夜を迎えていた。うわさでは昨夜の雷撃で、日本の主力空母は七隻も撃沈されたらしい。あくまで、うわさだ。大本営発表では日本軍艦船の損害は軽微だったなんて、吹いている。
だが俺は飛龍、史実ミッドウェイで唯一、一矢報いた殊勲艦があっけなく沈むのを目撃している。他の空母、赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴。それに飛龍の同型艦蒼龍はどうだったろうか。完全に無傷なはずはない。真実なら、帝国機動艦隊は壊滅に等しいじゃないか。
裸となった硫黄島にB17編隊の夜間爆撃が始まった。多数の局地戦闘機が迎撃に上がったが、レーダーを完備した敵防衛スクリーンの前に、次々と撃破されていった。
兵士数十名いるぎゅうぎゅう詰めの、狭苦しい薄暗い防空壕の中に横たわり。俺は二日酔い(正確には飲んだのは今朝だから一日酔いか?)の痛い頭を抱えながら、ズン、ズシン、と響く爆弾の衝撃をいまいましげに感じていた。こんなあなぐらで死んでたまるかよ。だが、俺の『翼』は奪われた。打つ手無しか。
「怖いよう、怖いよう」情けない涙声を上げるのは霞お嬢様……ではなく時雨准尉だ。いい歳してうざったい野郎だ。こいつ本当に撃墜王か? しょせんは仮想現実、子供がお化け屋敷に入るようなものだぞ。
「いまは夜だし頭上に直撃を受けない限り、防空壕はそうそう潰れないぞ。ベトナムでもベトコンはそうやって米軍に打ち勝った」そう時雨を励ますのは、冬月准尉だ。
だが、時雨は拗ねている。「助かんないよう、史実では玉砕だったもん。何故硫黄島にあそこまで、日本軍が執着したかわかる? 敵の飛行基地にされると、皇居を爆撃されるからなんだよ。戦死した兵士の数、何万人に及ぶと思っているんだよう」
「やれやれ。おまえさんは史実だったら不敬罪で銃殺ものだな。朝を待てよ。そうすれば本土から援軍がやってくるさ」
ふと、霞が近づいてきた。俺に紙切れを差し出す。「不知火くん、その援軍の件なんだけど」そっと囁く。「妙な手紙を拾ったわ。わたしたち宛てに。見てみてよ」
読んでみた。
(志を持つ勇士よ、集え。我らは日米、いや世界の軍国主義、帝国主義、全体主義に反対するものである。史実のような愚劣な真似は犯すまい。我らはノンセクト・インセクト。世界の自由と平等と自尊の為に戦うものである)
「なんだ、これは」俺は問い返した。「無所属の虫?」
「クイーンを割いて調べてみたわ。どうやら世界中の有志で結成された独立傭兵部隊みたいなの。規模は一個艦隊に相当するとか。現在は、本拠地をトラック島に置いているらしいわ。ハワイが独立したのもそいつらの仕業。わたしたち、それに誘われているのよ」
「とんだヨタ話だ! 海賊ってわけか」
「不知火くん、声が大きい!」
「聴こえたよ」と、冬月。「その手紙なら俺も拾っていた。だが公にはできなかったんだ。味方を裏切る行為だからな」
「実は僕も」時雨も近づいてきた。「僕なんて三週間も前から誘われていたよ。でも薄気味悪くてね。電信用の周波数も書いてあったよ。どうやらどこか近海に、彼らの空母が潜んでいるらしいし」
これを聞いた防空壕内は騒然となった。ここに詰め込まれているパイロットたち、数十人が口々に声を交わす。どうやらこの謎の手紙は、撃墜王ランキング千位以内か叩き上げの準士官クラスのパイロット、もしくは賞金獲得者に配られていたらしい。
俺たちは三十分ほど、話し込んだ。やがてみんな意見を同じくしていた。座して死を待つくらいなら、賭けてみようと。
