俺は腑に落ちないものを抱えつつも、今日も出撃した。ゼロに乗り込み朝九時に発艦、直ちに編隊を組む。
俺は九機からなる中隊の、第三小隊の三番機。つまりどんじり、カモ小隊のカモ番機か。ま、いいさ。ちなみにもちろん霞お嬢様は第三小隊長、一番機だ。二番機は単なる雑魚だな、撃墜されてはしつこくコンティニューを繰り返していたどこぞのお坊ちゃんだ。
巡航飛行体勢に入る。ここからは接敵するまでは、ただ戦闘を楽しみたかった素人にとっては退屈な時間だ。だが俺は神経を張り詰めていた。四方に注意を配る。
軍用機の撃墜理由の八割は、ドッグファイトではなく後方の死角からの奇襲だ。前日の僚機どもの敗因のように。
今回の中隊長は、冬月准尉だった。自身も撃墜されたとはいえ、唯一B17を叩き落した男。戦術腕は期待できるかもしれない。指令は徹底していた。目標はB17のみ、他の雑魚には目もくれるなと。それも、撃墜方法は一つ。前方上空からの急降下による一撃離脱。史実、唯一B17に有効だった作戦。『貴公子』の腕前、見せていただこう。
冬月准尉の指揮は上手くいった。俺たちは囮のSBDやF4Fをやり過ごし。一時間ほどのフライト後、B17を眼前に捕らえていた。どうも上手く行き過ぎるな、敵戦闘機隊の指揮官は『キラー』ではないのか?
中隊は直ちに急上昇に入る。上空一万メートル、ゼロの上昇限度ぎりぎりの高度。この高さになると空気が薄すぎ、ゼロのエンジンは満足に働かない。水槽の上で苦しげにあっぷあっぷする金魚のようなものだ。操縦桿にフットバーをデリケートに操る。少しでも操縦を狂わせれば、機は失速して降下してしまう危険な態勢。
こんなところを高空でも衰えない馬力のあるメザシ(P38ライトニング双発戦闘機)あたりに狙われたらひとたまりも無いが、幸いなことに確認できた敵は一機のBさんだけだ。まさにその前方上空千メートルにつける。
必勝の態勢! 准尉以下中隊九機はBさんに突入していった。
Bさんはもう撃って来ている。目もくらむような苛烈な対空砲火だとして、そんなもの当たるわけが……
!? 前方の第一小隊のゼロが、炎に包まれた。他の機も次々と黒煙を上げている。力なくきりもみ降下していった奴もいる。敵弾は花火のように空中、味方機至近で炸裂している。こいつは機銃じゃない!
霞の声が響く。「二番機がやられた? まさか。二飛曹、応答して!」
返答は無かった。俺はコクピットの砕けた二番機の姿に、焦りを募らせた。
ガンッッッ!!! 機体に衝撃音が響く。この俺が損傷を受けた!?
この高度差・相対速度差で対空機銃ごときに被弾するわけはない。四〇ミリクラスの砲弾? それも。こいつは! 俺は叫んでいた。「待て! 霞、これはVTヒューズだ!」
「V……なんだって? そんな戦闘機聞いたことないわ」
「馬鹿やろう、すぐに逃げろ! 左急降下だ」
「上官に向かってなによ!」
言いつつも霞機は攻撃態勢を解除し、鋭い旋回をしつつ適切な角度に転進し急降下した。女のくせになんて力強い機動だ、よくGに耐えられるものだ。俺はそれになんとか続いた。歯を食いしばって耐える。その間にも一撃、俺は軽く被弾した。
スプリットS(反転S字急降下)をし、俺たちはなんとか離脱した。
「霞、怪我はないか?」
「無傷よ。でも風防に少しひびが入ったわ。あなたは右翼に損傷を受けたわね、燃料が漏れているわよ。炎上はしていないけど。右翼タンク、中身排出して空にしなさい」霞は緊迫した声で言う。「腰抜けくん、あれはなんなの?」
「知られていないんだよねえ、日本では。実戦当時の米軍では原爆に匹敵する発明とされていたのに。簡易レーダー信管式の対空砲弾。史実最大にして最後の航空母艦決戦、『マリアナの七面鳥撃ち』の立役者さ。効果は時限式の信管弾頭の軽く百倍、近づくのは自殺行為だ!」
「対抗策は無いの? つけいる手は」
「無いさ、現時点ではね。かすめた瞬間、最至近距離で炸裂する砲弾だぞ」
「このまま逃げ帰れ、というわけ!? なんら戦果もなく」
「一人で死にたければ、お好きにさせたいが」俺は辛辣に言う。「生きて帰ってこそ、再戦の機会もあるだろう。きみは俺の進言に従っただけだ。気に病むこともないだろ」
