帝国騎士フォン・ラスター少佐は戦艦の艦長席で回想していた。
もう一年半前になるな。とある金持ち……否、大変な権力を持つおそらく門閥貴族の御令嬢は、先天的な遺伝子欠陥を持っていたらしい。もしやリッテンハイム侯爵の息女、サビーネ? いやそんな立ち入った事は詮索すべきではない。
それを延命するブツ――薬だか移植用臓器だか分からないが――を極秘裏に輸送する任務を負ったのだ。功により、ラスターは平民にして帝国騎士(ライヒスリッター)の称号を手に入れた。
正直なところ、たかだか一度の密輸任務でそれだけ厚遇されるとは、十五で徴兵され二等兵から四年間、曹長になるまで勇猛に戦い抜いた自分を馬鹿にしている。
ブレード・ラスターは「卿」の称号を得たと同時に、辺境惑星の大地主の次男――長兄は戦死していた――である自分の地位と、豊かな自分に金をたかりに来る領主の放蕩貴族の権力で、曹長から一気に二十二歳にして少佐となった。
同時に、私財を惜しまず投じ旗艦「マーリン」を建造した。その戦艦に乗り込み、勇んで初めて艦長として臨んだ戦いが、アスターテ会戦というわけだ。
率直なところ、ラスターはここまで完勝するなどと思いもしなかった。司令官ローエングラム伯の命令で戦端を開いたとき、正面の同盟第四艦隊には勝てるな、とは思ったものの、続いて第六艦隊まで全滅させるとは予想外だった。後はなりゆき、勢いに任せて自然に勝てるはずと確信した。
だから単独行動を志願し、第六艦隊の掃討任務を請け負った。実際は人質にできる捕虜の収容と、まだ使える兵器の鹵獲をしたかっただけなのだが。自嘲するが、これでは正に海賊だ。
そんなとき、戦場で初めて実直に生きる漢を見た……コルセア船長。フェザーンにあれだけの度量を有する人物がいたとは。
ラスターはコルセアに、人質にしていた同盟士官を引き渡すと同時に、まだ生存者のいる可能性のある宙域情報を提供していた。
「世の中捨てたものではないな、なあマーリン……」ラスターは艦に話しかけていた。
旗艦マーリン。艦長ラスターを除けば完全な無人艦の電子化されたこの艦に。マーリンとは中世騎士物語の魔術師を指す。ラスターはアーサー王ならずとも、円卓の騎士最強のランスロットたることを夢見ていた。だから目下目標とするのは……無論、二十歳で元帥になった金髪の青年に決まりなのだが。
マーリンは流暢な英語で――帝国の独語ではなく――質問していた。「私の閣下、シャワー浴されます? それとも食事?」
「ラム酒をくれ。ストレートで」
「それは、それだけではお身体に障ります。オードブルをお付けしますね」
「ラム肉を出す気ではないだろうな」
「閣下の御歳には、そのジョークはまだ早いですよ。ツナの角煮でいかかです」
「悪くないな」
「悪くない? もっとお褒め下さってもよいではありませんか」
「ああ、先年亡くなったオールド・メイドよりは良いチョイスだ」
「それは亡くなられた方に不謹慎と思います。それともジョークですか、オールド・メイド(ババ抜き)だけにジョーカー」
「ああ、いや。彼女は認知症でね。いちおう買い物や料理はできるんだが、昼食にハムカツサンドと野菜サンドしか作らなかった。ツナサンド、卵サンドやチーズサンドは一切抜きだ。解るかい?」
「人間で言うこだわりとか、閣下への思いやりがあったのだと思います」
「単純な話さ。彼女は食べ物を『肉と野菜』、それしか頭になかったんだ。歳を取るのは怖いね」
「その怖さは私にはわかりませんが……では、ラム酒はやめましょう。酒は脳を溶かします」
「マーリン、お気遣いは嬉しいのだがね。君にまで偏屈な対応されたら我は破滅だよ」
「私こそ自分の人格創造に限界を感じています。人間の言う曖昧さにジョークをミックスされては、致命的なエラーを起こしかねません」
「オーバーホールがひつようかな……だが我はきみのキャラクター性に満足しているよ」
「ありがとうございます、私の閣下」