『クーデター』は爆撃の続く夜中に決行となった。
俺は重たい三八式歩兵銃を構え、撃針に指をかけていた。
俺たち全員は防空壕から出、飛行場の格納庫へといっせいに駆け出す。爆撃で格納庫の三割方が破壊されていた。その中のゼロは穴だらけだ。吹き飛ばされた対空銃座には、爆死した兵士が無残な姿で幾体も転がっていた。幸い爆音はまだ遠い。急がなければ。
無事な格納庫を見つけるや、そこへなだれ込む。中には防衛要員が五、六名いた。そいつらは無許可な出撃と知ると、俺たちに銃を向け制止の声を上げた。
だが銃を向けていたのは俺たちも同じだった。多勢に無勢、防衛要員は銃を捨てた。味方相手とは、気持ちのいいものではないが。
直ちにゼロに乗り込む。俺たちは出撃準備を済ませると、爆撃ででこぼこになった滑走路を迂回し、どこでもとにかく離陸距離の取れる進路から、次々と飛び上がった。
……
なんとかこの逃避行は成功し。二十分後、俺たちは戦場を避け南に向かっていた。上空三千メートル。空は白み掛けていた。
「だがこれからどうするんだ?」俺は問う。「飛び立ったはいいが、ここからトラックまではいくら驚異的とされたゼロの航続力だってたどり着けないぜ! 米さんの制空圏内を突破しなきゃならないしな」
「不知火ちゃん」と、時雨。「ノンセクト・インセクトと通信が取れたよ。僕たちの参戦を歓迎してくれた上、クイーンを相当投資してくれるって。だから、中立コロニーを経由してフィリピンのマニラ辺りに金を払って補給を求めようよ」
「だがその前に」鋭く言う冬月。「お客さんだぞ! 全機臨戦体制を取れ。前方二時方向に大編隊! 高度はほぼ同じ、同位戦だな。よりによってこんなタイミングで。なにかおかしい」
「ほんとだあ、間違いなく敵戦闘機、百機はいるね。こっちは五〇機弱。子猫ちゃん狩りの始まりだあ!」
「なに喜んでいるんだよ、敵は二倍以上いるんだぞ!」冬月はたしなめる。
と、割り込みが入った。「ソノコエ、ソノヨユウ、エースシグレダナ」突然棒読みな発音の、野太い声がした。「オレハ『キラー』タイチョウ、キリングダ。イマコソサムライラシク、イッタイイチノ、ケットウデケリヲツケヨウデハナイカ、シグレ」
「敵、それもかの『キラー』本人からの通信? 時雨准尉を知っているのか」
「そりゃ僕は有名人だろうね、彼の部下を五〇機は撃墜したもん。でもキリングのやつ、部下を囮にしといていつも背後からの奇襲で僕を撃ち落して、美味しいところばかり持っていくんだよ、嫌な奴。それで僕は返事してやったんだよう、変態のオカマ掘り野郎、部下殺しの臆病者って。そしたらキリング少佐、猛激怒でね」
「そりゃ激怒するわな。この周到な待ち伏せを招いたのはおまえかよ!」冬月は怒鳴りつけた。現在の俺たちは無頼の脱走兵、米軍と戦う理由は無いのだから。「アホかおまえは、疫病神!」
「うん、自分でもそう思う。ヘイ、キリング! ユー・アー・オンリー・ピッグ・ファッカー。ウォント・ユー・リック・マイ・アス? アイ・ダウト・ユア・サニティ」
さらりと言う時雨。俺はうめいた。やり手の馬鹿ほど怖いものは無いな。電話はいまや、敵味方中聞くに堪えないブーイングの嵐だ。
「ユー・フール、ユー・ウィル・ダイ!」「ゴーツー・マッドハウス、クレイジー!」「アイ・ウィル・クラッシュ・ユー!」「ダムダムダム! ドロップデッド!」「サック・マイボール、コックマスター!」「ファック・ユアセルフ、イエローモンキー!」
「もういや!」霞が嘆く。「まったく、ゲーム内まで日米摩擦起こしてどうするのよ。フェアに戦うんでしょう?」
