しめた。インセクトが全面戦闘になるより早く、帝国軍部隊、米軍部隊の主力同士が接触した。たちまち、全体的な編隊を崩し、倒すべき俺という目標に構えなくなり、うやむやな乱闘が始まる。倒すべき敵は互いに二部隊いるのだから。
 この好機を逃すわけにはいかない。美嶋の指揮が鋭く響く。「いまだ! 各機、最大戦速。突入せよ! 乱戦だ。機動性はゼロが上だ、とはいえ一対一の格闘戦に固執するな! 手近な隙のある敵から死角を狙え、わたしに続け!」

 インセクト隊は日米機に襲い掛かった。先陣は『疫病神』こと時雨隊だ。といってもほとんど時雨の独走状態。敵も味方もこの撃墜王に追随できるものはいない。彼の後を追えば、かき乱され崩れた戦列に優位に突っ込む形となった。文字通りの激戦だ。爆発飛散する機。煙を上げきりもみしながら落ちていく機。時雨は戦場を引っ掻き回した。こうして凄腕のサーカス芸で、単騎一個小隊を瞬く間に連続撃墜した時雨が吹いている。「ごめんなさい、悪気はあったんですう。線香の一本くらいはしてあげなくもあるよ」
「ボケてないで部下の面倒を見ろ! いや、おまえの部隊も俺の指揮下に入れるからな! 時雨隊、わたしの指揮に従え」怒りは明らか、語義荒く言い放つ『貴公子』こと冬月は乱戦空域の外側で、支援戦法を取っている。全体の戦況を見極め、一機ごとに細かく司令を放つこの手腕はスポーツマンならではか。
 冬月は命じる。「自分の小隊だけに関わらず、見えた範囲のドッグファイト中の味方を護衛しろ! 二対一なら負けはしない。後ろを守ってやれ」

 対するキリングは大隊全機一斉による壮大な一撃離脱戦法を取っていた。化け猫の火力で戦場を蹂躪している。早口の英語でその指揮はほとんど聞き取れない。「……チャージイントウエネミー、ファイアエンスルー、ランチアゥェイ。オールウィングメン、キャリオン、カマンカマンカマン!」
 五〇機余のベアキャットが馬力を生かし、上空から敵陣に降り掛かる。気付いて回避できなかった日米機は、一瞬にして二〇ミリに粉砕された。対する『キラー』隊は降下速度の余力に任せ余裕で離脱し、損害らしい損害も出していない。再び上空に舞い上がり、再突撃に備える。戦術は上手くいった。

 低空での格闘戦の得意な美嶋のゼロ戦隊と、高空からの高速一撃離脱を信条にするキラーの化け猫隊。互いの能力を生かす連携作戦はみごとな効を奏している。
 低空低速のゼロを狙う機は、キラー隊の奇襲を浴びせられるし、急旋回して速度・機動性を失った機はゼロの敵ではない。美嶋、キリング。機体性能を生かした名コンビだ。
 囮となった爆撃機・雷撃機・偵察機の編隊は、厳重な編隊を組んで後方機銃に賭けている。敵機の苛烈な銃撃に火を噴いても動ぜず編隊を崩さない、爆撃機乗りの心胆はたいしたものだ。被害も多く出たが、その隙に敵機の背後に回る味方戦闘機は効率よく敵機を倒していった。
 乱戦といっても、美嶋の鳳翔隊とキリングのエンタープライズ隊は統一的な指揮を保っている。比べたら、通信を阻害された日米機は数が多くとも混乱している。
 この混戦下にあっても変わらず霞は冷静な声で、中隊に指示を出す。「各機、無理しないで。戦果より生き残ることだけを考えて、後方に注意して」

 美嶋。時雨。冬月。キリング。それに霞……この戦いに負けたら。俺は消えてしまうのか? こいつらは電脳世界だけでの付き合いとはいえ、俺の一部、いやすべてだった。実現実ではなにも成し得ず。ただウォッカの焼ける味のみ。俺は仮想現実のみでの存在なのか……?
「不知火、タイムリミットだ!」美嶋からの通信。「米軍のB29編隊十二機が接近しているのを識別した。VT信管砲弾を搭載しているだろう。戦域に突っ込まれたら、戦闘機に対抗手段は無いぞ! 急げ!」
 俺のゼロは上空一万メートルはるか前方に神無月機震電を捕らえていた。震電は馬力を生かし超高速で俺を狙っている。俺もオーバーブーストし突っ込んでいく。
 神無月は、格闘戦には乗ってこないだろう。機動性では俺のゼロ改の方がダントツだが最大速度差が違いすぎる。どうやってもドッグファイトに持ち込むのは無理だ。
 ここは高度的に不利だが一撃離脱、ヘッド・オンからの正面攻撃しかない! 迂回でもしようものなら、降下による機動力によりあっさりと背後を取られてしまう。敵機はまさに俺に向かい、急降下を始めた。高度一万メートルからのヘルダイブ。

