Bさんの気配無し。それが今朝の索敵結果だった。新たな作戦で今日こそBを殺ってやる、と息巻いていた空母飛龍、戦闘機部隊の隊員たちは拍子抜けした。ここ五日間に渡り間断なく続いていたバケモノの襲撃が無いとは。

 俺は疑った。情報が漏れたのか? もちろん十分ありうる。諜報員がいようがいまいがここは電脳世界。現実での会話や通話から、偶然敵に知られてしまったことも考えられる。それとも故意に情報を売ったか。賞金がらみのゲームは世知辛いね。
 敵戦闘機隊も艦載爆撃機隊も上がってこなかった。俺は嵐の前の静けさを予感していた。偵察攻撃とばかり出撃して行ったやつらもいたが。午前九時、俺は格納庫のゼロを確認すると、一時ゲームアウトした。


 昔パソコン、または携帯と呼ばれていたものは。現在は、単に『端末』か、あるいはまったく名すら呼ばれない。当たり前の物として人間社会に溶け込んでいるのだ。それはモニターとしてはサングラスサイズ(コンタクトレンズタイプもあれば、それより小型版すら存在する)だが、本体としては大きさなんて無視できるナノテクで、人によってはピアスにしたり、指輪にしたりして常に身に付けている。
 この端末は、名の通り巨大な情報化社会の端末だ。集計センターへ繋がれており、個人の体験する見たこと聞いたことのその人以上の情報が大型記録バンクに記録されていく。
 これを個人自由主義の束縛だと批難の声もあったが、普及のあまりの急速さと、装置の利便さ、さらに潔癖とまでいえる公正な保守システムにより打ち消された。
 個人の情報はすべて記録されているとはいえ、それを民間人が閲覧するのは個人情報保護法により厳しく禁止されている。それどころか警察、司法、犯罪捜査にすら、まず閲覧は許されない。無論ハッキングは厳罰だ。

 まったく一面冷酷なようであり、広い視野を持つ寛大な組織だといえる。大っぴらに反体制発言したって、実際にテロを犯すまでは捕まらない。

 普及の第一段階は、某大国情報局が世界すべての電話回線を盗聴し、PC処理の言葉狩りを行いテロ防止に使用していたことだった。それは2010年代、当時の携帯が無料ないし定額制で使える、という経営戦略により飛躍的に促進された。さらにはGPS並びに各種交通パスやETCで、個人情報は隠せないものとなった。民衆は、気付いたときには電脳世界の檻の中に飼われていた小鳥と言える。

 第二段階は、当たり前だがモニターである。主に一般の廉価な普及版はサングラス型をしているが、そのグラスに景色が映るとしては正確ではない。光源を一点に網膜に投射するのだ。これにより、使用者の視界は完全に現実世界から隔離される。
 また、極端な先天的な目の病気で無い限り、単なる近眼や老眼の人も仮想現実では鮮明な視力2.0を得られる。極端な話し、視神経さえ残っていれば目の潰れた人でさえ義眼として利用可能だ。盲人に光を与えたのだから。聴覚その他の感覚システムも同様に発展した。これが20年代でのこと。ここに国連政府並びにマスメディア牛耳る巨大な電脳世界帝国が誕生したかに思えた。過去類をみない中央集権体制だ。

 第三段階は、利権をもくろむ野心家連中の支援で、夢見がちな理想家、一人のハッカーによって生み出された。神無月真琴という名のそいつは、端末の集計システムを利用し民衆が直接議会に参加する直接民主制を打ち立てた。
 それでいまの「戦い」がある。草の根レベルの戦い。五年間の社会の隅でのレジスタンス活動。腐敗し欺瞞に満ちた直接民主制を支配するマスメディアの権威を失墜し、個人自由主義を健全に復活させるのが目的というが。「戦い」、か。