罵声の応酬の中、うやむやの内に大空戦は始まろうとしていた。
インセクト 後
だが俺は飛龍、史実ミッドウェイで唯一、一矢報いた殊勲艦があっけなく沈むのを目撃している。他の空母、赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴。それに飛龍の同型艦蒼龍はどうだったろうか。完全に無傷なはずはない。真実なら、帝国機動艦隊は壊滅に等しいじゃないか。
裸となった硫黄島にB17編隊の夜間爆撃が始まった。多数の局地戦闘機が迎撃に上がったが、レーダーを完備した敵防衛スクリーンの前に、次々と撃破されていった。
兵士数十名いるぎゅうぎゅう詰めの、狭苦しい薄暗い防空壕の中に横たわり。俺は二日酔い(正確には飲んだのは今朝だから一日酔いか?)の痛い頭を抱えながら、ズン、ズシン、と響く爆弾の衝撃をいまいましげに感じていた。こんなあなぐらで死んでたまるかよ。だが、俺の『翼』は奪われた。打つ手無しか。
「怖いよう、怖いよう」情けない涙声を上げるのは霞お嬢様……ではなく時雨准尉だ。いい歳してうざったい野郎だ。こいつ本当に撃墜王か? しょせんは仮想現実、子供がお化け屋敷に入るようなものだぞ。
「いまは夜だし頭上に直撃を受けない限り、防空壕はそうそう潰れないぞ。ベトナムでもベトコンはそうやって米軍に打ち勝った」そう時雨を励ますのは、冬月准尉だ。
だが、時雨は拗ねている。「助かんないよう、史実では玉砕だったもん。何故硫黄島にあそこまで、日本軍が執着したかわかる? 敵の飛行基地にされると、皇居を爆撃されるからなんだよ。戦死した兵士の数、何万人に及ぶと思っているんだよう」
「やれやれ。おまえさんは史実だったら不敬罪で銃殺ものだな。朝を待てよ。そうすれば本土から援軍がやってくるさ」
ふと、霞が近づいてきた。俺に紙切れを差し出す。「不知火くん、その援軍の件なんだけど」そっと囁く。「妙な手紙を拾ったわ。わたしたち宛てに。見てみてよ」
読んでみた。
(志を持つ勇士よ、集え。我らは日米、いや世界の軍国主義、帝国主義、全体主義に反対するものである。史実のような愚劣な真似は犯すまい。我らはノンセクト・インセクト。世界の自由と平等と自尊の為に戦うものである)
「なんだ、これは」俺は問い返した。「無所属の虫?」
「クイーンを割いて調べてみたわ。どうやら世界中の有志で結成された独立傭兵部隊みたいなの。規模は一個艦隊に相当するとか。現在は、本拠地をトラック島に置いているらしいわ。ハワイが独立したのもそいつらの仕業。わたしたち、それに誘われているのよ」
「とんだヨタ話だ! 海賊ってわけか」
「不知火くん、声が大きい!」
「聴こえたよ」と、冬月。「その手紙なら俺も拾っていた。だが公にはできなかったんだ。味方を裏切る行為だからな」
「実は僕も」時雨も近づいてきた。「僕なんて三週間も前から誘われていたよ。でも薄気味悪くてね。電信用の周波数も書いてあったよ。どうやらどこか近海に、彼らの空母が潜んでいるらしいし」
これを聞いた防空壕内は騒然となった。ここに詰め込まれているパイロットたち、数十人が口々に声を交わす。どうやらこの謎の手紙は、撃墜王ランキング千位以内か叩き上げの準士官クラスのパイロット、もしくは賞金獲得者に配られていたらしい。
俺たちは三十分ほど、話し込んだ。やがてみんな意見を同じくしていた。座して死を待つくらいなら、賭けてみようと。
『クーデター』は爆撃の続く夜中に決行となった。
俺は重たい三八式歩兵銃を構え、撃針に指をかけていた。
