五月十八日自由惑星同盟領内ドーリア星域……軍事革命派第十一艦隊を戦略的に二分、戦術的にさらに二分し殲滅した同盟軍ヤン艦隊。
 駆逐艦ユーナギ主砲座で、戦闘のプレッシャーから解放された十六歳の少女一等兵ティア・ラスターはいまになって嘔吐していた。
 ストレスで食事などまともに摂っていなかったので、胃が神経過敏になりコーヒーも受け付けず、ただの水くらいしか飲んでいなかった。酸っぱい胃液ばかりをオペレートパネルに吐きもどす。

「大丈夫か?」となりの砲座の、二十歳そこそこの一年ばかり古参の上等兵――ティアはいちいち名前なんて覚えていなかった――が声を掛ける。「掃除は俺がしといてやる。医務室へ行けよ、ユーナギに被弾は無かった、病床は空いていると思う」

 ティアは口元を押さえ一礼すると、今回ばかりは医務室へ向かった。衛生兵は胃薬を出してくれた。栄養失調気味なので糖質点滴をするという。ティアはベッドに横たわった。開戦前の訓示……
(かかっているのはたかだか国家の存亡だ。個人の自由と権利に比べたら、たいした価値があるものじゃない)この信じられないヤン提督の言葉が耳から離れない。

 まさか一個人の自由が国家そのものを上回るなどと。正義がヤン艦隊にあり、救国軍事会議は倫理を欠くとして戦ったというのに……
 もはやなにが正しいのか、なんてわからない……帝国との戦争は百五十年以上続いていた。ティアが物心ついた時には、父は軍艦乗りだった。周りの家庭も、ハイスクールを卒業したら徴兵され前線送りにされるのが当たり前だった。

 それは何故? 専制君主制度に対する正義の戦争、というのがジュニアハイでの模範解答だ。しかし、軍隊という組織そのものが絶対的な地位、階級差、権力に逆らえない専制主義体制なのだ。
 戦争を否定するもの、戦いを拒否するものは罰せられる。逃げるものは殺される。それが軍隊……帝国と同盟はどう違うのだろう。単に門閥貴族が高級官僚に取って代わられただけではないか。

 どちらにせよ権力者は自ら戦争の陣頭などには立たない……兵士にされるのは無辜の民のみ。権力者は自らの意思で戦争を行うが、民衆は意志に関係なく徴兵される。
 それもティアは志願兵だ。現実を知らなかった愚かな民間人。
 そう、それが現実だ。人間の社会は蟻や蜂のように支配者と奴隷で成り立っているのだ。これを悟った時、ティアの心に初めて憎悪……嫌悪を激しくした生のままの憎しみの情が生まれた。誓う。このくだらない人類社会、実力でのし上がってやる。

 ティアは点滴が終わると医務室を退出し艦橋へ出頭し、ペインター艦長に士官候補生、キャリア志望を告げた。胃と胸の悪さは嘘のように消え去っていた。
「きみは間が悪いな」ペインター艦長は困った顔をした。「士官学校への編入はただでさえ季節外れだし、ハイネセンはクーデターの非常時下だ。幹部候補生試験なら受けられるが? どうするね。一年間の教習後、合格すれば曹長になれるが、学校へは通えないで前線勤務が続くぞ」

 ティアは姿勢を正し最敬礼をした。宣言する。「承知しました。幹部候補生試験を受けさせてください」
「ではティア・ラスター。いまからきみは兵長だ。伍長になればスパルタニアンの搭乗資格も与えられる故、戦闘艇訓練を課す。その場合」ペインターは真剣な表情で語った。「教官の責任者はおそらくオリビエ・ポプランだ、あのプレイボーイとして有名な。きみみたいな愛らしい娘は、貞操に気をつけたまえ」
 ペインターは数枚の辞令書その他の書類を手慣れたようすでさらさらと書き、封に収めてティアに手渡した。

「ありがとうございます、艦長」
「スパルタニアン搭乗志望の場合、きみは勤務艦が変わる。当然この駆逐艦ユーナギに戦闘艇シミュレーターだけはあっても、ほんもののスパルタニアン格納庫はないからね。もっとも艦隊勤務志望なら留任となるが……戦闘艇任務は自由だからといって、親の仇とフェザーンのコルセア号をつけ狙うのはもう止してほしいな。約束してくれないかい?」
 ティアは即答できなかった。しかし思い直す。もはや個人の復讐なんてくだらない。腐り切った社会と闘うためにわたしは誓う。明言した。「了解しました、艦長」
 
 ティアは戦闘艇シミュレーターを受けた。生まれて初めてのはずなのに、操縦パッドは良く手足に馴染んだ。マシンに入るや重力が操作され、無重力下になる。次いでぐっとGがかかり、虚空へ投げ出される。
 飛行経路が表示され、それに沿って飛ぶ。さらに標的がいくつも現れ、射撃訓練となる。こうして基本的な飛行と射撃のテストを二時間ほど続けると、終には早くも仮想敵機のワルキューレが接近し、交戦を試される。新米下士官のための、娯楽性を高めたシミュレーターと聞いたが。
 スコアが表示される。戦闘そのものの得点は低いが、反射操縦能力は全搭乗員中2.1%の圏内と表示された。初めてのシミュレーターでここまでできるのは天才的と評された。

 このテストの結果、ティアはクイーン隊の推薦枠を手にした。クイーン隊、ジャック隊。『妃』、『漢』を旗印にする飛行隊。
 エースならずとも、平札には負けない実力のスパルタニアン乗りである。ちなみにフェミニストポプラン隊長の意向で、キング隊は存在しない。
 ペインター艦長にはお世話になったが、ティアは砲手としてより戦闘艇乗りの方が適性はありそうだ。ヤン艦隊旗艦ヒューベリオンに近い戦艦が空母で勤務につけるな。
 ティアはひとまず満足し、暗い野望の火種を胸に燻らせていた。

14 平和