美嶋は俺の視線の意味に気付いたらしい。からかうように言う。「不知火、きみは決して、全体の大局を見通す戦略家ではなかった。空戦においての技量もさしてない。一点、進退を判断する予見の才があった。どんなに卓越した武道家でも、計略に掛かれば素人と変わらない。きみはそれを察知してしまう。その才を今回も生かせよ」

 なんのことやら。ともあれ命の関わらないゲームにおいて、戦争はスポーツ同様芸術化され文化といえる。ひさびさのガチ、愉しませてもらった。
 が、まだ終わりではない。今度は警察が相手だ。パトカーはご大層にも九台も到着し、中から警官が二十名ほども出て来た。「おとなしくしろ、貴様等を傷害その他、集団での暴力行為の容疑で逮捕する!」
「逮捕? 僕やだ」三歳児よろしく時雨は駄々をこねている。可愛げのあるところが小憎たらしい天上天下無双のエース。
 思いもかけないことに、警官連中はいきなり拳銃を向けて来やがった! 暴徒鎮圧用のゴム弾だな。こんなこと通常ありえない。どうやら背後にカスの保護者、大物フィクサーがついているな、犬どもめ!

 霞は進み出ると、両手を広げ時雨をかばった。「やめて! この人はなにも悪くないわ、わたしたち見ていたもの」
「僕ちゃんは女の後ろに隠れたりしないよ」と、時雨は言うや冬月の背後に回った。
 冬月は叫んだ。「だからって俺を盾にするな! 人でなし!」
「これも給料の内だよ」
「あんたには血も涙も無いのか!」
「きみは警備員だろ、警察でもなんでも戦って僕ちゃんの身を守れ!」
「卑怯者、自分だけ助かればいいのか!?」
「葬式には出る。線香の一本くらいはしてあげなくも」
「うそつけ、おまえ無神論者どころかサタニストだろ!」冬月は悲鳴を上げた。
「ほっとこう、霞」俺はやれやれと言った。時雨の所業は鬼、悪魔を超え魔王と言っていいな。まさにラスボス。誰か倒してくれよ、ハッピーエンドが始まるぞ。
「腰抜けくん! それでいいの?」
「少し待てば情勢が変わるさ」

 緊張した……訂正、間の抜けた数十秒が、経過した。お堅い警官連中は、まさかこの世にここまでの『邪悪』があるとは思いもしなかったらしい。
 突然、警官は「任務中止、撤収!」と叫ぶとパトカーに乗り引き上げ始めた。
「どうしたのかしら」
「そうか」と、キリング。「神無月ですね、かれが守ってくれたんだ」
「そう、神無月」俺は複雑な想いで空を仰ぐ。「電脳世界の神。あいつがいる限り、俺たちは無敵さ。よくやるよな、警察をも動かせる政財界の大物相手に単騎。あとはどうする?」
 霞の目が輝いた。「わたしなら、帰る前に校内を軽く清掃したいところね」
「賛成です、お嬢さん」キリングは左右に頭を振り、首の骨をコキコキ鳴らした。
 冬月はぐったりしている。美嶋は余裕で口笛を吹いている。時雨は、「仕事に戻るね」と校内に入ろうとした。するとけばけばしい髪型服装の生徒、七、八人がやってきた。また一戦か……とはいかなかった。大勢での弱いものいじめしかできない生ゴミ連中だ。

 ゴミは吼えている。「これで終わりと思うなよ! 俺たちの先輩にはバケモノがいるんだからな! 身長二メートルを超す大巨人、怪力で血も涙もないケダモノのような男。かつてこの学校をシメていた。いまじゃ大暴力団の幹部だってよ。そいつを呼ぶからな」
 やれやれ。虚栄心はあっても自尊心のない連中だ。こんなガキ相手に馬鹿らしいな。
「こうなったら、行き着く先は決まったな」俺は面子を見回した。互いに目を交わし、うなずきあう。
「受けてやろうじゃないの」決然と言う霞。
「ことわざでは、毒喰らわば皿までといいますからね。意味わかりませんが」キリングも同調した。
 一方、美嶋は苦笑している。ひとりつぶやく。「いつになったら、みんな真実にたどり着くのかな」
 時雨はなにも言わなかった。誰かとメールしている。


 ……二時間が経過していた。もう夕方だ。傾いた日が紅く、校舎を照らしている。
 俺たち六人は校庭に座り込み、ずっと待っていたが、霞はしびれを切らした。「来ないわね、バケモノとやら、来ないじゃない!」
 俺も同意した。「来ない。単なるはったりだったんじゃない?」
「そういえば、時雨ちゃんはさっきからなにメールしているの?」
「僕の後輩から連絡を受けたんだ、なんでも学校を荒らしに来たヤツがいるらしくて。でもさっきからずっとここにいるのにね、そのチンピラ連中ってどこにいるのさ。そもそも後輩ってやつらも出迎えないし。冷たいよね」

