帝国辺境惑星リューゲン衛星軌道上……
「どうやら勝てそうだな」……帝国私戦艦マーリンの艦長席で、フォン・ラスター少佐は胸をなでおろしていた。「ビッテンフェルト提督、見事だ」
マーリンがそれに答えた。「この局地戦の勝利は確実です、私の閣下。ただその度合いはまだ不明ですが」
敵同盟第十艦隊は、数において勝る黒色槍騎兵艦隊と、損害の絶対数で五分という勇戦をしていたのだ。だがそれも、黒塗りのビッテンフェルト艦隊の包囲陣に包みこまれるまでだった。
勝利は見えていた。後は砲火をひたすら浴びせるだけだ。補給が切れている第十艦隊は崩れるはず。しかし、しぶとい。第十艦隊が三割以上失ったときから、降服勧告が通知されていたのに。
第十艦隊は紡錘陣形を取り始めていた。包囲網の一点突破を狙っているな! 火力が一点に集中される。たまらず、攻撃を受けた戦列の隊伍が乱れる。が、撃沈されても瓦解まではしない。シュワルツランツェンレイターに退却の文字は無いのだ。
猛将ビッテンフェルト提督は叱咤していた。「怯むな! 敵の最後の足搔きだ」
これだから戦争は! ラスターは自分の戦列が狙われたのでないことに、いささか立腹していた。我が部隊が攻撃される分には一向に構わない、どうせ無人艦なのだから。
しかし兵士は死ぬことが避けられなくても逃亡はできない……いや、この艦隊に逃走を図るような兵士はいない。勇将の下に弱卒無し、だ。
「敵艦隊、突撃してきます!」マーリンは報告する。
ラスターは言い捨てた。「どうせ逃走を図るつもりだ、敵砲火に晒された宙域など放棄し、突破させてやれ。逃げ道を塞いでは窮鼠となる」
「ですが敵艦隊旗艦、動きませんね」
「敵将ウランフ提督か、大した覚悟だな。敵を攻撃するときは最前線に位置し、敵陣を脱出するときには最後まで殿(しんがり、最後尾)を務める。これが騎士の倣いさ」
ラスターは自分の戦列から、各々の艦に負担を掛けない限界の最大火力で砲撃していた。後は時を待つだけ……
数十分後、マーリンは報告した。「敵艦隊旗艦撃沈、確認」
終わったな、この一幕は。敵の損害は撃沈五割、脱出五割といったところか。しかし脱出組の過半はもはや戦闘不能だろう。対する味方黒塗り艦隊は、せいぜい一、二割の損失。圧勝だった。
掃討作戦に移るかと思いきや、ビッテンフェルト提督は他の星系に向かうという。この漆黒の猪武者にとって、戦闘不能な敵を殺すなど、不名誉なのだ。我は良い上官を持ったな。
ビッテンフェルト提督は、味方艦隊が戦っている最寄りの星系へ向かったが、すでに帝国軍が勝利していた。ここで、司令長官ローエングラム元帥から、司令が入った。「全軍、アムリッツア恒星系に集結せよ」、と。
こうして「アムリッツア会戦」は開始された。ラスター少佐は砲撃が始まる前に、敵味方を値踏みした。
戦力は、一.五倍は帝国軍が上だ。しかも敵艦隊は消耗しており士気も低いだろう。思いのほか帝国軍は少ないな……
ふと、副司令長官キルヒアイス提督の艦隊がいないことに気付く。予備兵力に回っているな、これでは勝利以外のなにものもありえない。
敵左翼はビュコック提督の第五艦隊、中央はアップルトン提督の第八艦隊、右翼はヤン提督の第十三艦隊だった。
味方左翼はビッテンフェルト艦隊……つまりうわさの「ヤン」の艦隊と真っ先に切り込む。
否、ミッターマイヤー艦隊の方が早かった。第十三艦隊と砲火を交える。しかし、恐るべきことに、『疾風』の異名でしられるミッターマイヤーに、ヤンは先手を打った。奇襲にさらされ、損害の出るミッターマイヤー艦隊。
ここでビッテンフェルト提督は突撃命令を下した。第十三艦隊を攻撃しつつ、中央を突破すると。
第十三艦隊は守りの態勢に入った。装甲の厚い戦艦を楯にし、隙間から小型艦の主砲で攻撃している。この戦法に、互いの艦隊は出血を強いた。
「進め進め! 勝利の女神は、お前らに下着をちらつかせているぞ!」
ビッテンフェルト提督か。いささか下品ではあるが、豪傑には違いない。ラスターはもし自分が対等の地位まで昇進したら、飲み友達になってくれたらいいな、と思っていた。
こうして黒塗り艦隊は、敵第八艦隊を蹂躙していった……
勝ったな。ラスターはマーリンにストレート・ラムを頼んだ。
しかしグラスに口を付けた瞬間、ラスターはそれを吹いていた。ビッテンフェルト提督からの司令。全艦反転し、ワルキューレを出撃させろ、だと!?