 俺は機首を上げた。神無月も上空から正対して向かってくる。チャンスは一回だ。それを逃せば敵に撃たれずとも、機は失速し態勢を立て直せない。上昇による減速でぐっとマイナスGがかかる。空に向かって、落ちていく感覚。
 勝算は三分といったところか。上等!
 距離二〇〇〇メートル! 相対速度差が時速千キロもあれば、すれ違う時間、有効射撃時間は、わずか〇.三秒も無い。射程の短いミニガンでは不利だ。では、有効射程外からまきびしの様に空へ弾丸をばら撒くか。
 天空へ向け、照準マーカーが俺のお手製HMDに流れていく。それを慎重に操縦し敵機を照準に収め、狙い、ロックする。若干早めに左手で、力の限り発射杷柄を握り締める。
 ジ――!!     五.五六ミリミニガンの軽妙な射撃音が響き渡った。一秒照射、六百六十六発の荒れ狂う銃弾の嵐。輝く弾幕は敵機に吸い込まれていく。

 殺ったか?
 同時に眼前が真っ赤に染まる。爆音が轟く。凄まじい衝撃が俺を揺さぶった。震電三〇ミリ四門の圧倒的な火力砲火が眼前の戦闘機を打ち砕いたのだ。熱い。放射熱が俺の顔を炙る。なんだ? 俺は爆散するベアキャットを愕然と見守っていた。キリング? 彼が盾になってくれたのか! 神無月とは親友だったとはいうが、そいつと俺は違うのに。俺のゼロは無傷でいられた。
「いまの照準。不知火、きみは裏技を使ったな」神無月はクツクツと笑う。「さすがはわたしの少年時代といったところか。どうする、お互い後がないぞ」
「決まっているだろ」俺は憮然といった。すれ違った神無月機を後方に確認する。ミニガンの斉射を受け、煙を引いていた。ヤツは降下した分の速力で上昇しようとしたが、行く手を歴戦の時雨小隊に阻まれた。旋回するしかない。すると自然、速度を損なう。俺のゼロも無理な上昇で速度を失っている。

 戦闘機が、高度と速度、つまり位置エネルギーと運動エネルギーをともに失ってしまう状態は、英語でこう呼ばれる。『ステイルメイト』。
 こうなってしまっては、相手の後ろを取る常道の戦法はできないのはもちろん、逃げることもできない。唯一の手は、機首を敵真正面に向けること。つまり相打ち覚悟で真正面から突っ込むしかないのだ。
 俺のゼロと神無月の震電は旋回、反転し。互いに失速速度ぎりぎりで再びヘッド・オンした。今度は高度が対等だし、たっぷり一秒は射撃時間が取れる。自分と刺し合えば……どちらが生き残る?
「神無月、きみは一つ忘れている」唐突に、金森艦長の声がした。「バベルの塔になりえない学問が、一つだけあるのだ。それは心理学だ。心理学は他の科学とは違う。追従実験が不能という点で、疑似科学とされている。誰にも他人の心の内など読めんよ。
 神無月、きみ自身自分の存在すら見失っている。人間の能力は計り知れない深さを誇る。かつて数学や哲学といった真理を追い求めた人間は、例外なく最後には発狂したがね……きみのように。きみは偉大な改革者だった。未来を担う旗手たりえた。許して欲しい、きみを見捨てることを」

 ここまでの空戦で、参戦したどの軍も半数は脱落していた。勝敗の行方は混沌としている。もはや、神無月との一戦に掛かっている。
 失速し不安定な機体をだましだまし操って、照準する。射撃杷柄をガッと引き締める。点のような影から、みるみる大きくなる神無月の震電。
 銃撃を交える二、三秒は、永遠にも感じられた。俺はなにをしているんだ? 俺はなんのために戦う? 俺には神無月のような輝ける未来も、誇るべきなにものもないというのに。守るべきものも。ただ足掻いていた。俺一人生き延びるため?
 ガッッッッッ!     直撃。三〇ミリただの一発の炸裂で風防が吹き飛び、顔面が寒風にさらされる。身体が、思考が麻痺していく……同時に神無月の震電も俺の弧を描くレーザー銃のようなミニガンに切り刻まれていく。

 ここで負けたら世界は。神無月が主となる? 情報の絶対の検閲官として。人々は彼を解放者と呼ぶだろうか。それとも暴君? いけない。
 だめだ。吼える。声無き叫び……防いでみせる!
 なにが正義かなど、誰が知ろう。俺のミニガンがヤツの機体をドリルのようにえぐる。ヤツの砲撃で俺のゼロは噛み砕かれた。
 炎に包まれる。鈍痛が全身に広がる。五体の感覚が薄れる。身体を撃ち抜かれたか? 俺の意識は遠のいていった。視界が赤い……暗くなる。
「不知火!」「不知火くん!」ゼロが……空が燃えている。口々に俺を呼ぶ声が脳裏に響き……消えた。


ウォーイズオーバー