ぼく、加科一典。二十二歳。関東某県にある新都心大学の一年生。断っとくけど多浪生じゃないからね、一般受験組の社会人学生だよ。高校行かないで働いてお金溜めて、大検合格で進学したんだ。勤労学生の鑑だなあ。しっかり経営学を学んで、立派な社長になるんだ。
ぼくは久々にスーツを脱いで、私服になっていた。セーターにジーンズ。片手には、スケルトンの鞄。若者だなあ。
昼休みに、大学のキャンパスを歩く。白いコンクリ校舎、グラウンドと芝生の敷地。小さくて新しい大学だけど、なかなか良い環境だなあ。遅咲きのまだ散っていない桜を見ながら、しみじみする。
前期は始まったばかり。構内は至る所で、新期生へのサークルの勧誘をやっている。ぼくは何度も体育会系のサークルに捕まった。バスケットボール、ラグビー、柔道、空手。当然かな、ぼく身長百九十一センチだもん。
でも全部断った。ぼく平和主義者なんだ。スポーツであれ争い事はしない。でも、キャンパスを見て回るのは楽しかった。青春再びだなあ。
ぼくはとことこ歩いて、ある建物の前を通りかかる。プレハブで、倉庫みたいだった。なにかのサークルの建物かな。看板にはこう書いてあった。
(飛行サークル グラスホッブス)
扉のすき間から、中がちらりと見えた。なにかの機械が並んでる。トイ・プレーン? ああ、いま流行の軽飛行機。怖い世の中だよね、なんでみんな飛行機なんて乗れるのかなあ。落ちたら即死じゃん。
ぼく、飛行機乗ったことないよ。建物もせいぜい十階以上うえは登ったことない。どんなに身体大きくたって、格闘技で鍛えたって、墜落したら死ぬもんね。
でもちょっと、足を止めた。小型飛行機の流れるようなフォルムに引きつけられる。たいていは複葉機か。翼が二枚重なっている。三枚のもあるな。そのためかみんな、ずいぶんと小さい。五メートルくらいかな。みんな、パステルカラーできれいに塗装されている。
ぼくだって小さい頃は、おもちゃの飛行機で遊んで、そのかっこよさに魅せられていた少年だったけどね。
「あ、入会希望者ね」背後から声を掛けられた。女性だ。
違うのに。断ろうと振り向いて、その姿を見て絶句する。
パイロット……なのだろうな。ロボットアニメの主人公が着るような、パイロットスーツ。薄い黄緑色で合成樹脂みたいな素材で作られ、形状はバイクの革製ライダースーツと似ているけど現実離れしている。
それを着ているのはこれまたアニメキャラのような可愛い女性。身長は百六十くらい、細くもなく太ってもなく。ウェーブのかかった黒い長髪。おしゃれな眼鏡。
ひとことで言うと、「コスプレオタク」。彼女は優しく問う。
「お名前は? わたしは真理。四年生よ」
ぼくが名前を言うと、真理はさっそくぼくに飛んでみろという。ぼくは慌てた。「いやだよ、ぼく高いとこ苦手なの」
「そんだけの背丈して、なに言ってるの」けらけら笑う真理。「パンチパーマなんてして、いきがってるくせに。覚悟決めなさいよ」
「ぼくの髪は天然!」
「あ、ごめんね。でもいまじゃ小学生だって飛んでいるのよ、悔しくないの?」
「空なんて飛ばなくても、生きていけるもん。人間は翼がないでしょ、空を飛ぶようには生まれていないんだよ。それが神様のみこころなの!」
「屁理屈で懐柔しないで、みっともない」
ひどい! ぼくのこと怪獣だなんて! たしかにでかいし、ムーミン顔だけど。
「ほら、この広告なんてみてよ。こんな可愛い娘まで大会に出るのよ」真理はたたみかけるように勧誘してくる。プレハブに張ってある、なにかのポスターを指差してる。
気の弱いぼくは追いつめられていた。じりじりと、サークルの小屋の方に追いやられる。友人からは確かに、優柔不断って言われてる。こんなことで死にたくないよう。助けて! え?