「なんだと!? ワルキューレを出すのはまだ早い! 戦闘艇、出撃待機、我が戦列を盾にする。側面を第十三艦隊の方向に傾けろ。一隻でも多く助けろ!」
光の奔流がラスターの視界一面を覆った。ここで死ぬのか、暗転し……漆黒が覆った。
……
「っか……私の閣下」
「生きていたか」どうやら十五分程度の失神らしいな、他愛のない。「損害は? マーリン、きみは無事か」
「ビッテンフェルト艦隊、シュワルツランツェンレイターは壊滅状態です。閣下の艦隊も巡洋艦アーサー並びに、駆逐艦五隻が撃沈されました。私も小破です」
「アーサーを失ったか。アーサー王の死。騎士物語も終わりかな、エクスカリバーは湖の妖精に返され」
「それより、戦況です」
「そうだな」
「キルヒアイス艦隊が敵艦隊背後を突きました。敵は逃げ散り、ほとんど総崩れです」
「ほとんど、とは?」
「第十三艦隊が律序を保ち、応戦しています」
「たった一個艦隊のみでか!? 人間技ではない……」布陣図を確認し、ラスターはぞっとした。これは!「マーリン、シュワルツランツェンレイターはここまでだ。最前線へ出ろ、一隻でも多く助ける。司令が無くとも、責任は取る」
この言葉と同時に、目もくらむような砲火が襲ってきた。
「ひるむな、反撃だ、我が艦隊に退却の文字はない!」ビッテンフェルト提督は豪胆に命じていたが、もはや手遅れなのは誰の目にも明らかだった。第十三艦隊の突撃で、シュワルツランツェンレイターは喰い破られ、文字通り壊滅した。
マーリンは淡々と告げていた。「巡洋艦ガゥェイン撃沈、駆逐艦は全滅です。つまり残ったのは私とランスロットだけです」
「そうか……」ラスターは苦しげだった。「ビッテンフェルト提督は無事か?」
「旗艦は無事ですが、どのような処置を受けるかまでは……。それより閣下の采配は見事でした。撃沈された艦艇も脱出したものが多い。この戦いのデータは、マザーへ持ち帰ります。建造されている艦船は五百隻に及びますし。新生円卓の騎士となりますね」
「全体的には帝国軍の歴史的大勝利に違いない。ラムを呑んで、戦争なんて忘れてしまいたいね」
ラスターの指揮卓に、さっそくグラスが届いた。
* 銀河英雄伝説フェザーン戦記 第二章 終 *
9 腐敗
「どうやら勝てそうだな」……帝国私戦艦マーリンの艦長席で、フォン・ラスター少佐は胸をなでおろしていた。「ビッテンフェルト提督、見事だ」
マーリンがそれに答えた。「この局地戦の勝利は確実です、私の閣下。ただその度合いはまだ不明ですが」
敵同盟第十艦隊は、数において勝る黒色槍騎兵艦隊と、損害の絶対数で五分という勇戦をしていたのだ。だがそれも、黒塗りのビッテンフェルト艦隊の包囲陣に包みこまれるまでだった。
勝利は見えていた。後は砲火をひたすら浴びせるだけだ。補給が切れている第十艦隊は崩れるはず。しかし、しぶとい。第十艦隊が三割以上失ったときから、降服勧告が通知されていたのに。
第十艦隊は紡錘陣形を取り始めていた。包囲網の一点突破を狙っているな! 火力が一点に集中される。たまらず、攻撃を受けた戦列の隊伍が乱れる。が、撃沈されても瓦解まではしない。シュワルツランツェンレイターに退却の文字は無いのだ。
猛将ビッテンフェルト提督は叱咤していた。「怯むな! 敵の最後の足搔きだ」
これだから戦争は! ラスターは自分の戦列が狙われたのでないことに、いささか立腹していた。我が部隊が攻撃される分には一向に構わない、どうせ無人艦なのだから。
しかし兵士は死ぬことが避けられなくても逃亡はできない……いや、この艦隊に逃走を図るような兵士はいない。勇将の下に弱卒無し、だ。
「敵艦隊、突撃してきます!」マーリンは報告する。
ラスターは言い捨てた。「どうせ逃走を図るつもりだ、敵砲火に晒された宙域など放棄し、突破させてやれ。逃げ道を塞いでは窮鼠となる」
「ですが敵艦隊旗艦、動きませんね」
「敵将ウランフ提督か、大した覚悟だな。敵を攻撃するときは最前線に位置し、敵陣を脱出するときには最後まで殿(しんがり、最後尾)を務める。これが騎士の倣いさ」
ラスターは自分の戦列から、各々の艦に負担を掛けない限界の最大火力で砲撃していた。後は時を待つだけ……
数十分後、マーリンは報告した。「敵艦隊旗艦撃沈、確認」
終わったな、この一幕は。敵の損害は撃沈五割、脱出五割といったところか。しかし脱出組の過半はもはや戦闘不能だろう。対する味方黒塗り艦隊は、せいぜい一、二割の損失。圧勝だった。
