夜。那覇基地では琉球解放記念式典が行われた。
『我ら琉球共和国は大日本帝国という組織に所属せず、完全に自由であり、国際連合の一主権国家として存在するものである』、とさ。
空母鳳翔では堅苦しい事抜きに、記念祝賀会つまり宴会だ。
金森母艦長は軽く挨拶すると、乾杯の音頭を取った。同時に、俺はごくりとビールを喉に流し込む。仮想現実の酒は悪酔いするが、それでもそこそこ心地よい。
金森大佐はこの作戦の立役者だ。大胆な戦略構想、的確な司令。インセクトの組織図はどうなっているのだろうか。上層部の正体とその狙いは? 三国志のような三竦み状態を作り、それから何を? 単なる投資家の金儲けの道具にしては、できすぎている。
美嶋少佐は直接ゼロを駆り大隊を率い、本人も二機撃墜した。あの度量にして流石の実力だ。生き延びれば、賞金何百万円貰えるんだろうね。
冬月准尉。昨夜の不幸な「事故」から甦った彼も、中隊を率い善戦した。共同撃墜十一機に対し、彼の部下は一機も失われていない。部下の命を優先するは、彼が貴公子たるゆえん。
時雨准尉。撃墜王なだけあり今回も大活躍した。隼四機撃墜の他、地上銃撃で飛行場の離陸準備中だった敵攻撃機七機撃破とは、反則すれすれだな。
もっともこのおっさんの空戦技量に追随できる部下は無く、彼の中隊は二機を失っている。共同撃墜その他十数機。
その時雨は、美嶋から詰問されていた。離陸準備中だった敵機を、撃破することはなかったと。破壊せず無傷で拿捕すれば、戦力となるのだから。もっとも時雨は馬耳東風。なんら気に病んでいるようすはない。美嶋は諦めて、時雨を解放した。
霞が美嶋に声をかけた。「お疲れですね、少佐。この前といい、今回といい。時雨ちゃんには困ったものね」
「時雨には気をつけろ。あいつは一見なにも考えていないようにみえて」美嶋は意味ありげに間を置くと言い切った。「実際なにも考えていない男なんだ」
「身も蓋もないわね」
「身も蓋もないようにみえて」美嶋はやれやれという。「実際身も蓋もないんだ」
霞はあきれている。「開いた口が塞がらないわ」
「一見口が塞がらないように見えて、あらゆる口を封じてしまう。あいつの恐ろしさはそこにある。傍若無人という言葉は、ヤツのためにある。恐いものなど、ないのだろうな。向かうところ敵無しだよ」
「いつまでもいまの僕と思うな」時雨は酔っ払って吹いている。「三六〇度生まれ変わった僕を見ろ!」
「三六〇度じゃなにも変わらねえだろ!」突っ込む冬月。
美嶋は嘆息した。「時雨の思考ベクトルは虚数だからな、誰にも敵わんよ」
付き合いきれん。俺はジョッキを手に食堂を後にし、飛行甲板へ移った。
「不知火くん」霞が笑いかけてきた。「今日は絶好調だったわね。わたしのスコアは五機。組んで正解だったわ。あなた、空戦指揮官になれるんじゃない?」
「ガラじゃないね。俺は自分の身の安全しか考えないさ。いつまでたっても万年軍曹だよ」
「そうも言っていられないでしょう? あなたの戦果からすると、とっくに二飛曹に昇進しているはずだわ。一飛曹になってもおかしくない。というより、あなた昇進を断ってきたのね」
「余計な責任を負いたくなかったからね。一兵士で十分さ」
「聞いて。さっき辞令を貰ってね。わたしいきなり飛曹長に抜擢されたわ。中隊長、三個小隊を任される。そうなるとね、不知火くんに小隊長を務めてもらいたいのよ」
「俺はきみの護衛機に満足している。霞と一緒なら負ける気がしないからな。おめでとう、霞飛曹長」