指揮卓上にラム酒のグラスが届いた。ツナの角煮は、パンでサンドされていた。これはマーリンの親切なのかジョークなのか、質問は避けしばしラスターは苦笑していた。
ツナサンドは、香ばしいスパイスがピリりと効いていて美味かった。上等なラム酒も強烈に喉を焼いていて、ラスターは戦勝に浸っていた。いまさら、本隊ローエングラム艦隊の帝都星オーディンへの凱旋には間に合わないが、ラスターは満足だった。
このときちょうどラスターのもとへ、ラスターの母星防衛任務が下された。オーディンに来るな、といわんばかりのふざけた命令だが、ラスターには好都合だった。
ついでに、待遇も通信された。戦い抜いたというのに、昇進も勲章も無し。まあやむないだろう、前任者の上官が戦死してくれなければ昇進先のポストが空かない。帝国は今回勝ち過ぎたのだ。
おまけに、同盟第二艦隊との交戦に参加しなかった事実がある。意外にも兵力に劣るはずの第二艦隊は、帝国艦隊と五分に戦ってのけたのだ。両軍とも一、二割ほどの損害で、痛み分けだった苦戦。だから非難されても文句は言えない。
敵の司令官代理……ファイルを検索してみた。エル・ファシルの英雄ヤン・ウェンリーか……この戦果はまぐれではないな。
鹵獲した兵器だが、実は両軍とも敵の手に渡らないように、セキュリティがされている。
例えば今回七機も無傷で拿捕した同盟戦闘機スパルタニアンだが、機体に登録されたただ一人のパイロット以外が乗り込むと、電気ショックで盗人を気絶させるようになっている。
しかし、ラスターにはセキュリティを破るだけの相棒がいた。それがマーリン・マザーなのだ。海賊業でぼろ儲けできる。
無人機動艦隊……それがラスターの目論む最大の計画だった。
軍のお偉いさんは、とんでもない誤解をしている。軍事費は艦船のようなハードウェアより、消耗品としての――将兵とその働きも含む――ソフトウェアの方がはるかにかかる事実を。
電算機制御の無人艦なら、消耗物資を大幅に削減できる。確かに無人艦の機動処理アルゴリズムの構築は一大ソフトウェア、莫大な開発費がかかるが、ひとたび出来上がったソフトはあらゆる艦艇に無料でコピーできる。
しかもなまじ人がいないだけ、居住スペースを無くして武装を強化ないし艦を小型化できるし、戦闘の際は人体に耐えられないGも掛けられる。
この開発は極秘に進められていた。戦術機動パターン入力をラスターの指揮の元マーリンがトレースし、そのデータをもとにアルゴリズムはラスターの故郷の恒星系小惑星の造船ドッグにあるマーリンのマザー機と相談しつつ作成、コード化は完全にマザーが行っていた。
造船ドッグでは、三隻の巡洋艦と九隻の駆逐艦が建造中だ。いずれも、後二カ月以内に就航予定。ラスターは少佐にしてささやかな艦隊司令官というわけだ。いずれはライン生産し、数百艦艇を量産するのが目標だ。
なぜこんな費用と時間と労力を必要とするプロジェクトを立ち上げたか……。
二等兵として艦艇整備と制御プログラミングを担当していた自分には、生き残れるか否かは運と司令官の采配次第だからだ。兵士には自分の運命を左右する権限は持たされない。
司令官なら全軍撤退の司令も下せるが、一介の下士官兵が逃げ出したら敵前逃亡として即銃殺だ。例え敵に間違いなく殺されることが分かっていても、逃亡は許されない。
だから母星の若者には、成す術なく生と死の狭間をさまよう絶望感を味あわせたくなかったのだ。富豪の生まれとはいえ一平民、一兵士上がりとしての誇り……
「我に敵なし」ラスターは独白していた。「ブレード・フォン・ラスターに勝るものなし。我がマーリンに乾杯!」
ラム酒を一気に飲み干し、マーリンに身振りでお代わりを頼んだ。新たなグラスはすぐに来た。
マーリンは問う。「他にご注文はありませんか、私の閣下」
「権力、財産、美女あって人生なんぼよ。我は満ち足りている」
「権力は門閥貴族に遠く及ばず、財産は軍事費に消えてなくなり、ついでに閣下に彼女いらっしゃいました?」
ラスターはラム酒にむせた。