 はへ? 俺と霞は一瞬、視線を交わした。一同の目は時雨に注がれる。
 霞は唖然と言った。「というか、まさかバケモノの先輩って!?」
 俺はふかぶかと嘆息していた。うわさとは尾ひれがつくものだが。まんざら嘘ともいえん。『血も涙もない』=時雨は喧嘩で泣いたことなんか無いのだろう。『けだもののような』=たしかに小動物じみた外見をしている。『この学校をシメて』=風紀委員長。
 加えて『大暴力団の幹部』か。=? 時雨は幹部候補時代、前線で○暴対策班だったというからやくざとタメ張れる、つ~かやくざそのもの。といえばやくざは名誉毀損で訴えるだろうな。あきれて言葉もないもんだ。
 時雨は一人きょとんと、拗ねた声を出している。「僕もう帰ろうかなあ、おなか減った」

「ズレた先輩を持つと苦労する」美嶋も気の抜けた声でぼやいた。「子供のお遊びはここまでだな。相手があの時雨ではな。あいつはかつて『歩く原爆』と呼ばれた男だからな」
 キリングが驚きの声を上げる。「原爆? どういう意味です」
「ミスターキリング。広島長崎を思い出してみろ。結論は一つだ」
「リトルボーイにファットマン! 失念していた。単純な謎掛けだ」
「時雨は並みの人間ではないよ」
「そもそも人間だったんですか」キリングはぐったりと人権侵害発言をした。
 霞も驚きの声だ。「それでは、この高校で作られていた核兵器ってこの時雨ちゃん?!」
 キリングは「ジーザス!」と空を仰いだ。「わざわざ来日したのに、とんだ茶番でしたね。それもこれも時雨の発端。ヨウ、ブタヤロウ、ヨケイナテマトラセヤガッテ」

「まあ、なんにせよ不発に終わってよかった」
 美嶋の言葉に、キリングは抗議の声を上げた。「これで不発と言い張るのですか!?」
 冬月はもう泣きそうな声だ。「俺バイト辞める! 時雨、二度とおまえんとこじゃ働かねえよ、疫病神!」
「僕なにか悪いことしたかなあ、ごめんね」相変わらずの間延びした声で、時雨はすまなそうにしている。
 霞もいつになくしゅんとしている。「わたしあの時雨ちゃんの後輩だなんて。喜んでいいものかしら」
 うつむく霞を美嶋は慰めた。「昔とはレベル違うよ。風紀委員長、伝説の裏番のだれかさんの功績で、いまじゃ偏差値が4くらい上がったからな」
 美嶋、知っておいてこのお祭りに加わったのかよ! まったく喰えない上官だ。

 俺は立ち上がった。「俺、帰って自棄酒呑む。やってらんねえよ」
 美嶋も続いた。「ご相伴に与っていいかな、不知火。わたしも飲みたい気分だ。銀座に良い店を知っている。ミスターキリングもどうだ」
「豚肉を肴に飲み会といきましょう。近寄るだけでお馬鹿が被爆しそうですがね。シグレ、イクゾ、コノアルクプルトニウム」
「わ~い、冬月ちゃんも行くよね、来なかったら契約放棄、今日の分の給料あげないよ」
 時雨は能天気に喜んでいるが、冬月はいまやさめざめ泣いている。つくづく悲劇の貴公子だな。この漫才コンビは時雨がボケ役、冬月が突っ込み役だったが。何故かハリセンで頭叩かれるのはいつも後者の方だ。霞が手を引き、冬月を立ち上がらせた。

 俺たち……不知火、霞、時雨、冬月、キリング、美嶋は駅へむけて歩き出した。
 霞は俺によりそうと、腕を組んできた。「みんな素敵な仲間たちだわ。今日は忘れられない日になりそう。不知火くん、現実もそう捨てたものじゃないでしょう?」
「俺には過去というものがない。未来なんてものもないさ」
「また甘えたこと言って」霞は微笑んだ。「思いつづることを、記憶に刻み付けるのよ。いずれ忘れるとしても、世界観が変わっていくわ。世界はきっと心一つで変わるの」
「霞は大人だな」
「あら、腰抜けくんは」霞は腕にぎゅっと力を入れた。「ガキは相手にしないんじゃなかったかしら?」
 
* ステイルメイト 終 *