「頑固ね。わたしがクイーンなら、あなたはナイト?」
「しがない平のポーンだよ。正面の敵は倒せない、斜め前にしか進めないひねくれ者さ」
「ポーンだったら」霞は微笑んだ。「最後にはクイーンかナイトになれるんじゃない? 闇通貨も神無月の謎も追えるかもね」
「まずは任務をこなし、生き残ることさ」
「そうね。琉球の独立とインセクトへの同盟で、ハワイ・トラック・琉球のトライアングルが完成した。日米の大戦は先日の大空襲で、硫黄島の日本艦隊が壊滅的打撃を受けたけど。決戦に参加しなかった本土の艦艇は、まだ戦意を失っていない。それにね、ハワイを失った事で米軍の補給線は長すぎる。インセクトの次の任務は米軍の補給艦隊の撃滅らしいわ。こうなるとアメリカも、戦力を完全には動かせない。そこをわたしたちが包囲してしまえば。勝敗の主導権はわたしたちにある」
「結局、ステイルメイトさ。クイーンなんてシロモノを考え出したヤツの狙いが分かるよ。日米に消耗を強い、クイーンの払い込みによるキャッシュバックで漁夫の利を得ようというのさ。だがそれだけじゃあ、日米はその国力差であっさり勝負が決まってしまう。そこに現れたのが、このノンセクト・インセクトさ。こうなると、泥沼の戦いは永遠に続くって図式さ。クイーンの投資家は一時的な勝者を予見できる。合法的なインサイダー取引ってわけだ」
「まさにネズミ講ってわけね。不知火くん?」
「だが俺もそれを利用する。賞金目的だからな、ギブアンドテイクさ」俺はそういうと、霞の目を覗き込む。「霞は違うんだろう? 神無月真琴の謎、か」
「そう。今日の戦果でまたクイーンが融資されたわ。新装備が購入できる。でも別のこともできる。情報収集」
「せっかく手に入れたクイーンだ。神無月なんてほっといて、戦力の向上に努めたらどうだい? 賞金も後二十日もしないで、生き延びれば手に入るだろ。ちなみに俺は後四日」
「わたしお金目的じゃないから。少し調べてみたわ。このまえ時雨准尉と戦った米軍指揮官のキリング少佐ね、彼も血眼になって神無月を追っているらしいわ。神無月がわたしたちのすぐそばにいるとなると。またあの化け猫たちとの空戦になるわね」
「神無月真琴は確かに日本人だ。例え生まれが違っても現国籍は。だが、俺たちの部隊とは限らないだろ。帝国軍の生き残った空母にいるかもしれない」
「うわさでは、空母瑞鶴は生き残ったらしいわね。小破程度でもう補修も終わっている。それから新型正規空母、大鳳と信濃が戦列に加わるらしいわ、就航予定を踏み倒して」
「下手をすると、俺たちは。日米を包囲するどころか双方から挟み撃ちだな」
「だからこそ、米軍の補給船団を叩いておくのよ。キリング少佐はあの雷撃機による夜襲の発案者らしいわ。自由な手腕を振るわせたらやっかいね。美嶋少佐並の食わせ者よ」
話がややこしくなってきたな。俺は焦燥感を覚えていた。「焼け石に水」か。日・米・インセクト。いずれにも大量のクイーンがばら撒かれ、新型の登場が前倒しになっている。
これでは際限がないではないか。俺たちは敵も味方も消耗しつつある。しかし消耗以上の供給がもたらされ、戦線の拡大といえばまるで坂道を転がる雪だるまだ。ゲーム中毒者は世界に数多い。投資家連中はぼろ儲けだろうな。
この「戦争」は。終戦を迎えるための決め手を欠いている。
敵戦力の殲滅。不能。人員も装備も無制限だ。正確にはプレイヤーの財布、ひいては参加国の正味財産に匹敵する。
敵国首都の制圧。至難。民間人を巻き込まないというクリーンなルールでそんなことが可能か?