俺たち全員は防空壕から出、飛行場の格納庫へといっせいに駆け出す。爆撃で格納庫の三割方が破壊されていた。その中のゼロは穴だらけだ。吹き飛ばされた対空銃座には、爆死した兵士が無残な姿で幾体も転がっていた。幸い爆音はまだ遠い。急がなければ。
無事な格納庫を見つけるや、そこへなだれ込む。中には防衛要員が五、六名いた。そいつらは無許可な出撃と知ると、俺たちに銃を向け制止の声を上げた。
だが銃を向けていたのは俺たちも同じだった。多勢に無勢、防衛要員は銃を捨てた。味方相手とは、気持ちのいいものではないが。
直ちにゼロに乗り込む。俺たちは出撃準備を済ませると、爆撃ででこぼこになった滑走路を迂回し、どこでもとにかく離陸距離の取れる進路から、次々と飛び上がった。
……
なんとかこの逃避行は成功し。二十分後、俺たちは戦場を避け南に向かっていた。上空三千メートル。空は白み掛けていた。
「だがこれからどうするんだ?」俺は問う。「飛び立ったはいいが、ここからトラックまではいくら驚異的とされたゼロの航続力だってたどり着けないぜ! 米さんの制空圏内を突破しなきゃならないしな」
「不知火ちゃん」と、時雨。「ノンセクト・インセクトと通信が取れたよ。僕たちの参戦を歓迎してくれた上、クイーンを相当投資してくれるって。だから、中立コロニーを経由してフィリピンのマニラ辺りに金を払って補給を求めようよ」
「だがその前に」鋭く言う冬月。「お客さんだぞ! 全機臨戦体制を取れ。前方二時方向に大編隊! 高度はほぼ同じ、同位戦だな。よりによってこんなタイミングで。なにかおかしい」
「ほんとだあ、間違いなく敵戦闘機、百機はいるね。こっちは五〇機弱。子猫ちゃん狩りの始まりだあ!」
「なに喜んでいるんだよ、敵は二倍以上いるんだぞ!」冬月はたしなめる。
と、割り込みが入った。「ソノコエ、ソノヨユウ、エースシグレダナ」突然棒読みな発音の、野太い声がした。「オレハ『キラー』タイチョウ、キリングダ。イマコソサムライラシク、イッタイイチノ、ケットウデケリヲツケヨウデハナイカ、シグレ」
「敵、それもかの『キラー』本人からの通信? 時雨准尉を知っているのか」
「そりゃ僕は有名人だろうね、彼の部下を五〇機は撃墜したもん。でもキリングのやつ、部下を囮にしといていつも背後からの奇襲で僕を撃ち落して、美味しいところばかり持っていくんだよ、嫌な奴。それで僕は返事してやったんだよう、変態のオカマ掘り野郎、部下殺しの臆病者って。そしたらキリング少佐、猛激怒でね」
「そりゃ激怒するわな。この周到な待ち伏せを招いたのはおまえかよ!」冬月は怒鳴りつけた。現在の俺たちは無頼の脱走兵、米軍と戦う理由は無いのだから。「アホかおまえは、疫病神!」
「うん、自分でもそう思う。ヘイ、キリング! ユー・アー・オンリー・ピッグ・ファッカー。ウォント・ユー・リック・マイ・アス? アイ・ダウト・ユア・サニティ」
さらりと言う時雨。俺はうめいた。やり手の馬鹿ほど怖いものは無いな。電話はいまや、敵味方中聞くに堪えないブーイングの嵐だ。
「ユー・フール、ユー・ウィル・ダイ!」「ゴーツー・マッドハウス、クレイジー!」「アイ・ウィル・クラッシュ・ユー!」「ダムダムダム! ドロップデッド!」「サック・マイボール、コックマスター!」「ファック・ユアセルフ、イエローモンキー!」
「もういや!」霞が嘆く。「まったく、ゲーム内まで日米摩擦起こしてどうするのよ。フェアに戦うんでしょう?」
罵声の応酬の中、うやむやの内に大空戦は始まろうとしていた。
インセクト 後