3 飼い犬の悲しさ
もう一年半前になるな。とある金持ち……否、大変な権力を持つおそらく門閥貴族の御令嬢は、先天的な遺伝子欠陥を持っていたらしい。もしやリッテンハイム侯爵の息女、サビーネ? いやそんな立ち入った事は詮索すべきではない。
それを延命するブツ――薬だか移植用臓器だか分からないが――を極秘裏に輸送する任務を負ったのだ。功により、ラスターは平民にして帝国騎士(ライヒスリッター)の称号を手に入れた。
正直なところ、たかだか一度の密輸任務でそれだけ厚遇されるとは、十五で徴兵され二等兵から四年間、曹長になるまで勇猛に戦い抜いた自分を馬鹿にしている。
ブレード・ラスターは「卿」の称号を得たと同時に、辺境惑星の大地主の次男――長兄は戦死していた――である自分の地位と、豊かな自分に金をたかりに来る領主の放蕩貴族の権力で、曹長から一気に二十二歳にして少佐となった。
同時に、私財を惜しまず投じ旗艦「マーリン」を建造した。その戦艦に乗り込み、勇んで初めて艦長として臨んだ戦いが、アスターテ会戦というわけだ。
率直なところ、ラスターはここまで完勝するなどと思いもしなかった。司令官ローエングラム伯の命令で戦端を開いたとき、正面の同盟第四艦隊には勝てるな、とは思ったものの、続いて第六艦隊まで全滅させるとは予想外だった。後はなりゆき、勢いに任せて自然に勝てるはずと確信した。
だから単独行動を志願し、第六艦隊の掃討任務を請け負った。実際は人質にできる捕虜の収容と、まだ使える兵器の鹵獲をしたかっただけなのだが。自嘲するが、これでは正に海賊だ。
そんなとき、戦場で初めて実直に生きる漢を見た……コルセア船長。フェザーンにあれだけの度量を有する人物がいたとは。
ラスターはコルセアに、人質にしていた同盟士官を引き渡すと同時に、まだ生存者のいる可能性のある宙域情報を提供していた。
「世の中捨てたものではないな、なあマーリン……」ラスターは艦に話しかけていた。
旗艦マーリン。艦長ラスターを除けば完全な無人艦の電子化されたこの艦に。マーリンとは中世騎士物語の魔術師を指す。ラスターはアーサー王ならずとも、円卓の騎士最強のランスロットたることを夢見ていた。だから目下目標とするのは……無論、二十歳で元帥になった金髪の青年に決まりなのだが。
マーリンは流暢な英語で――帝国の独語ではなく――質問していた。「私の閣下、シャワー浴されます? それとも食事?」
「ラム酒をくれ。ストレートで」
「それは、それだけではお身体に障ります。オードブルをお付けしますね」
「ラム肉を出す気ではないだろうな」
「閣下の御歳には、そのジョークはまだ早いですよ。ツナの角煮でいかかです」
「悪くないな」
「悪くない? もっとお褒め下さってもよいではありませんか」
「ああ、先年亡くなったオールド・メイドよりは良いチョイスだ」
「それは亡くなられた方に不謹慎と思います。それともジョークですか、オールド・メイド(ババ抜き)だけにジョーカー」
「ああ、いや。彼女は認知症でね。いちおう買い物や料理はできるんだが、昼食にハムカツサンドと野菜サンドしか作らなかった。ツナサンド、卵サンドやチーズサンドは一切抜きだ。解るかい?」
「人間で言うこだわりとか、閣下への思いやりがあったのだと思います」
「単純な話さ。彼女は食べ物を『肉と野菜』、それしか頭になかったんだ。歳を取るのは怖いね」
「その怖さは私にはわかりませんが……では、ラム酒はやめましょう。酒は脳を溶かします」
「マーリン、お気遣いは嬉しいのだがね。君にまで偏屈な対応されたら我は破滅だよ」
「私こそ自分の人格創造に限界を感じています。人間の言う曖昧さにジョークをミックスされては、致命的なエラーを起こしかねません」
「オーバーホールがひつようかな……だが我はきみのキャラクター性に満足しているよ」
「ありがとうございます、私の閣下」