敵戦意の喪失。もしくは和平。ありうるかな。ゲームでは、どうやったって夢物語だ。こりゃ、本当に太平洋戦争は原爆投下まで終わらないのかね。
俺はまた憂鬱になってきていた。ふと霞に聞く。「戦い疲れて虚しくなることってないかい?」
「腰抜けくんらしい質問ね」霞はクスクス笑った。「ないわ。これはあくまで勉強の息抜きの憂さ晴らしだもの。腰抜けくんは賞金目当てに、生活を掛けてやっているから気苦労が多いのよ」
「受験戦争か。俺には縁の無い話だけど」
「まさに戦争よ。それも、濃霧のジャングルの夜戦、っていった感じね」霞は目を逸らせた。遠い目で話す。「敵の戦力、意図、強さ特徴一切不明。味方同士では、足の引っ張り合いの同士討ち。泥沼よ。その点、ゲームならね。この目で倒すべき明確な敵が見える。はるかに気楽だわ。もちろん、ほんものの実戦ならこんな事ありえないけど」
「霞は優等生らしいな。志望は国立か? それとも理数系? 数学物理学に通じていなければ、あれだけの腕にはなれないだろう?」
「不知火くんこそ、どうやら理系ね。戦況判断の的確さからして、確率統計学とか得意そうね。空戦技量からして幾何学も」
「どうかな。正式に学んだ事は無いさ」
霞は思わしげに疑問点を挙げた。「過去のグァム諸島域の日米戦闘履歴、戦端位置と時刻を確かめたけど。単に地理的に見るなら、場当たりとはいえ的確なポイントで、随時戦闘が行われたかに見えるわね、統計学的にいうと、これは戦利に適っているかしら。どう思う?」
「米軍は高性能のレーダーを装備している。帝国に対し、戦力の逐次投入を図ったなら当然の結果だろ。根源事象とまではいかないがね」
「けど。この戦闘空域の緯度経度のXY軸を、時間と距離の二軸に置き換えれば、なんのことはない。これじゃあ、でたらめのポアソン分布じゃない。人の意に欠けるわね」
「行き当たりばったりだな。戦術レベルで功を競い合った結果か。戦略レベルとなると、単なる消耗戦だな。ランダムにもなるわけだ。それもこれも、統一的な指揮の行える司令官の欠如で。こればかりは実戦と違い、私利私欲で自由に行動できるゲームならではだな。統計なんて無意味さ、個々のデータが独立事象なんだから」
「従属事象たりえるわよ、戦力は変わっていくもの。対する以前の米軍雷撃機夜襲。これはみごとに核心を突いてきたわね。あれだけの戦果なのに、雷撃機隊にはほとんど損害はなかった。インセクトの那覇攻略戦もそうだったけど」
「確率論で行くなら、数学的に証明できる仮説とその方程式が必要だ。そんな計算ができるかい? 俺なら単純にランチェスター戦略でいくね」
「ランチェスター戦略?」
「大戦時、エンジニアが考え出した戦闘の法則だ。武器が対等なら、兵力の大きいものが必ず勝つ。損害は、敵味方同数ではない。戦力の大きい側は有利に戦え損害も少なくなる」
「だったらインセクトのような小部隊には、勝ち目はないということ?」
「全面対決なら、な。が、打開策はある。損害を敵味方同レベルにすることは可能だ。弱者の理論。方法は局地戦、接近戦、一騎打ち、一点集中、陽動作戦だ」
「選択肢は五つあるわけね」
「まず、陽動作戦で敵を分散させる。これは成功しているな。局地戦も。加えて肉薄しての一点集中攻撃を仕掛ければ、立場は逆転する。戦術レベルでの勝利は可能だ。武器効率は上だ。同戦力なら、ゼロは負けない」
「勝機はあるってことね」
「そうさ。戦闘経緯が正規分布、ガウス分布じゃないだけ人の意はある。ラプラスは影で笑っているぞ」