 平和とは戦争と戦争の間のつかの間の夢というが。西暦二〇四〇年のいま、そのつかの間の夢が、日本では百年にも及ぼうとしている。幾多の緊張状態を乗り越えてきたのだ。しかし一世紀前の傷跡。民族主義は現在の世でも、各国に摩擦を引き起こしている。
 それを解消し歴史を再認識するのが俺のするゲームの意義だというが。失笑ものだ。このゲーム内での戦いがどのような惨禍を招くものか。
 現実への影響は? 俺はふと考え込んだ。
 史実過去世界大戦とされたものは、二回に留まっている。この一世紀近く、第三次と呼べるほどの戦争は起こってはいない。人類を十回は滅ぼせる核の傘のもと、大戦後の東西冷戦の構図は、結果として帝国主義の消滅と民族の独立を促した。

 さらに遡ると、産業革命やフランス革命に辿り着く。後者は堕落した議員の権力を求めるもの同士殺しあう血の粛清の恐怖政治に転じ、前者は労働者が搾取されブルジョアが栄える歪んだ繁栄をもたらした。それから紆余曲折、この流れは世界へ広がり。
 虐げられていた労働者階級、人民の平等を謳ったプロレタリア思想は、結果として官僚独裁、思想の自由を縛る社会主義体制へと変わり、資本主義体制と対立した。

 資本主義社会は労働者からの搾取の上に成り立っている、と共産主義者は言うだろうが、民衆個人の自由と権利、なにより豊かさならば、皮肉にも資本主義が勝っていた。自由資本主義は共産党その他の思想の存在を認めるが、共産社会主義はその逆はない。

 民主主義を謳っても、共産圏は結局独裁政権となる。過去とっくに社会主義は経済に駆逐され、消滅した。しかし日本が自由民主主義、資本主義でありながら世界一成功した優秀な社会主義国に見える事実は、時代の皮肉である。
 逆にかつて共産主義であり眠れる獅子と呼ばれていた大国は、実質資本経済体制を整え今世紀冒頭に目覚しい発展を遂げた。一時期は他国から危険視されたが。リベラルな方策の下思想の自由も認められ、国民は権利という名の財産を手にしている。いまや、たらふく喰ってご満悦の獅子だ。
 それもこれもあの「自由の国」。国民は戦争に反対しつつ、自由に弱い国に喧嘩を売ることができる。解放者を名乗りながら武力で他国に内政干渉し、利権を握ろうとする。
 国民が独裁者に虐げられているという、「悪の国」を情報操作で創り上げ、世界共通の敵とする。一方で自身が嫌われ者の、世界共通の敵となることを甘んじて。

 この二分化をすることで前世紀の東西冷戦じみた国家地理的に緊張状態を作るのではなく、イデオロギー的に個人レベルで緊張状態を作り、ミリタリーバランスを整えた。
 おかげで小規模な紛争やテロこそあれ、大戦争は起こらない現代世界がある。戦火による犠牲者は大戦の十分の一以下だろう。半世紀前の原油利権争い、続く弱いものいじめみたいな多国籍軍の結成を促し、謎と欺瞞に満ちた911事件すら煽情と大義名分に逆用してしまった。こんな馬鹿みたいな荒業、あの国にしかできないけどね。
 近代史はほんとに喜劇だ。お国のためにと戦った前世紀の人が見れば失笑するぜ。

 現在は、というと? 二十年ほど前なら資源の奪い合い、利権を求めて常に紛争は起こっていた。今にしてみれば馬鹿げた話だ。当時は『無駄使い』という概念が存在した。
 省エネ、節約、エコとやらが叫ばれていたのだ。それはあくまで人間社会での経済生活面だけのこと。物理学的に見れば、そんなことは取るに足らないのだ。
 エントロピー増大則に反し、いくら省エネしようとしても、人間の節約できるエネルギーなんて太陽の放射する莫大な熱量に比べれば、なんのことはない。天文学的に膨大なエナジーが、宇宙の彼方へ放出されているのだから。地球に降り注ぐのはそのほんの一滴だ。
 人間、いや地上の生命の生きるすべてのエネルギーは、太陽の光だ。なにも太陽電池のことを言っているのではない。原油・ガス、化石燃料とはもともと植物だったのだから、それだって太陽のエネルギーだ。劣化したエネルギーと言ってもいい。精製過程や燃焼とともに有害物質を撒き散らすのだから。