掃討作戦に移るかと思いきや、ビッテンフェルト提督は他の星系に向かうという。この漆黒の猪武者にとって、戦闘不能な敵を殺すなど、不名誉なのだ。我は良い上官を持ったな。
ビッテンフェルト提督は、味方艦隊が戦っている最寄りの星系へ向かったが、すでに帝国軍が勝利していた。ここで、司令長官ローエングラム元帥から、司令が入った。「全軍、アムリッツア恒星系に集結せよ」、と。
こうして「アムリッツア会戦」は開始された。ラスター少佐は砲撃が始まる前に、敵味方を値踏みした。
戦力は、一.五倍は帝国軍が上だ。しかも敵艦隊は消耗しており士気も低いだろう。思いのほか帝国軍は少ないな……
ふと、副司令長官キルヒアイス提督の艦隊がいないことに気付く。予備兵力に回っているな、これでは勝利以外のなにものもありえない。
敵左翼はビュコック提督の第五艦隊、中央はアップルトン提督の第八艦隊、右翼はヤン提督の第十三艦隊だった。
味方左翼はビッテンフェルト艦隊……つまりうわさの「ヤン」の艦隊と真っ先に切り込む。
否、ミッターマイヤー艦隊の方が早かった。第十三艦隊と砲火を交える。しかし、恐るべきことに、『疾風』の異名でしられるミッターマイヤーに、ヤンは先手を打った。奇襲にさらされ、損害の出るミッターマイヤー艦隊。
ここでビッテンフェルト提督は突撃命令を下した。第十三艦隊を攻撃しつつ、中央を突破すると。
第十三艦隊は守りの態勢に入った。装甲の厚い戦艦を楯にし、隙間から小型艦の主砲で攻撃している。この戦法に、互いの艦隊は出血を強いた。
「進め進め! 勝利の女神は、お前らに下着をちらつかせているぞ!」
ビッテンフェルト提督か。いささか下品ではあるが、豪傑には違いない。ラスターはもし自分が対等の地位まで昇進したら、飲み友達になってくれたらいいな、と思っていた。
こうして黒塗り艦隊は、敵第八艦隊を蹂躙していった……
勝ったな。ラスターはマーリンにストレート・ラムを頼んだ。
しかしグラスに口を付けた瞬間、ラスターはそれを吹いていた。ビッテンフェルト提督からの司令。全艦反転し、ワルキューレを出撃させろ、だと!?
「なんだと!? ワルキューレを出すのはまだ早い! 戦闘艇、出撃待機、我が戦列を盾にする。側面を第十三艦隊の方向に傾けろ。一隻でも多く助けろ!」
光の奔流がラスターの視界一面を覆った。ここで死ぬのか、暗転し……漆黒が覆った。
……
「っか……私の閣下」
「生きていたか」どうやら十五分程度の失神らしいな、他愛のない。「損害は? マーリン、きみは無事か」
「ビッテンフェルト艦隊、シュワルツランツェンレイターは壊滅状態です。閣下の艦隊も巡洋艦アーサー並びに、駆逐艦五隻が撃沈されました。私も小破です」
「アーサーを失ったか。アーサー王の死。騎士物語も終わりかな、エクスカリバーは湖の妖精に返され」
「それより、戦況です」
「そうだな」
「キルヒアイス艦隊が敵艦隊背後を突きました。敵は逃げ散り、ほとんど総崩れです」
「ほとんど、とは?」
「第十三艦隊が律序を保ち、応戦しています」
「たった一個艦隊のみでか!? 人間技ではない……」布陣図を確認し、ラスターはぞっとした。これは!「マーリン、シュワルツランツェンレイターはここまでだ。最前線へ出ろ、一隻でも多く助ける。司令が無くとも、責任は取る」
この言葉と同時に、目もくらむような砲火が襲ってきた。
「ひるむな、反撃だ、我が艦隊に退却の文字はない!」ビッテンフェルト提督は豪胆に命じていたが、もはや手遅れなのは誰の目にも明らかだった。第十三艦隊の突撃で、シュワルツランツェンレイターは喰い破られ、文字通り壊滅した。
マーリンは淡々と告げていた。「巡洋艦ガゥェイン撃沈、駆逐艦は全滅です。つまり残ったのは私とランスロットだけです」
「そうか……」ラスターは苦しげだった。「ビッテンフェルト提督は無事か?」
「旗艦は無事ですが、どのような処置を受けるかまでは……。それより閣下の采配は見事でした。撃沈された艦艇も脱出したものが多い。この戦いのデータは、マザーへ持ち帰ります。建造されている艦船は五百隻に及びますし。新生円卓の騎士となりますね」
「全体的には帝国軍の歴史的大勝利に違いない。ラムを呑んで、戦争なんて忘れてしまいたいね」
ラスターの指揮卓に、さっそくグラスが届いた。
* 銀河英雄伝説フェザーン戦記 第二章 終 *
9 腐敗