その後は、ゲームの戦争を忘れ。数学問題で盛り上がった。ビールのジョッキをがぶり、とやると。とたんにクラり、と揺れるような酩酊感が来る。霞お嬢様も、グラスワインをすすっている。
霞とこれほど長く対話するのは初めてだな。俺はひと時の勝利の美酒に酔いしれていた。
琉球防衛戦
『我ら琉球共和国は大日本帝国という組織に所属せず、完全に自由であり、国際連合の一主権国家として存在するものである』、とさ。
空母鳳翔では堅苦しい事抜きに、記念祝賀会つまり宴会だ。
金森母艦長は軽く挨拶すると、乾杯の音頭を取った。同時に、俺はごくりとビールを喉に流し込む。仮想現実の酒は悪酔いするが、それでもそこそこ心地よい。
金森大佐はこの作戦の立役者だ。大胆な戦略構想、的確な司令。インセクトの組織図はどうなっているのだろうか。上層部の正体とその狙いは? 三国志のような三竦み状態を作り、それから何を? 単なる投資家の金儲けの道具にしては、できすぎている。
美嶋少佐は直接ゼロを駆り大隊を率い、本人も二機撃墜した。あの度量にして流石の実力だ。生き延びれば、賞金何百万円貰えるんだろうね。
冬月准尉。昨夜の不幸な「事故」から甦った彼も、中隊を率い善戦した。共同撃墜十一機に対し、彼の部下は一機も失われていない。部下の命を優先するは、彼が貴公子たるゆえん。
時雨准尉。撃墜王なだけあり今回も大活躍した。隼四機撃墜の他、地上銃撃で飛行場の離陸準備中だった敵攻撃機七機撃破とは、反則すれすれだな。
もっともこのおっさんの空戦技量に追随できる部下は無く、彼の中隊は二機を失っている。共同撃墜その他十数機。
その時雨は、美嶋から詰問されていた。離陸準備中だった敵機を、撃破することはなかったと。破壊せず無傷で拿捕すれば、戦力となるのだから。もっとも時雨は馬耳東風。なんら気に病んでいるようすはない。美嶋は諦めて、時雨を解放した。
霞が美嶋に声をかけた。「お疲れですね、少佐。この前といい、今回といい。時雨ちゃんには困ったものね」
「時雨には気をつけろ。あいつは一見なにも考えていないようにみえて」美嶋は意味ありげに間を置くと言い切った。「実際なにも考えていない男なんだ」
「身も蓋もないわね」
「身も蓋もないようにみえて」美嶋はやれやれという。「実際身も蓋もないんだ」
霞はあきれている。「開いた口が塞がらないわ」
「一見口が塞がらないように見えて、あらゆる口を封じてしまう。あいつの恐ろしさはそこにある。傍若無人という言葉は、ヤツのためにある。恐いものなど、ないのだろうな。向かうところ敵無しだよ」
「いつまでもいまの僕と思うな」時雨は酔っ払って吹いている。「三六〇度生まれ変わった僕を見ろ!」
「三六〇度じゃなにも変わらねえだろ!」突っ込む冬月。
美嶋は嘆息した。「時雨の思考ベクトルは虚数だからな、誰にも敵わんよ」
付き合いきれん。俺はジョッキを手に食堂を後にし、飛行甲板へ移った。
「不知火くん」霞が笑いかけてきた。「今日は絶好調だったわね。わたしのスコアは五機。組んで正解だったわ。あなた、空戦指揮官になれるんじゃない?」
「ガラじゃないね。俺は自分の身の安全しか考えないさ。いつまでたっても万年軍曹だよ」
「そうも言っていられないでしょう? あなたの戦果からすると、とっくに二飛曹に昇進しているはずだわ。一飛曹になってもおかしくない。というより、あなた昇進を断ってきたのね」
「余計な責任を負いたくなかったからね。一兵士で十分さ」
「聞いて。さっき辞令を貰ってね。わたしいきなり飛曹長に抜擢されたわ。中隊長、三個小隊を任される。そうなるとね、不知火くんに小隊長を務めてもらいたいのよ」
