俺は鳳翔飛行甲板上で、穏やかになびく朝の風を受けていた。
 昨日の襲撃は、米軍空母エンタープライズのものだったらしい。史実開戦から常に最前線で戦い抜いた、強運艦だ。その艦載機指揮官が、キリング少佐か。昨日のような棚から牡丹餅みたいな勝利は、そうそうあり得ない。総力戦ともなると、やっかいだな。
「相変わらず、しけた顔しているわね。不知火くん」霞は声を掛ける。

 俺は以前からの懸念を答えてやった。「戦闘機が無用の長物ともなれば、きみだって気落ちするさ」
「どういうこと?」霞は眉根を寄せた。
「なぜ俺たち元飛龍、現鳳翔搭乗員は戦い抜いてこられたか。わかるかい」
「すべてはゼロの性能ね。美嶋少佐の采配もあるけど」
「そう、俺たちは全機戦闘機部隊だったからだ」
「それはそうよ。戦闘機は敵も戦闘機以外ではそうそう倒せない、空の王者だもの。でも雷撃機も魅力あるわよね。うまく敵戦艦や空母を撃沈すれば、賞金数百万円、まるで宝くじ。生き延びられればの話だけど。きっと、この前帝国空母を沈めた雷撃機パイロットたちなんて、いまごろ有頂天よ」

「ぬか喜びに終わるだろうな」
「え? 何を言いたいの、話が見えないわ」
「B17の件から、ずっと気になっていたんだが。いよいよ近いうちに戦局が変わる。戦術が一変する」俺は説明した。「例のVTヒューズさ。クイーンの投入で、いまやどんな艦船もそれを装備し出している。米軍もインセクトも帝国軍も。VTヒューズの対空砲は、十分な砲門群で網を張れば、雷撃機爆撃機の侵攻をほとんど無力化してしまう。こうなると、航空母艦の存在意義は薄れる。すると戦艦の主砲火力が威力を発揮する。大艦巨砲主義の再来だ」
「戦艦同士の艦隊決戦? それが起こるというの」

「ああ。帝国軍の戦艦、十二隻は健在だしな。大和、武蔵、長門、陸奥。扶桑、山城、伊勢、日向。金剛、霧島、榛名、比叡。帝国の逆襲が始まるだろう」
 霞の目が驚愕の色を帯びた。「わかったわ。戦闘機の任務は、味方の攻撃機を護衛すること。または敵攻撃機を倒すこと。攻撃機が無力化すれば、戦闘機なんて存在の意味が無いわね。艦隊は敵味方とも、戦闘機がいてもいなくても同じ事」
「そうさ。誘導ミサイルなんて開発されない限り、航空機戦闘はステイルメイトに陥る。もちろん、完全に出番が無いわけではない。偵察任務や、対空能力の無い目標。地上施設や敵輸送船攻撃とかならな。戦闘機は徒花となって散り落ちるのみ」
「では、艦隊決戦にはわたしたちは加わらないの?」

「わからないさ。日米の艦隊決戦には航空母艦も投入されるだろう。以前俺の提案したチャフを使う手もあるしな。いずれにせよ、凄まじい消耗戦が予想される。そうなったとき、インセクトがどう動くものやら。激戦は必至だ。現実ならここらで和平案が出ても不思議じゃないが。これはゲームだからな」
「わたしも疑問に思っていたのよ、ずっと前から。アジアの植民地が次々と独立を果たしたいま、日米が戦争をする意義なんてないって。単に惰性で戦っているんだものね。これじゃあ、終戦への決め手は艦隊の全滅くらいしか考えられない。プレイヤー兵士なんて消耗品。だからこそ起こるのね、艦隊決戦」

「そうなると、ゲームオーバーは近いかな」
「諸外国の動きも気になるわね。プロレタリア革命といえば聞こえはいいけど。中国は毛沢東と蒋介石に二分されている。皇軍の参戦が無いから、毛沢東は苦戦している。蒋介石が優位とあれば、台湾の今後もわからない。ロシアではスターリン血の粛清の恐怖政治が続いている。ペレストロイカによる反発もありうる。世界情勢の間隙を縫い、韓国は北朝鮮とは分離せず、一大資本主義自由民主国となった。着実に国力を増しているわね」
「戦いたがる連中には、勝手に積み木崩しさせておけばいいさ。俺たちは俺たちにできることを考える」
「わたしたちインセクトは高みの見物ってわけね。いつまでこの状態が続くものかしら」
「どうかな」