あれ……。ぼくはびっくりした。ポスターにアップで写っている女の子の顔に、見覚えがある。思わず近寄って確かめた。ショートカットに細面の少女。着ているブレザーは学生服とは違う。
(「空の運動会」 開催迫る!
……
(写真)日野光、十三歳。(株)スペードの選手、期待のホープ……)
日野光……?!
ぼくの顧客の子供だ。彼女がパイロット? そうだったのか。
ずっと家に一人で引きこもっている、かわいそうな女の子。中二だったかな。
彼女は学校でいじめられていてね。その理由というのが、クラスメートから万引き行為を強要されたことを、教師に訴えたからなんだ。
それからというもの、彼女はクラスの裏切り者扱いされた。ひどいいじめの対象になった。そればかりではなく、万引きの罪を一人で負わされた。PTAはこぞって彼女の家を非難して、犯罪を強要した自分の子の責任はうやむやにした。彼女の家には脅迫電話が鳴り響き、落書や投石などの悪質ないたずらが相次いだ。
そうして、家に住めなくなったのだ。何も悪くないのに、彼女の家族は家を売り払って引っ越す羽目になった。
そこで、ぼくの店を利用したのだ。カバのマークで親しまれるサラ金、ヒポポタマス消費者金融。慈善事業ではないけれど、ぼくはできるかぎりの配慮はしたよ。
でも……彼女の家は、借金を払えなかったことがちょくちょくあった。ぼくが取り立てにいったんだ。そのときに、光ちゃんに会った。
ぼくは顧客に差し入れというか、サービスにいつも甘いアイスキャンデーを配ってる。それを持っていったとき。
悲しい思い出だよ。ぼくはその外見から、けっこう顧客からは怖がられてる。小さい子供なんて、脅えて泣いて当然なのに。差し出されたアイスをはねのけちゃう人もいる。でも、光ちゃんはそうじゃなかった。恐怖でもない非難でもない、感情の無い真顔でぼくを見つめて……。アイスをもらっても、手に持ったまま食べようとしなかった。溶けてなくなるまで、持っていたらしい。
神経症。外界と内心の接点を欠き、感情を表に出せないのだろう。
子供にとって、学校という存在はこの世界そのものなのだ。そこで孤立すること。裏切られること。それは生きる意味を失ってしまうのに等しい。
その子が、パイロット……。
彼女は、空に生きるなにかを見つけたのだろうか。空の運動会、か。
ええと、優勝しても賞金は無し。そうか、賞品が特別なんだ。自分でデザインした、トイ・プレーンを制作してくれるという。賞金換算でなん百万円になるだろう。実際は金で買える話ではないから、もう一桁上かも。
あんな女の子が無理して、こんな大会に出ようとしているのか。写真を見て、泣きそうになった。痩せたなあ、光ちゃん。前はぽっちゃりしていたのに、いまではがりがり。外見は美少女になったけど、そんなこと悲しいだけだよ。
ぼくにできることはないかなあ。そんなことをふと思ったとき。
「興味でてきたでしょ?」真理が問いかけてきた。
振り返ると真理の他にも数人、人が来ていた。ぼくはすっかり包囲されている!
「トイ・プレーンは中古型落ちの安いので五十万円台で買えるけどね。学生には結構出費だから、サークルたいへんなのよ。運営維持に」と、いいながらぼくの肩をぽんぽん叩く真理。「一典くんみたいな体格良い人が来てくれると助かるわ。いっぱいバイトして稼いでくれそうだから」
そうなんだ……きっと光ちゃんも、苦労してパイロットになったんだろうな。あの大企業、株式会社スペードお抱えの選手になるなんて。ぼくも、社会人。なにか貢献できる仕事をしたいと、いつも思ってるもんね。
だったら、会員になるくらいいいかな。空さえ飛ばなければ。なにか協力できることが、見つかるかもしれない。そんなことで、入会を飲んだ。
わーっ! 会員たちからは喝采があがった。次いで、死刑宣告。
「では、歓迎飛行するわね。後部席に座って、わたしが操縦するから」真理はにこやかにぼくを、空飛ぶ得等電気椅子に招いた。