逢香と魔言の二人がついたのは、札幌の外れにある有名ホテルだった。どーんとそびえていて手入れが行き届いて、気怖じするくらい豪華! 魔言ちゃん。お断りしますが、泊まったりしないでサークルの宿舎に帰してくれるって、約束したからね。

 エレベーターを登り、高層階のお洒落なレストランに入る。少し薄暗い照明の、落ち着いた店。壁一面の窓ガラスからは、暗くなった町の綺麗な夜景が映る。遠くには山の陰。

 レストランは広いけど、テーブル同士の距離は必要以上に離れてる。上には凝った作りの燭台のランプ。なかなか高い店らしい。魔言、見栄張っているなあ。無理してないかなあ。

 居並ぶのは、正装したやや年配の人が多い。若者カップルはわたしたちくらい。わたしのコートは安物ではないけど、ちょっと場違いかも。まあ魔言も若者向けのコートだけどね。

 三年ぶりの再会にお冷で乾杯した。魔言の瞳がキャンドルライトを受けて、きらきら輝いている。やっぱりサングラスなんて、しないほうがいいよね。成長したなあ。

わたしは微笑み掛ける。「やっぱり魔言、酒飲めないのね。飛行(非行)少年のくせに」

「俺はいつだって真面目だよ」穏やかに笑う。「酒で乾杯したかったかい?」

 魔言は軽く受け流した。むかしならむきになっていたのに。でも変わらない。余計なドリンクより、水が一番って。「いいのよ、未成年だもんね」

「子供扱いするなよ。俺はもう社会人さ」

「え!」びっくり。先を越された。

 いつまでも子供じゃないなあ。わくわくする。どんな仕事しているのかな。

 料理が運ばれてきた。いきなり軽い肉料理。どうせ全部食べ切れないフルコースなんて、もったいないもんね。

 いただきます、と笑い会ってナイフを入れる。ほんのり湯気の上がるステーキ。かぶせてあるのって、フォアグラかなあ。付け合わせってトリュフ? もぐもぐもぐ。

 魔言は気に入った? と聞いてくる。うんうんうなずくわたし。顔がゆるみっぱなしだよう。魔言は語った。「友人からは、別の店を勧められたけどね。初デートを成功させる裏技って」

「もっと良い店があるの?」

「純和風のカニ料理屋。捕り立ての大きな毛蟹がおいしい店」

「ふうん」初デートで? 豪華ではあるがややムード的に。

「カニを食べるときは誰しも無口になるから、余計な会話の心配がないという作戦」

「……」一瞬、絶句した。「魔言、そういうの本気にしちゃだめだよ」

「してないよ。連れてこなかったろ」

 驚いた。昔はすごい不器用な子だったのに。魔言世慣れしているのかなあ。もう十八だものね。身長もわたしに並び、もうチビでもガキでもない。昔と違って社交的になったから、モテるタイプかもしれないなあ。

「本題に入ろうか。逢香も最近困っているだろ? 長いこと音信不通だった友人やクラスメートから久しぶりに連絡が来ると、決まってなにかのセールスや宗教の勧誘だったりする」

 わたしは同意した。頻繁にある。あれって、友情を壊すのよね。魔言は冗談めかした口調で続ける。「で、悪いことに。俺の話し、というのはその両方なのさ」

「はあ?」我ながら間延びした声。意味わかんない。

「よく聞いて」にこやかに笑い掛ける魔言。「逢香に俺を信じてほしいんだ。そして俺を買ってほしい。つまり宗教とセールスってわけ」

 ひどい! 交際かと思ったらそんな勧誘なんて。悲しいよう、だまされた。わたしは席を立とうとした。魔言はもちろん引き留める。

「冗談だよ、最後まで聞いて。相変わらず軽率だなあ」魔言はくすくす笑っている。「話しは聞いてるだろ。『空の運動会』」

 もちろん、知っていた。トイ・プレーンでの大規模な競技会。エアレース、アクロバット、ドッグファイト。わたしだって参加するのだから。

魔言は説明する。「このエアショーを成功させたいんだ。飛行サークルグラスホッブス会長、「空の舞姫」の逢香にね。俺、トイ・プレーンのベンチャー企業に勤めているんだ。小さい会社なもんだから、企画に設計から営業までいろいろやらされているよ。で、逢香に俺の会社の看板をしょって飛んでもらいたいんだ。ごめん、返事は考えてからでいいよ」

「そうなんだ。素敵な仕事ね」

「これが、娯楽に留まらず。現在の社会経済をさらに飛翔させてくれる仕事だと信じているんだ」

「生意気いっちゃって」わたしは笑って手を振る。すてきになったじゃない。かっこいいよ。

「そうさ。就職決まった? なんなら俺の会社に入ればどう、部下にしてこきつかってあげるから」

「ひっどおい! あなただって、ぺーぺーでしょ」

「いいや、以前からのバイトの続きだからね。いまでは、アルバイト学生をまとめるくらいはしてるのさ」

 そっか。どんどん先行っちゃうなあ、魔言。理想が高く目標に向かって一直線。どんな外圧にも屈しない。一見、周囲から誤解されやすいけど。

 ほんとうの不良少年って、こういう孤高な子のことなのよね。群れ集って力をひけらかす、かっこだけの輩とは違う。

 トイ・プレーンの開発と販売、か。たしかにやりがいがある、社会的に意義のある仕事だ。

 バブルのころ、東京がドーナツ化現象を起こして社会問題になったこともあると歴史で聴いた。重要な都心というのに地価が高いばかりで人は住めず、あるのはオフィスビルばかり。居住区は郊外で遠くなり、通勤時間が長くなる一方。電車は寿司詰めだし、渋滞で高速道路は低速道路。