「俺はきみの護衛機に満足している。霞と一緒なら負ける気がしないからな。おめでとう、霞飛曹長」
「頑固ね。わたしがクイーンなら、あなたはナイト?」
「しがない平のポーンだよ。正面の敵は倒せない、斜め前にしか進めないひねくれ者さ」
「ポーンだったら」霞は微笑んだ。「最後にはクイーンかナイトになれるんじゃない? 闇通貨も神無月の謎も追えるかもね」
「まずは任務をこなし、生き残ることさ」
「そうね。琉球の独立とインセクトへの同盟で、ハワイ・トラック・琉球のトライアングルが完成した。日米の大戦は先日の大空襲で、硫黄島の日本艦隊が壊滅的打撃を受けたけど。決戦に参加しなかった本土の艦艇は、まだ戦意を失っていない。それにね、ハワイを失った事で米軍の補給線は長すぎる。インセクトの次の任務は米軍の補給艦隊の撃滅らしいわ。こうなるとアメリカも、戦力を完全には動かせない。そこをわたしたちが包囲してしまえば。勝敗の主導権はわたしたちにある」
「結局、ステイルメイトさ。クイーンなんてシロモノを考え出したヤツの狙いが分かるよ。日米に消耗を強い、クイーンの払い込みによるキャッシュバックで漁夫の利を得ようというのさ。だがそれだけじゃあ、日米はその国力差であっさり勝負が決まってしまう。そこに現れたのが、このノンセクト・インセクトさ。こうなると、泥沼の戦いは永遠に続くって図式さ。クイーンの投資家は一時的な勝者を予見できる。合法的なインサイダー取引ってわけだ」
「まさにネズミ講ってわけね。不知火くん?」
「だが俺もそれを利用する。賞金目的だからな、ギブアンドテイクさ」俺はそういうと、霞の目を覗き込む。「霞は違うんだろう? 神無月真琴の謎、か」
「そう。今日の戦果でまたクイーンが融資されたわ。新装備が購入できる。でも別のこともできる。情報収集」
「せっかく手に入れたクイーンだ。神無月なんてほっといて、戦力の向上に努めたらどうだい? 賞金も後二十日もしないで、生き延びれば手に入るだろ。ちなみに俺は後四日」
「わたしお金目的じゃないから。少し調べてみたわ。このまえ時雨准尉と戦った米軍指揮官のキリング少佐ね、彼も血眼になって神無月を追っているらしいわ。神無月がわたしたちのすぐそばにいるとなると。またあの化け猫たちとの空戦になるわね」
「神無月真琴は確かに日本人だ。例え生まれが違っても現国籍は。だが、俺たちの部隊とは限らないだろ。帝国軍の生き残った空母にいるかもしれない」
「うわさでは、空母瑞鶴は生き残ったらしいわね。小破程度でもう補修も終わっている。それから新型正規空母、大鳳と信濃が戦列に加わるらしいわ、就航予定を踏み倒して」
「下手をすると、俺たちは。日米を包囲するどころか双方から挟み撃ちだな」
「だからこそ、米軍の補給船団を叩いておくのよ。キリング少佐はあの雷撃機による夜襲の発案者らしいわ。自由な手腕を振るわせたらやっかいね。美嶋少佐並の食わせ者よ」
話がややこしくなってきたな。俺は焦燥感を覚えていた。「焼け石に水」か。日・米・インセクト。いずれにも大量のクイーンがばら撒かれ、新型の登場が前倒しになっている。
これでは際限がないではないか。俺たちは敵も味方も消耗しつつある。しかし消耗以上の供給がもたらされ、戦線の拡大といえばまるで坂道を転がる雪だるまだ。ゲーム中毒者は世界に数多い。投資家連中はぼろ儲けだろうな。
この「戦争」は。終戦を迎えるための決め手を欠いている。
敵戦力の殲滅。不能。人員も装備も無制限だ。正確にはプレイヤーの財布、ひいては参加国の正味財産に匹敵する。
敵国首都の制圧。至難。民間人を巻き込まないというクリーンなルールでそんなことが可能か?
