こうして、日米インセクトの三竦みとなった。数百機の戦闘機が大編隊を組んで、もつれあう糸のように航路を引いていく。追いつ追われつの大空戦の色合いとなる。
 接近して戦端が開かれる前に、どの部隊も慎重に間合いを計り、お互い敵の回りを周回する。できるだけ高度・方位的に優位なポジションを求めようとしているのだ。まだ、銃火は交えられていない。三竦みならではの微妙な戦局。

 霞は神無月に、決然と問い掛ける。「あなたは確かに改革をもたらした。権利と自由を。資産家が私腹を肥やす権利、弱者が野たれ死ぬ自由。あなたのような存在が、どれだけの悲劇を生んだと思っているの?」
「知るか! わたしはエンジニアなんだ。選んだのは市民自身」
「それでは」鋭く言う美嶋。「この混沌とした世界で。人間は戦って生き残る道しか、許されていないとでも言うのか」

「わたしは誰も傷つけるつもりはなかった。人間の文明なんて、とっくに完成され。強さ、美しさ。人類は五千年前には全土を席巻していた。科学技術、医療が未発達でも他の生物との生存競争に生き残れる力を有していた。人間は強すぎるのさ。生きていくのにほとんど戦う必要は無い。戦う、を働くと言い換えてもいい。人間の敵となりうるのは人間だけだ。奪い合い、殺し合い。結局同胞同士で積み木崩ししあうのが文明の行く末だ」
「いま現代社会を支えるに働くのは、生産の向上ではなく肥大化した既存のシステムの保守運営のみくらいで済むはずなのに、それは確かに自明だが!?」

「あらゆる文化は限界を極めることを許されない。いつの時代も人間の文明は、頂点を極めたとき崩壊する。天に届くことを許されないバベルの塔のように。一見異国の異端、野蛮な文明であれ文化侵略は許されない」
「それを防ぐおまえこそがセキュリティ、電脳世界の鍵なのだ。だから野放しにはできなかったのだ、神無月よ!」
「そうさ。かつてのパソコンがフリーズするのは、保守機能だ。ユーザーが想定外の行動、つまり違法行為等を取ると起動するように意図されているが……実際は開発的な仕事をおしゃかにしてしまうことのほうが多い。比べたらウィルスは芸術作品だ。
 ウィルスは一種の抗体であり、有害なソフトを汚染するのに使われる。怪しげなサイトを覗いたときにうつることが多いだろ。
 フィルター、ワクチンも有害になりうる。下手に使えばマシンに余計な負荷をかけ処理能力を低下させ、ときにはフリーズさせてしまう。いわば、コンピューターのかかる白血病さ。それらのすべてを、わたしは一手に引き受けていた」

 通信している最中、俺たちは激戦の直中に放り込まれようとしていた。前衛が接敵する。日米の戦闘機隊との戦闘は、三つ巴の乱戦になる。敵も味方もあったものではない。
 インセクト隊は機体の性能差のおかげでイニシアティブがとれ、有利な態勢から善戦はしているが、全面対決となると戦力差は絶望的だ。戦いが始まるや、次々と炎を噴く敵味方の戦闘機たち。
 あと何分持つ? 俺は編隊を組まなかった。目標はただ一機。単騎戦場を駆け、神無月機を追いまわす。抜け駆けして俺を追尾してきたのもいたが、腕は雑魚だ。半周の旋回後の機銃掃射で一瞬にして蜂の巣にしてやった。弾の無駄を!
 神無月の震電は他の戦闘機には追随できない高空を飛び、降りてこようとはしない。

