近太りぎみだから、十リットルくらい抜いてもらうんだ」

 ほんとうは北海道って交通死亡事故が多いからなんだけど、真理に話すのはちょっと恥ずかしかった。偽善かなあ。ぼくって顧客から、血も涙も無い人間に思われているから、その裏返しなだけなんだけど。せっかくできた友だちに、教えられないよ。

「うそだあ。献血って四百㏄でしょ」真理はくすりと笑う。「でもえらいよ。わたしなんて、したことないよ。どうしても怖くて」

 怖い、か。ぼくは真理さんの気持ちはあまりわからないけど、人から怖がられる気持ちは知ってる。

 ぼくは小さい頃から外見がでかいからだけで、怖がられていた。ほんとうは気が小さいから、つっぱった悪ガキなんかよりおとなしい優しい友人が欲しかったのに、ずっとできなかった。孤独な少年時代だったなあ。結局高校行かないで働いていたし。

 ぼくが近づくと、内向的な子は脅えてしまう。それが嫌だったから、ぼく暴力が嫌いだ。

 体育の柔道も嫌だった。ぼくは身体がでかいから投げ飛ばされず、負けたことはない。でも、勝ったこともないんだ。相手を倒すのはいけないって思ってた。先生から怒られたなあ、教育的指導。

 アニメでは良く暴力で悪人を倒す強いヒーローが活躍するけど、そんなものにあこがれたことはない。憶病者の言い訳だけど、平和主義者なんだ。

 ぼくは真理に惹かれていた。そして、光ちゃんのことも。いまでは彼女のために、空を飛びたいと思う。誤解されてもかまわない。笑われても。やっぱり、人間ってだれかの勇者たるべきなんだ。

 それが戦えないにせ勇者であっても。

 ぼくは真理と、食後のアイスを食べていた。外は北国の寒風が吹いているけど、店の中はとても暖かかった。