そんなこんなで。母艦飛龍に帰艦後、俺と美嶋大尉は作戦会議室にいた。大尉は意外そうな声で言う。「ほう。今回は手土産無し、か。珍しく手傷を負ったようだな、不知火」
「ですが情報を持って帰りました。敵さんは新兵器を投入しています、大尉」
「報告は読ませてもらった。B17が対空砲台座と化したと?」
「VTヒューズは史実より二年は早い実戦投入です。それも艦船にではなく爆撃機に。あれはもはや長距離爆撃機ではない。巨大超重戦闘機です! 史実、敵は装甲と火力、最大速度に優れた重戦闘機の力でゼロを破りました。それがこいつでは」
「まさに空の要塞、だな」大尉は顔を歪める。「バケモノの上をいくとなると、なんと評すべきかな。悪魔か」
「対空砲火網に隙はありません。史実なら死角であったはずの直上方向すら、カバーされています。ただゼロで突っ込むだけでは敵の餌食です」
「クイーンだな」大尉はぽつりと言った。「大量のクイーンが米軍に流れている。それで新型信管の登場が早まったのだろう」
「進言をお許しできますか、大尉」
「なにか手があるのか? 不知火。いいだろう」
「無視すればいいんです。戦闘機本来の任務は敵戦闘機の撃墜ではなく、爆撃機や雷撃機を叩くことです。B17が爆撃機でなくなったとあれば、放置して構わないでしょう。あれは鈍重すぎて、迎撃にしか使えない。言ってしまえば対戦闘機用のブービートラップです。とするとこちらの爆撃機や雷撃機を攻撃される心配もありませんし」
「大胆な提案だな、不知火。敵を放置せよとは」大尉は煙草に火を点けると、値踏みするように俺の目を見つめた。「そうはいかない。近いうちに艦隊決戦があるな。敵味方大小数百隻の、航空母艦を狙う総力戦だ。こうなると放置しておくわけにもいかない」
冗談ではない! こんな戦況下で総力戦ともなれば、生き延びる確率はあるわけがない。俺は反論した。「それではミッドウェイどころかマリアナ沖海戦の二の舞です」
「史実と同じと考えてもらっては困る」大尉は背を向けた。「何故なら実際、史実と同じなのだからな。戦局は苦しくなる一方だ。もういい。退出せよ」
クイーン 下
俺は九機からなる中隊の、第三小隊の三番機。つまりどんじり、カモ小隊のカモ番機か。ま、いいさ。ちなみにもちろん霞お嬢様は第三小隊長、一番機だ。二番機は単なる雑魚だな、撃墜されてはしつこくコンティニューを繰り返していたどこぞのお坊ちゃんだ。
巡航飛行体勢に入る。ここからは接敵するまでは、ただ戦闘を楽しみたかった素人にとっては退屈な時間だ。だが俺は神経を張り詰めていた。四方に注意を配る。
軍用機の撃墜理由の八割は、ドッグファイトではなく後方の死角からの奇襲だ。前日の僚機どもの敗因のように。
今回の中隊長は、冬月准尉だった。自身も撃墜されたとはいえ、唯一B17を叩き落した男。戦術腕は期待できるかもしれない。指令は徹底していた。目標はB17のみ、他の雑魚には目もくれるなと。それも、撃墜方法は一つ。前方上空からの急降下による一撃離脱。史実、唯一B17に有効だった作戦。『貴公子』の腕前、見せていただこう。
冬月准尉の指揮は上手くいった。俺たちは囮のSBDやF4Fをやり過ごし。一時間ほどのフライト後、B17を眼前に捕らえていた。どうも上手く行き過ぎるな、敵戦闘機隊の指揮官は『キラー』ではないのか?
中隊は直ちに急上昇に入る。上空一万メートル、ゼロの上昇限度ぎりぎりの高度。この高さになると空気が薄すぎ、ゼロのエンジンは満足に働かない。水槽の上で苦しげにあっぷあっぷする金魚のようなものだ。操縦桿にフットバーをデリケートに操る。少しでも操縦を狂わせれば、機は失速して降下してしまう危険な態勢。
こんなところを高空でも衰えない馬力のあるメザシ(P38ライトニング双発戦闘機)あたりに狙われたらひとたまりも無いが、幸いなことに確認できた敵は一機のBさんだけだ。まさにその前方上空千メートルにつける。
必勝の態勢! 准尉以下中隊九機はBさんに突入していった。
Bさんはもう撃って来ている。目もくらむような苛烈な対空砲火だとして、そんなもの当たるわけが……
!? 前方の第一小隊のゼロが、炎に包まれた。他の機も次々と黒煙を上げている。力なくきりもみ降下していった奴もいる。敵弾は花火のように空中、味方機至近で炸裂している。こいつは機銃じゃない!