敵戦意の喪失。もしくは和平。ありうるかな。ゲームでは、どうやったって夢物語だ。こりゃ、本当に太平洋戦争は原爆投下まで終わらないのかね。
俺はまた憂鬱になってきていた。ふと霞に聞く。「戦い疲れて虚しくなることってないかい?」
「腰抜けくんらしい質問ね」霞はクスクス笑った。「ないわ。これはあくまで勉強の息抜きの憂さ晴らしだもの。腰抜けくんは賞金目当てに、生活を掛けてやっているから気苦労が多いのよ」
「受験戦争か。俺には縁の無い話だけど」
「まさに戦争よ。それも、濃霧のジャングルの夜戦、っていった感じね」霞は目を逸らせた。遠い目で話す。「敵の戦力、意図、強さ特徴一切不明。味方同士では、足の引っ張り合いの同士討ち。泥沼よ。その点、ゲームならね。この目で倒すべき明確な敵が見える。はるかに気楽だわ。もちろん、ほんものの実戦ならこんな事ありえないけど」
「霞は優等生らしいな。志望は国立か? それとも理数系? 数学物理学に通じていなければ、あれだけの腕にはなれないだろう?」
「不知火くんこそ、どうやら理系ね。戦況判断の的確さからして、確率統計学とか得意そうね。空戦技量からして幾何学も」
「どうかな。正式に学んだ事は無いさ」
霞は思わしげに疑問点を挙げた。「過去のグァム諸島域の日米戦闘履歴、戦端位置と時刻を確かめたけど。単に地理的に見るなら、場当たりとはいえ的確なポイントで、随時戦闘が行われたかに見えるわね、統計学的にいうと、これは戦利に適っているかしら。どう思う?」
「米軍は高性能のレーダーを装備している。帝国に対し、戦力の逐次投入を図ったなら当然の結果だろ。根源事象とまではいかないがね」
「けど。この戦闘空域の緯度経度のXY軸を、時間と距離の二軸に置き換えれば、なんのことはない。これじゃあ、でたらめのポアソン分布じゃない。人の意に欠けるわね」
「行き当たりばったりだな。戦術レベルで功を競い合った結果か。戦略レベルとなると、単なる消耗戦だな。ランダムにもなるわけだ。それもこれも、統一的な指揮の行える司令官の欠如で。こればかりは実戦と違い、私利私欲で自由に行動できるゲームならではだな。統計なんて無意味さ、個々のデータが独立事象なんだから」
「従属事象たりえるわよ、戦力は変わっていくもの。対する以前の米軍雷撃機夜襲。これはみごとに核心を突いてきたわね。あれだけの戦果なのに、雷撃機隊にはほとんど損害はなかった。インセクトの那覇攻略戦もそうだったけど」
「確率論で行くなら、数学的に証明できる仮説とその方程式が必要だ。そんな計算ができるかい? 俺なら単純にランチェスター戦略でいくね」
「ランチェスター戦略?」
「大戦時、エンジニアが考え出した戦闘の法則だ。武器が対等なら、兵力の大きいものが必ず勝つ。損害は、敵味方同数ではない。戦力の大きい側は有利に戦え損害も少なくなる」
「だったらインセクトのような小部隊には、勝ち目はないということ?」
「全面対決なら、な。が、打開策はある。損害を敵味方同レベルにすることは可能だ。弱者の理論。方法は局地戦、接近戦、一騎打ち、一点集中、陽動作戦だ」
「選択肢は五つあるわけね」
「まず、陽動作戦で敵を分散させる。これは成功しているな。局地戦も。加えて肉薄しての一点集中攻撃を仕掛ければ、立場は逆転する。戦術レベルでの勝利は可能だ。武器効率は上だ。同戦力なら、ゼロは負けない」
「勝機はあるってことね」
「そうさ。戦闘経緯が正規分布、ガウス分布じゃないだけ人の意はある。ラプラスは影で笑っているぞ」
その後は、ゲームの戦争を忘れ。数学問題で盛り上がった。ビールのジョッキをがぶり、とやると。とたんにクラり、と揺れるような酩酊感が来る。霞お嬢様も、グラスワインをすすっている。
霞とこれほど長く対話するのは初めてだな。俺はひと時の勝利の美酒に酔いしれていた。
琉球防衛戦