指揮卓上にラム酒のグラスが届いた。ツナの角煮は、パンでサンドされていた。これはマーリンの親切なのかジョークなのか、質問は避けしばしラスターは苦笑していた。
ツナサンドは、香ばしいスパイスがピリりと効いていて美味かった。上等なラム酒も強烈に喉を焼いていて、ラスターは戦勝に浸っていた。いまさら、本隊ローエングラム艦隊の帝都星オーディンへの凱旋には間に合わないが、ラスターは満足だった。
このときちょうどラスターのもとへ、ラスターの母星防衛任務が下された。オーディンに来るな、といわんばかりのふざけた命令だが、ラスターには好都合だった。
ついでに、待遇も通信された。戦い抜いたというのに、昇進も勲章も無し。まあやむないだろう、前任者の上官が戦死してくれなければ昇進先のポストが空かない。帝国は今回勝ち過ぎたのだ。
おまけに、同盟第二艦隊との交戦に参加しなかった事実がある。意外にも兵力に劣るはずの第二艦隊は、帝国艦隊と五分に戦ってのけたのだ。両軍とも一、二割ほどの損害で、痛み分けだった苦戦。だから非難されても文句は言えない。
敵の司令官代理……ファイルを検索してみた。エル・ファシルの英雄ヤン・ウェンリーか……この戦果はまぐれではないな。
鹵獲した兵器だが、実は両軍とも敵の手に渡らないように、セキュリティがされている。
例えば今回七機も無傷で拿捕した同盟戦闘機スパルタニアンだが、機体に登録されたただ一人のパイロット以外が乗り込むと、電気ショックで盗人を気絶させるようになっている。
しかし、ラスターにはセキュリティを破るだけの相棒がいた。それがマーリン・マザーなのだ。海賊業でぼろ儲けできる。
無人機動艦隊……それがラスターの目論む最大の計画だった。
軍のお偉いさんは、とんでもない誤解をしている。軍事費は艦船のようなハードウェアより、消耗品としての――将兵とその働きも含む――ソフトウェアの方がはるかにかかる事実を。
電算機制御の無人艦なら、消耗物資を大幅に削減できる。確かに無人艦の機動処理アルゴリズムの構築は一大ソフトウェア、莫大な開発費がかかるが、ひとたび出来上がったソフトはあらゆる艦艇に無料でコピーできる。
しかもなまじ人がいないだけ、居住スペースを無くして武装を強化ないし艦を小型化できるし、戦闘の際は人体に耐えられないGも掛けられる。
この開発は極秘に進められていた。戦術機動パターン入力をラスターの指揮の元マーリンがトレースし、そのデータをもとにアルゴリズムはラスターの故郷の恒星系小惑星の造船ドッグにあるマーリンのマザー機と相談しつつ作成、コード化は完全にマザーが行っていた。
造船ドッグでは、三隻の巡洋艦と九隻の駆逐艦が建造中だ。いずれも、後二カ月以内に就航予定。ラスターは少佐にしてささやかな艦隊司令官というわけだ。いずれはライン生産し、数百艦艇を量産するのが目標だ。
なぜこんな費用と時間と労力を必要とするプロジェクトを立ち上げたか……。
二等兵として艦艇整備と制御プログラミングを担当していた自分には、生き残れるか否かは運と司令官の采配次第だからだ。兵士には自分の運命を左右する権限は持たされない。
司令官なら全軍撤退の司令も下せるが、一介の下士官兵が逃げ出したら敵前逃亡として即銃殺だ。例え敵に間違いなく殺されることが分かっていても、逃亡は許されない。
だから母星の若者には、成す術なく生と死の狭間をさまよう絶望感を味あわせたくなかったのだ。富豪の生まれとはいえ一平民、一兵士上がりとしての誇り……
「我に敵なし」ラスターは独白していた。「ブレード・フォン・ラスターに勝るものなし。我がマーリンに乾杯!」
ラム酒を一気に飲み干し、マーリンに身振りでお代わりを頼んだ。新たなグラスはすぐに来た。
マーリンは問う。「他にご注文はありませんか、私の閣下」
「権力、財産、美女あって人生なんぼよ。我は満ち足りている」
「権力は門閥貴族に遠く及ばず、財産は軍事費に消えてなくなり、ついでに閣下に彼女いらっしゃいました?」
ラスターはラム酒にむせた。
3 飼い犬の悲しさ