早朝六時。作戦は開始された。ちなみにインセクトの機体は、昨夜の内に塗装変えが終わっている。灰色の下地に蜘蛛の脚をデザインした、黒色の八帯の線が翼に描かれている。この塗装は、昨夜の時雨のスピットファイア隊にもなかった。事前に知っていれば、余計な犠牲を出さずに済んだものを。

 鳳翔戦闘機隊は、直ちに出撃した。三十九機の大隊。
 指揮官は美嶋少佐直々だ。作戦を再確認する。「攻撃目標。一、敵航空機。二、敵の軍事施設。民間施設は対象外だ、目標に注意せよ。なお、基地軍港には帝国艦隊が駐留している。これらは味方爆撃機隊に任せよ。その護衛も忘れるなよ」

 敵機は陸軍戦闘機の隼か。隼は開戦前の模擬空戦で、ゼロ戦に完敗している。速力、火力、機動性ともゼロに劣るのだ。まあ装甲はさすがにゼロよりはあるだろうが、気休め程度のシロモノだ。それに97式艦上攻撃機。もし出てくるようなら鳳翔が雷撃されないよう、早めに叩くべきだな。総数では俺たちは三割程度劣るが、機体の性能、搭乗員の技量士気は上のはず。

 北上を続け、二十分後。沖縄が見えてきた。俺は地理、磁極偏差知識を必要とする航法は詳しくない。那覇基地までは誘導に従う。上空四千メートル。敵雷撃機隊はいないようだ。カモ狩りのできる機会だったのに。
 すでに戦いは始まっている。黒煙が昇っているのがところどころに見える。陸上戦が熾烈となっているようだ。
 さらに接近し視認する。高度千五百メートル付近の低空で、百機あまりの大編隊が、入り乱れて飛んでいる。琉球軍と帝国軍の戦闘機だな。炎上し落ちていくのは、敵だろうか味方だろうか。

 少佐から命令が下される。「援護に向かう。先手を取るぞ、全機最大戦速。突入せよ! あとは小隊ごとに散開、各小隊長の指示に従え」
 俺たちインセクト隊は、手際よく散開した。
 霞の指示が届く。「向かうわよ、お坊ちゃん二番機、腰抜け三番機。乱戦になるわ、背後に気をつけて、それから味方機への誤射もね」
 やや上方から、背後に無警戒な敵隼小隊を捕らえる。霞は突貫を指示した。降下し助速をつけ時速三百二十五ノットであっというまに敵のケツにつける。至近距離からの機銃斉射。決まった! 霞小隊は仲良く一機ずつ、敵小隊三機を撃墜した。勝って当然の簡単な『据え物斬り』。空戦とは本来こうでなくてはな。俺はヒュウと口笛を吹く。

 だが乱戦ともなれば、悠長な事は言っていられない。俺はこちらを狙っている敵小隊を発見していた。警告する。「霞、四時半の方向に三機。こっちに向かっているぜ!」
「右とは嫌らしいわね。上昇してインメルマンターンで対処!」
 小隊は直ちに宙返りに入る。右が嫌らしい、といったのは。プロペラ機の旋回性能はプロペラの回転方向により左右違うことからなのだ。右旋回は左旋回より旋回速度が劣る。
 敵小隊はついて来ていた。俺たちの背後を狙う形で巴戦に入る。しかし隼では俺の小隊に敵うはずもない。まして霞お嬢様は紫電改だ。二周くらい旋回を繰り返したところで、攻守の立場は逆転していた。敵小隊は敵わぬとみるや、左急降下で離脱に入った。

 そんなものは手遅れだ。俺はロールしながら逃げていく敵機を慎重に照準に収め、機銃を放った。敵尾翼は破損し、機体はきりもみ降下していった。三十機目!
 見れば霞は他の二機もあっさりと片づけていた。
 十分な戦力と優秀な機体、的確な指揮があれば空戦はこうもあっけないものなのだ。内部分裂の起きた那覇基地の敵機パイロットは士気が低い。俺は周囲を確かめる。もはや明らかに、味方が圧している。これならどこから手をつけても、好餌にできるだろう。

 だが俺は空戦が始まったときから、特に上空に警戒していた。この空戦は低空すぎる。どこか高空からもしや、と常に思っていたのだ。それをまさに発見した。乱戦空域からやや離れた、上空七千メートルの六機。
 あれは雷電か。俺もこの前性能を試した、馬力と火力重視の高性能機。米軍のB17を上回る『超空の要塞』戦略爆撃機B29の迎撃にも利用され、少しは抵抗した機体だ。一撃離脱戦を取られればゼロでは敵わない。この空戦に加わっていないってことは、こちらの爆撃機を狙っているな。

「霞」俺は声を掛けた。「この前の借りを返してやるよ。上空の雷電に向かい、攻撃を掛けよう。俺が囮になって低空に誘い込んでやるから、その隙に背後からかましてくれ」
 霞は指示に従った。紫電改の馬力を生かし、見る間に急上昇していく。俺は逆方向、雷電に真正面に見つかる形で高度を取った。霞は二番機には遊撃を指示した。坊やめ、文字通り遊んでいやがる。ただ操縦ができるだけで、空戦のなんたるかを失しているな。
 六機の雷電は背後の低空からのろのろと昇って来る俺のゼロを発見したらしい。上方から高度と速度を機動性に変え旋回しつつ急降下し、たちまち攻守の立場を逆転し俺の背後についてくる。俺もフルスロットルで左旋回しながら暖降下、海面すれすれまで逃げる。
 わざと直進飛行しつつ、後方を確認する。敵機の射線に入るや、鋭くフットバーを踏み込んだ。ゆっくりと機体はヨーイングする。これで十分。低空で機を滑らせていれば、絶対にゼロは被弾しない。サムライとして日本より海外に名高い、史実の撃墜王もそう言っている。敵機の銃撃は流れていった。

 俺が囮となっている間に、霞は紫電改ならではの見事な奇襲を成功させた。超高速での一撃離脱。雷電の二機が爆発して吹き飛んだ。他の雷電四機は奇襲を知るや、慌てて上空へ逃げていった。ほっと息をつく。
 霞は降下速度の余力で追撃し、さらに一機に被弾させた。撃墜には至らなかったが、深追いの必要は無い。他のインセクト隊も支援に向かってきてくれたからだ。
 霞は編隊を組み直した。見渡せばもはや、味方しかいない。敵機は劣勢な戦局を諦め、ばらばらに壊走していた。
 美嶋から通信が入った。「那覇基地司令塔を陸戦兵が占拠したとの通告があった。全機帰艦せよ、我々の勝利だ」
 どっと歓声が上がる。勝鬨の声が無線に響き渡った。
 この空戦は敵機五十九機撃墜、地上撃破四十五機。さらに巡洋艦一隻撃沈との結果だった。対する琉球・インセクト同盟は味方の被害八機のみ、圧勝で幕を閉じた。俺が勝ち戦とは珍しいね。


那覇解放