 キリングは言い放った。「正々堂々勝負しろ!」
「傲慢だな」せせら笑う神無月。「それは力あるものにとっては正義だろう。だが力無きものにとっては独善以外のなにものでもない」
「卑怯者が。敵と対等の条件で戦えないものに!」叫ぶキリング。
 神無月も声を返す。「キリング。おまえのようなエリートに、弱者の胸のうちがわかるものか! 自爆テロも止まないわけだね!」
「神無月、おまえは昔と変わらないな。誰より悪しき力を否定する。誰より愚かな戦いを嫌っている。だからこそ自分自身が絶対的な強者たらんと望むと、わたしは知っている、だから哀れむんだ。理想高い、信念を持つ男。おまえに戦士としての誇りがあるなら」
「戦士は嫌いだ、傲慢だから。史実日本は勝つことだって、できたんだ。太平洋戦争だって経済戦争だって。緒戦から全力で戦い、完膚なきまでに叩きのめしてしまえば。敵に反撃の機会を与えず、一気にもみ潰す。かくて原爆は生まれた。愚かな人間たちの戦いに終止符を打つために。人類の世は人類自身を焼き尽くす! 人の創りし神の意志さ」
「神無月、あなたは狂っている!」霞は涙声になっていた。「あなたは不知火くんに似ている、でも不知火くんは堕落こそしていても人の心は失わなかったわ」

「そうかな? 誰が一番、マンチキンだ?」神無月はクツクツと笑った。「一番良いのは、いまの人類を絶滅させること。それから百万年もすれば、もっと進化した人類よりマシな生命体が文明を持つだろうよ。人は自らの姿に似せ神を創った。本望だろう」
「どうしてそんなに屈折しているの、どうしてそんなに世の中を憎むの?」
「世界が堕落しているからさ、腐っている。わかるはずだ」
「ならばわたしたちは、どうすればわかりあえるの?」

 霞の問いに、俺は答えた。俺はずっと、対話を聞き。神無月の台詞がまさに自分のそれではないかと空寒さを感じていた。「世界が一つの真理のもとに集うなんてありえない。真実は人の数だけある。世の中すべてが正しい理解のもと成り立っているはずはない。成り立てるはずもない。
 絶対の真理なんて、俺は信じないね。自分を正義だと主張する人間のことも。そいつらがなにを考えようと、俺には関係ない。俺は俺の大切なものの為に生きる。俺は存在していてはいけない人間なのかもしれないが……俺は生き抜く」
「そうね。大切なのは今がこの一瞬だという事実だけ。神無月も不知火くんも関係ない。あなたはいまを生きて」
「そうか、不知火。きみには大切な人がいるのだな」神無月の口調がふいに穏やかになった。「わたしにも愛する人がいた。だがわたしは自分の野望により周囲を顧みず、彼女を犠牲にしてしまった。いまはその報いをうけているんだ」
「神無月、あなたは……」霞は声を詰まらせると、悲しげに神無月に語る。「たしかに世界は堕落しているかも知れない。人間は自らの手で自らを貶めた。あなたが立ち上がらずとも、いずれみんな代償を受けるわ。世界から、自然から。そんな人間たちのために、誰にも犠牲になって欲しくないの。神無月、あなたにも不知火くんにも」
「滅び行く人間の世界のために。それでも生きていく人間たちのために」神無月は真摯な声で言う。「せめてお互いの護るべきもののために。一騎打ちといくか。不知火、きみには消えてもらう。きみはわたしの分身だ。わかっているはず。自分とその理想を貫くということは、代償に。どんな犠牲も。自分ひとり地獄に落ちることも厭わないことと」

 神無月は俺を敵機にご指名した。他の連中の手出しは? ないな。インセクト隊は俺の決闘に邪魔が入らないよう、みんな戦っている。
 俺を倒せばゲームオーバーだ。日米各機が、俺を付け狙う。神無月の無線誘導だな、編隊が乱戦状態のまま団子状態になって向かってくる。四百機もの編隊が、こぞって自分に向かってくるんだぜ、これは壮観だな。
 その間にもインセクトの防衛網を突破し、俺に近づいた敵機小隊がいたが、俺は相手にしなかった。全速飛行からのバレルロールで敵の照準からひたすら逃れる。
 残弾を、確保せねばならない。一門二千発、四門八千発積んでいるとはいっても、ミニガンでは十秒ほど斉射しただけで撃ち尽くしてしまう。敵小隊は俺が回避運動を十数秒している間に、他の味方機が仕留めてくれた。
 インセクト隊の半数は護衛艦隊上空を、互いに後ろを守りながら縦列で円状に回遊している。上手い防御陣形だ。こうなると、手を出そうにもうかつに飛び込めないものだ。ただ突っ込んでも、例えこちらを倒せたとしても後方から狙われてしまうのだから。金森司令、やるな。


チェックメイト 下