 いまの俺たちの戦力といえば。母艦艦載戦闘機四〇機強、護衛駆逐艦五隻のみ。いまは琉球に駐留しているから、その航空機二二〇機あまりも戦力に入るが。米さんの雷撃機隊の空襲を受ければ、苦戦は必至だな。護衛駆逐艦にはVT信管弾を使った対空砲が装備されているが、それだけでは火力不足だ。
 キリングのエンタープライズは日本との戦いをそっちのけにし。時雨を目の敵にし、おまけに神無月を追っている。やつらの襲撃を持ち堪えられるだろうか。戦局は苦しくなる一方だ。……ゼロはもはや時代の流れに取り残された。
 そんなことを考え、憂鬱になっていたときだった。どやどやと大勢の乗組員が、口々に大声で話し合い始めた。なにか事件らしい。
「硫黄島が陥落したぞ! 米軍上陸部隊が占拠したんだ」
 俺はやんぬるかな、と息をついた。


 数時間後、日米の交戦状況の詳細がもたらされた。圧倒的な国力・資金力を有する米軍は、クイーンを有効活用できる。戦いは小細工無しの力押しだ。
 ヨークタウン・サラトガ・ホーネット・レキシントンを中心とする米空母部隊は、F6Fヘルキャット戦闘機「さかり猫」を主力にし全面に押し出し。この七日間あまり空襲を繰り返す波状攻撃で、すっかり硫黄島の戦闘機隊と地上戦力を消耗させてしまった。B17の爆撃もいうまでもない。そこへ圧倒的多数の陸戦兵の上陸でけりをつけたというわけだ。無論、米さん戦闘機隊だって無傷ではない。泥臭い消耗戦があったようだ。
 硫黄島を防衛した帝国陸戦隊、飛行隊とも全滅か。インセクトに転向して正解だったな。

 民間施設への爆撃は禁止。となると米軍の狙いは次は呉軍港となるな。日本軍も、硫黄島奪還に総力を上げるだろう。またここに、小さな三角形ができた。硫黄島、呉、琉球。互いに目と鼻の先だ。戦局は常に推移する。

 ここで新たな情報が入った。同時進行で別の戦いがあったのだ。
 米空母艦隊が全滅? 主力空母四隻を初め巡洋艦駆逐艦十数隻も撃沈されただと?
 帝国軍は硫黄島を囮にしたのか! 身を潜め敵の疲労のピークを待ち、日本艦隊総力をもってしての大海戦。以前美嶋の言っていた艦隊決戦とは、このことか!
 敵の攻撃機隊を厳重な対空砲火網により寄せ付けず。後退する米艦隊に大胆に追いすがり、肉薄して戦艦の主砲砲撃で空母を沈めるとは。大和の面目躍如だね。
 どうやら、電波照準機を使用したな。この大戦果に対し日本艦隊の損害は艦載機百機余り。つまり航空戦力は半壊したが、艦船は戦艦三隻が中破したに過ぎない。

 史実日本帝国は戦艦同士の決戦を待望していたものだ。が、二戦しどちらも敗れている。帝国ご自慢の戦艦と言えば。大和、武蔵は別格として。長門、陸奥では米戦艦とほぼ互角。扶桑、山城に至ってはすでに旧式で、火力・速力・防御力とも不足していた。伊勢、日向なんて笑い種だ。後方を飛行甲板にし、艦載機が発艦はできても着艦はできない、役にも立たない半空母にしていたのだから。金剛、霧島、榛名、比叡は小型で、速力はあるが火力装甲は弱く、戦艦というよりは重巡洋艦に近い。