霞の声が響く。「二番機がやられた? まさか。二飛曹、応答して!」
返答は無かった。俺はコクピットの砕けた二番機の姿に、焦りを募らせた。
ガンッッッ!!! 機体に衝撃音が響く。この俺が損傷を受けた!?
この高度差・相対速度差で対空機銃ごときに被弾するわけはない。四〇ミリクラスの砲弾? それも。こいつは! 俺は叫んでいた。「待て! 霞、これはVTヒューズだ!」
「V……なんだって? そんな戦闘機聞いたことないわ」
「馬鹿やろう、すぐに逃げろ! 左急降下だ」
「上官に向かってなによ!」
言いつつも霞機は攻撃態勢を解除し、鋭い旋回をしつつ適切な角度に転進し急降下した。女のくせになんて力強い機動だ、よくGに耐えられるものだ。俺はそれになんとか続いた。歯を食いしばって耐える。その間にも一撃、俺は軽く被弾した。
スプリットS(反転S字急降下)をし、俺たちはなんとか離脱した。
「霞、怪我はないか?」
「無傷よ。でも風防に少しひびが入ったわ。あなたは右翼に損傷を受けたわね、燃料が漏れているわよ。炎上はしていないけど。右翼タンク、中身排出して空にしなさい」霞は緊迫した声で言う。「腰抜けくん、あれはなんなの?」
「知られていないんだよねえ、日本では。実戦当時の米軍では原爆に匹敵する発明とされていたのに。簡易レーダー信管式の対空砲弾。史実最大にして最後の航空母艦決戦、『マリアナの七面鳥撃ち』の立役者さ。効果は時限式の信管弾頭の軽く百倍、近づくのは自殺行為だ!」
「対抗策は無いの? つけいる手は」
「無いさ、現時点ではね。かすめた瞬間、最至近距離で炸裂する砲弾だぞ」
「このまま逃げ帰れ、というわけ!? なんら戦果もなく」
「一人で死にたければ、お好きにさせたいが」俺は辛辣に言う。「生きて帰ってこそ、再戦の機会もあるだろう。きみは俺の進言に従っただけだ。気に病むこともないだろ」
そんなこんなで。母艦飛龍に帰艦後、俺と美嶋大尉は作戦会議室にいた。大尉は意外そうな声で言う。「ほう。今回は手土産無し、か。珍しく手傷を負ったようだな、不知火」
「ですが情報を持って帰りました。敵さんは新兵器を投入しています、大尉」
「報告は読ませてもらった。B17が対空砲台座と化したと?」
「VTヒューズは史実より二年は早い実戦投入です。それも艦船にではなく爆撃機に。あれはもはや長距離爆撃機ではない。巨大超重戦闘機です! 史実、敵は装甲と火力、最大速度に優れた重戦闘機の力でゼロを破りました。それがこいつでは」
「まさに空の要塞、だな」大尉は顔を歪める。「バケモノの上をいくとなると、なんと評すべきかな。悪魔か」
「対空砲火網に隙はありません。史実なら死角であったはずの直上方向すら、カバーされています。ただゼロで突っ込むだけでは敵の餌食です」
「クイーンだな」大尉はぽつりと言った。「大量のクイーンが米軍に流れている。それで新型信管の登場が早まったのだろう」
「進言をお許しできますか、大尉」
「なにか手があるのか? 不知火。いいだろう」
「無視すればいいんです。戦闘機本来の任務は敵戦闘機の撃墜ではなく、爆撃機や雷撃機を叩くことです。B17が爆撃機でなくなったとあれば、放置して構わないでしょう。あれは鈍重すぎて、迎撃にしか使えない。言ってしまえば対戦闘機用のブービートラップです。とするとこちらの爆撃機や雷撃機を攻撃される心配もありませんし」
「大胆な提案だな、不知火。敵を放置せよとは」大尉は煙草に火を点けると、値踏みするように俺の目を見つめた。「そうはいかない。近いうちに艦隊決戦があるな。敵味方大小数百隻の、航空母艦を狙う総力戦だ。こうなると放置しておくわけにもいかない」
冗談ではない! こんな戦況下で総力戦ともなれば、生き延びる確率はあるわけがない。俺は反論した。「それではミッドウェイどころかマリアナ沖海戦の二の舞です」
「史実と同じと考えてもらっては困る」大尉は背を向けた。「何故なら実際、史実と同じなのだからな。戦局は苦しくなる一方だ。もういい。退出せよ」
クイーン 下