 こうした社会問題を解決するのが、新たに作られた新都心であり、ネットワークを利用した情報化社会だった。

 しかし、不景気ないまではどちらもぱっとしない。地価は暴落したから、通勤に生活に便利な東京へ引っ越す人も増えてきた。日本は情報産業で立ち遅れている。外国に勝るのが、ゲーム機、マルチメディアのジャパニメーションだというのだからわけわからない。

 そこで。新たな足となるトイ・プレーンの台頭。

 小型だから輸送には向かないが、広い世界を身近にぎゅっと繋げてしまうのだ。これが普及し当たり前になれば、どんなに素晴らしいか。

 トイ・プレーンの飛行は、たしかに危険を伴う。だが車の交通戦争に比べればどっこい。それを解消する期待の新商品なのだから。飛行機の安全性は、歴史が証明している。

 だからわたしは、大学で飛行サークルを立ち上げた。グラスホッブスを。それに、誇りを持っているの。

「ああ、ごめん。冗談だよ」と、魔言。「聞いて。本題に入るよ」

 魔言は真顔になった。おもわず、どきどきする。魔言は真剣な口調だ。

「俺はこの仕事に誇りを持っている。それを汚すやつらは許せない。それが、株式会社スペード。大資本の大企業。俺のちっぽけな会社如月開発の商売敵だ。それが、トイ・プレーンを悪用しようとしているんだ」

「悪用?」聞き返す。「たしかに、トイ・プレーンは犯罪者の逃走や闇商品の密輸にも使われてるよね。社会問題だけど」

「軍事利用」

「え?」ぎくりとする。

「安価で大量生産できる軍用機、それを開発しているんだ、スペードは」

 返事ができなかった。魔言はたたみかけるように続ける。「たしかにトイ・プレーンはちっぽけだから、最新鋭戦闘機には敵うはずもない。しかしそれらは一億ドルもする。そのミサイルだって十万ドル。

 現代の歩兵の銃撃戦は、一人を倒すために数万発も銃弾を消費する。ライフル弾だって、一発数ドルするのに。それらに比べれば、トイ・プレーンは、はるかに安価だ。乗用車の値段と変わらない。パイロットにしたって、普通なら一人育成するのになん千万円もかかるが、トイ・プレーンならパソコンのシミュレーターソフトで数千円でできてしまう。トイ・プレーンが軍事利用されれば、需要はあるのだ。先進国が欲しがらなくても、紛争の続く多くの国では大変な兵器となる。どれほどの脅威となることか」

「そして、どれほどの悲劇を招くのか、ね」

魔言が今日の勝負に、ドッグファイトを選んだ理由がわかった。危険の無い上空から地上へ機銃掃射。もしくはトイ・プレーン同士での格闘戦。

「ああ。新しい技術の常、とは承知する。ダイナマイトはもともと掘削作業用に作られたし、戦車だって自動車が発明されなければ存在しなかった。民間技術から軍事技術への、その変移のきっかけ、それを断ち切れば防げるかもしれない」

「でも、どうやって?」こんなときいつも、自分の無力さに悲しくなる。ニュースで悲惨な報道が繰り返されても、ちっぽけな一市民にできることって、ほんとうに無いの。

「俺なんかの力では到底スペードを押さえられない。だが、計画を妨害することはできる。一大イベント空の運動会。それにスペードは参加する。威信と宣伝を掛けて、優勝を目指すだろう。それを、単なるベンチャー企業がぶっつぶせば? 面目は丸つぶれだ。スペードの製品を買うものはいないだろう」

 わたしはじっと、魔言の目を見つめていた。真摯な実直な瞳。それが笑みを浮かべた。「だから、仲間がほしかったんだ。それで、逢香のことを思い出したのさ」

「わたし?」

「みんなで協力すればなんとかなる、それを孤独な不良少年だった俺に教えてくれたのは、逢香なんだからね」

 魔言は悪戯っぽく、微笑んでいる。少し、恥ずかしかった。顔が熱くなる。これって、やっぱり告白だよね。

 それからは話題を変えて、昔話になった。当時の社会問題と、わたしたちが参加していた運動。それから別れるきっかけとなった大げんか。あのときは切なかったけど、いまは懐かしい。久しぶりに会ったけど、やっぱり魔言は大切な友人だった。

 楽しい時間は夢のように過ぎて、魔言のほうからそろそろ送ろうか、と切り出してきた。

 わたしは魔言のつんつん頭を撫でてぐちゃぐちゃにしながら、引き受けるよ、と答えてあげた。

 わたしのサークルには、もっと大きな企業からの誘いもきていた。その一つって、スペードだったりしたんだけど。

 なぜ魔言に同意したか。いちばんの理由は。魔言、むかしはすっごいヒネたガキでね。一度もわたしに笑い掛けてくれたことが、なかったんだ。