「不知火くんの言うとおりになったわね」息をつく霞。
「予想はしていたが、こうも早いとはな。インセクトの次の作戦目標がわからないよ。ここは周到な偵察で、日米の戦艦部隊を相手にしないことだな」
「勝敗の行方は、どう転ぶのかしら。休戦協定が結ばれるとして、非人道的な、あの旧日本帝国軍の軍国主義が続くと思うとぞっとするわ」
「所詮はゲームだからな。霞はあと十日くらいで給料日だろ、それまで生き延びることを考えていろよ。中隊長としての戦果となると、何十万円もらえるかな」
「あと十日。長すぎるわね、死と隣り合わせでは」
「霞らしくない弱気な発言だな。昨日の損害機は完全に補給された。クイーンもさらに融資されたし。戦力は向上しつつあるぞ」
「それがね、期待していた新型機の性能がおかしいの。烈風。わたしたちには使用できないみたい」

「烈風が使用できないとは、どういうことだ?」問い返す。史実烈風はゼロの後継機として開発された超高性能機だ。多額のクイーンのおかげでその開発も終わり、まもなく実戦配備されると聞いていた。
「失速速度が高すぎ、空母の飛行甲板に着艦できないのよ。ましてや小型な鳳翔では。詳しくはスペックを見て」
 俺は書類に目を通した。俺も無論、ゼロに代わる次の機体として烈風を待望していたのだが。
 これが烈風だって? 確かに馬力と最大速度は向上している。しかし機体が重くなったし装甲を重視したために、加速性と機動性は犠牲になっている。これじゃまるでF6Fヘルキャットじゃないか。空母に着艦できないとなると、それ以下だ。
 軽快を持ってなしたゼロの後継機と呼ぶにはあまりにも難がある。高高度や低速度での旋回性能に疑問を感じるな、こんなんで米さんに勝てるのかね。

 これは史実の正式な烈風ではない。その簡易量産型だ。性能をオミットし、単純な構造となっている。廉価で頑丈、整備しやすく稼働率が高いのだけは長所か。まるで旧ロシア機だ。帝国軍の航空母艦の減少と資金不足により、陸上戦闘機に改修されたのか。
「なんだあ、これは。一撃離脱戦闘機じゃないか。対戦闘機用ではない。これはあのB17対策に設計されたらしいな、Bの40ミリ炸裂砲弾ではペラペラなゼロの装甲くらいしか撃ち破れないから。着眼点はいいが、いまとなっては手遅れだ」
「そうなのよ。格闘戦は、経験と技量によって決まる。だからベテランパイロットにしかゼロ戦乗りは務まらない。その点一撃離脱戦法ならね、比較的簡単だから未熟なパイロットでもある程度はこなせる。これからも新米が増えることでしょうしね」
 それはそうだ。だが一撃離脱戦は、奇襲に用いるのではない限り、敵と対等以上の数がなければ有効活用できない。電子装備、レーダーによる索敵技術に劣る帝国軍に使いこなせるものだろうか。寡をもって衆を制す、これはやはりゼロのような格闘戦機だ。
「俺はゼロに乗りつづけるよ。それから裏技を使わせてもらうよ。まず、座席を後ろにリクライニングできるようにする。こうすれば後方視界が良くなるし、より高いGにも耐えられる。霞の紫電改もそうしたらどうだい?」
「現実のドッグファイターみたいな座席ね。良いアイデアだわ」
「それから武装を最新鋭の五.五六ミリミニガン四門に換装する」
「五.五六ミリ? そんな小口径で戦おうというの?」
「ミニガンは分速一万発のバルカン砲だ。一発辺りの性能は旧七.六二ミリに匹敵する。どのみち化け猫並に装甲があっては一三ミリでも火力不足だ。ゼロの二〇ミリは弾数が少なすぎるし。ならばコクピットを狙いパイロットを撃ち抜く。四門あれば一秒照射しただけで六百六十六発だ。小型軽量だし弾は八千発は積める。言うことは無いね」
「そううまくいくかしら。わたしは二〇ミリを使うわよ」
「うまくいくさ」俺はせいぜい、うそぶいた。「誰もが時雨のおっさんや霞お嬢様じゃないからな」


制空戦闘戦 前