 核燃料だって、地質学的には太陽の恵みといえる。水力発電も無論、水分を蒸発させ雲にする太陽の力だ。クリーンなエネルギーを豊満に使うことができる。
 産業革命での化石燃料の使用は、飛躍的な科学技術の進歩をもたらしたが。もはや頼る必要の無い、過去のものだ。技術の革新は素晴らしい。さもなくは燃料は枯渇していた。文明を維持できなくなっていただろう。

 前世紀生まれの人で、たとえ平和な国に住んでいようが、無事に天寿をまっとうできるなんて確信できた人間はいなかったという。資源の枯渇、核戦争の危機、冷戦東西対立、民族紛争、宗教問題。温暖化による水没の危険。常に最終戦争の恐怖に駆られていた。

 逆に、21世紀は働かずとも生きていけるユートピアになるとの意見もあったという。世界は機械化され生産作業はすべてロボットが行い。生涯学習、文化の発展のみを追い求めるモラトリアン生活だ。俺のようなニートの引きこもりが当てはまる? お笑いだね。
 前世紀半ばの計算では、化石燃料はいまごろとっくに枯渇しているはず。だが事実は、いまだ地球の埋蔵量の四分の一も使っていない。机上の計算だったからだ。燃料の消費量が、指数関数的に増大するとしての。
 しかし人間は、それを乗り切った。過去不可能だった新しい油田層からの発掘に加え、消費量を増大から横ばいへ、さらには減少へと転じたのだ。
 日本も大いに貢献した。自動車を例にしてもオイルショック以降の低燃費ドライブの開発やハイブリッド、電気自動車、バイオ燃料、新素材太陽発電の数々の新技術を打ち立てたのだから。二酸化炭素排出量も減少し、温暖化の危機も避けられた。

 現代から見れば、過去絶対だった化石燃料は非効率だ。数億年も蓄積されたというのに、ほんの数百年で使い切ってしまう分しかないのだから。一見莫大な埋在量に思えても、過去のデフレ時代の0金利政策ほどでしかない。人間とは、いかに幼年期であるか。時間、利子でいうと十万分の一の蓄積でしかないのに。逆に言うと人間は、十万倍も多く力を行使し、現代の発展をもたらした。
 現在。人類にとってエネルギー供給は足りている。作物や家畜も十分に育まれ、食糧危機は紛争地帯くらいにしかない。鉱物資源ともなると、一部の精密機械用のレアメタルは高価だが。精製技術も進んだし、不足する危険はない。

 かつて宝飾品だった、ダイヤモンドや純金の価値は暴落した。
 ダイヤモンドが高価だったのは、一つの大企業が交易を独占し、市場に出回る量を規制していたからで。それがなくなれば、ましてや単なる墨の塊から良質な人工ダイヤができるとなれば、石ころと変わらない。まあ極めて堅いから、工業利用には有用だが。
 純金も同様。電気の伝導率が極めて高いとはいえ光通信が当たり前の時代、一部の電子製品の配線利用にのみ有効だが、財産としての価値は無くなった。

 現代世界の国際問題は、民族主義、宗教対立、貧富の格差から来ている。経済が円滑に運営されていれば、生きていけるだけの衣食住なんて、いまやたやすいはずなのに。偏見と差別、無理解が世界の和を乱している。
 ここで、仮想現実による歴史の再認識か。電脳世界だけのことであれ、これを乗り切れば世界人類は、違いをわかり合えるのだろうか。しかし。


襲撃 後