昼間。那覇出撃を明日に控え、甲板上で霞が話し掛けてきた。南国の日差しの照りつけるここにいると、まるでリゾート気分だ。「この部隊は旧日本軍とはずいぶん違うわね、崇高で紳士的で。アジアを侵略しまくって暴虐の限りを尽くし、真珠湾奇襲なんかした史実とは大違いだわ」
「そんなこと本気で信じているのかい?」俺は、はっと息をついた。「当時日本はちゃんと、開戦前に世界に向けて宣戦布告をしたのさ。それをアメリカは隠したんだ。情報操作でね」
「そういう説もあるわね。もう一世紀も昔、真偽は闇の中。勝てば官軍負ければ賊軍というしね」霞の表情が、さみしげに翳った。「そうなのね、戦争って。ほんとうに、ろくでもない」

「そうだな」俺は同意した。「陸軍はともかく。日本の海軍は、幾分紳士的だったさ。攻撃対象は軍事目標のみ。民間の敵船は対象外だった。誤って民間機を攻撃した兵士が処罰された例もある。対する米軍は、日本の民間船も無差別に狙っていた。通商破壊、さ。貨物船はもちろん、旅客船漁船構わず容赦なく沈めていた。対馬丸の悲劇を知らないかい? 学童避難船の。
 それに陸軍だってね。ABCD包囲網の経済封鎖なんかしなかったら、植民地から略奪行為なんてしなかったさ。いや、そもそも日米開戦は無かったね。当時はどこの列強も帝国主義だった。日本だけが侵略者の悪者扱いされるいわれはない。自作自演の満州事変は確かに悪どいが、もし日本が戦わなければ、米帝は中国と大戦争していたさ。世界は大帝国と社会主義国に二分され。日本は辺境の植民地、属領になっていたね」
「でもアメリカの戦後統治は寛大だった。確かに残虐行為もあったみたいだけど。日本は一度、世界一の経済大国にまでなれた」
「勝者は、敗者には寛大なものさ。日本人は、過酷な退却戦を生き延びたのさ。兵士は全滅、士官も総員死刑。それだけの犠牲を払い、民族の誇りを手にした」
「不知火くん……」

「いや、ごめん。変な話になったな。霞、きみはいつまでこのゲームを続ける? 力を知りたかった、というが。もう十分じゃないのか。きみほどの戦士が。おそらく俺ときみが戦えば。俺はきみには敵わない。だがきみも俺を倒せない。そんなきみが何故力の優劣にこだわる?」
 返事は無かった。俺は静かに続けた。「人は石器を手にして以来力を追い求め、槍、弓矢、銃と続いて。ついに手に余る原爆なんて生まれたのさ。いくら強かったって核兵器相手に、どう対抗できる? 力を誇るなんて馬鹿げている。力とはそういうものさ、自らの力に溺れるものは滅びる」
「さすがに一度も落とされたことのないバケモノのご意見ね」霞はクスりと笑った。微妙な複雑な笑みだった。「でもあなたは戦い続ける。そこまで自分に確信が持てるの?」
「ま、三割方はね」
「三割方?」
「人生なんて十に一つも思い通りにはいかない。三割確信が持てれば上々だ。六割なら御の字だね」
「なんといっていいのか。意外と謙虚なのね」
「九割いきゃ神さまだぜ。十割なんて、神が悪魔でも不可能だね」
「わたしは思い上がっていたかもしれない。わたしね、実はある人物を探しているの。神無月真琴。あなたも知っているでしょう? 民主制改革の英雄よ」

「もちろん。神無月について、なにを知っている?」
「偉大な改革者。民衆の解放者となるはずだった、地に落ちた墜天使。数学の天才、孤高にして俗世には縁の無い人。悪いうわさでは、我流の格闘技を編み出しており、繁華街でチンピラ相手に乱闘騒ぎを起こして、中学を半ば放校されていたとか。現在、二七歳。
 なんといっても、神無月は『ソフト』を無料にし、一銭のお金も取らなかったのよ。ひとつあたり一円でもお金を掛けていれば、彼は億万長者になったはずだわ。現に過去OS開発者ヒル=ゲイズは一つあたり数千円のお金を取り、兆億長者になったというのに」
「ふうん。神無月、か。そいつに憧れているのかい」
「若者なら、みんなそうでしょう? 未成年にも参政権をくれた人だもの。皮肉なことに、直接民主制は堕落の極みを見せているけどね。貧富の格差、治安の悪化、風紀の乱れ。その責を問われていた彼は昨年から行方不明になった。暗殺死説も流れているわ。
 でも別の説もある。神無月真琴当人が、このゲームに参加しているって。それでゲームに加わる気になったのよ」
「そのうわさなら俺も聞くよ。投資家として、だろ。クイーンの元締めってうわさもかなり確証高い」
「違うの。どうやらゼロ・パイロット。わたしたちのごく身近にいるらしいのよ」
「はあ?」俺は我ながら間延びした声を発した。「まさか。なんの目的で? 歴史を追体験し国際理解を深める、なんてのは建て前。あくまでゲームの販促宣伝での話。見え透いたプロパガンダだぜ。実際のゲームは仁義無き戦い、一昨夜の時雨殿とキリング少佐とやらの毒舌合戦を忘れたか? ま、敵さんも冗談の分かる国民性で幸いだがね。だがこれだけは言える。このゲーム、賞金制度。さらにはクイーン。これはギャンブルどころか世界のブルジョア階級、資本家どものための合法的なネズミ講さ」
「なるほど。あなたはそれに対抗するために戦っているのね」

 俺は頭が痛くなってきていた。俺はそんな理想家ではない。なんで政治経済の話なんかになったのだろう? 霞お嬢様、優等生め。中学もまともに出ていない俺にはついていけない。精一杯見栄を張る。「俺はマルクス主義なんて知らないね。金だよ、生活のためさ」
「そ。わたし不知火くんが怪しいと思っていたんだけど」霞は意味ありげに目を細めた。
「なにが?」
「神無月真琴の正体。いままで一度も撃墜されたことのないバケモノなんて、ひょっとして」
「まさか。うわさではかの『改革の英雄』は清廉潔癖な青年で、酒も薬も女も一切やらなかったっていうぜ」
「不知火くんは違うの?」
「俺は大酒呑みだしドスケベさ。よく人間の屑って言われるね」
「ふうん。名前からして。「しらぬ、い」ってところが怪しいわ」
「よしてくれよ。俺はそんな器じゃない。安アパート暮らしのよくある引きこもり飲んだ暮れ青年だよ」
「冗談よ、英雄神無月が腰抜けくんのはずないもん」霞はけらけら笑う。
 俺は言い返してやった。「霞、きみこそ。クイーンの名の由来の張本人という点でなにか怪しい。霞隠れの霞の名も」
「オカマ扱いしないでよ」
「真琴は女性の名でもあるだろ。神無月真琴が実は女性だった、なんてことありうるかもよ」
「それを言うなら冬月准尉も名前が似てるし、時雨准尉は歳が近いわね。美嶋少佐なら才能が。まったく。人を疑うときりが無いわね、今日はこのくらいにしようかしら。受験勉強に戻るわ。じゃあね、腹黒三飛曹」霞はゲームアウトした。

 俺は一人、暖かい潮風を浴びながら。これから先のことに思案に暮れていた。
 今日も、何故かウォッカを飲む気はしなかった。


泥試合