ここで、俺はゲームアウトした。
今日の「遊び」は終わりだ。サングラス型のモニターを外し、現実の視界に戻る。二十一世紀。「大戦」から九十五年後の新都心のアパート。
サングラス型のモニターなんて、コスト抜きで考えれば半世紀前に製造可能だったし、特許はともかく実用新案となると一世紀近くも前から出されていた。携帯化技術と情報化技術が進めば誰だって考えそうなものだったからで、それがいま二〇四〇年に世界にようやく普及し終わったのは、単に暴利を貪る特許期限が過ぎたためだ。文化に経済を停滞させてしまう特許なんて、資本主義社会の皮肉だな。
俺はゲームをしていた自室の椅子に座ったまま、机に手を伸ばしボトルを手に取り強烈なウォッカをガブり、とあおった。満足し喘ぐ。
太平洋戦争を、「フェアに」戦ったらどうなるか? それがこのシミュレーションだった。いまどき陳腐なヴァーチャルリアリティ・ゲーム、全世界を巻き込んだ一大イベント。ネットを通じて日米その他の国の若者がこぞって、この馬鹿らしいお遊技に熱狂した。
日本の過ちの一つは、真珠湾奇襲である。奇襲そのものは敵戦艦半ダース撃沈という大成功を納めたが、これは宣戦布告前の攻撃という違法行為……と歴史ではされる。
次の汚点は無論、民間人への攻撃である。第二次世界大戦ではこれが堂々とまかり通っていた。日本陸軍は「三光作戦」の名のもとに略奪と陵辱を繰り返していたし、米軍の長距離大型爆撃機の編隊は群れをなして街を襲い、無力な女子供を焼き殺していた。
基本はこの2点だった。こんな非道な行為はしない。この条件で一九四一年当時が再現され、シミュレーションは開始された。
ゲームのプレイヤーは、日本円で登録料三千円払えば一兵士として参加できる。下士官なら一万円から、士官ならもっと高額だが。後は「戦死」するまで続行可能だ。
このイベントの売りは、なんといっても「給料」だった。参加したプレイヤーはゲーム一カ月辺り、二万円とか五十万円とか戦果に応じた賞金が得られる。これは一見とんでもないシステムに見える。ゲームして遊んでその上給料、などと。
この賞金制度に魅せられて、世界各国から億に達するとも言われるプレイヤーが狂ったようにゲームを興じたわけだ。
しかし、プレイヤー兵士はすべて最前線送りである事実は黙殺されている。全面戦争の地獄の戦場で、どんなバケモノが一カ月も生き延びられるというのだ?
力とは無慈悲であり、個人の足掻きなど虫ケラのように無力だ。そして唯一の友となる死はすべてを欺く。
不知火はそんな架空世界の気違いどもの中で、生き残り賞金を稼ぎ続ける『バケモノ』の一人として知られていた。
俺はしばし、ウォッカを痛飲していたが。クッションの効いた背もたれゆったりな椅子から立ち上がり。十六歳、身長百六十九センチのやや小柄な身体をぐっと伸ばした。
ふと、つぶやく。「これで通算二十七機目……」
五機敵機を墜とせば、撃墜王として呼ばれるのが慣習だ。俺は、そのさらに五倍もの敵機を墜としている。
しかし俺は撃墜王ランキングの全世界上位千位にも入っていない。
一億人超プレイヤー中の、航空兵数百万人中の、上位千位だ。そこまで達すれば、俺は本当の目的を成すことができる。
目的。それは日本帝国の勝利ではない。愚劣極まる破壊と陵辱を尽くした非人道的な、帝国軍の勝利とその支配なんて考えただけでおぞけがする。ま、人道なんて俺に言えるセリフではないが。
立ちふさがる本当の障壁は……「クイーン」。
『クイーン』。
それは闇通貨の名だ。電脳世界、それもゲーム内だけに通用する、電子マネー。
破綻した過去幾多の著名例とは違い、ゲーム内専用のこれは出回り始めたころは、人生ゲームの子供銀行券みたいな、おもちゃに過ぎなかったように思えた。
しかし流通するにつれ、それがどれほど恐ろしいかがわかってきた。ゲーム内でしか通用しないとはいえ、それでゲーム内の兵器を調達できる。そして戦果を挙げれば……賞金は現実の貨幣でもらえるのだから。数十兆円産業ともなったこのお遊びでこんなシロモノが流通すれば、どれだけの金が闇から闇へと流れるだろう。
普通のプレイヤーは雀の涙程度のクイーンしか扱えないが、「投資家」は、エースパイロットを探し出しては、桁違いのクイーンを手渡した。報酬の数割が現金としてキャッシュバックされる。ギブアンドテイクってやつだ。
「ゲーム」は、一九四一年一二月八日からスタートした。
真珠湾への攻撃は、奇襲とはならなかった。
当時の艦隊戦は空母の航空力による。なんといってもゼロって戦闘機は傑物で、この時点での米軍戦闘機、鈍重なバッファローやウォーホークやエアラコブラなら、ひとたびゼロに狙われれば手も足も出ない。それを知っていた両軍だったから、質・量とも勝る日本帝国の艦隊は米空母を探し回ったし、米軍機動艦隊は逃げ回った。
ハワイ基地には多数の米軍戦闘機や攻撃機が集結していたが、出撃してくることはなかった。ゼロとの空戦になれば、単なるカモになることを承知していたからだ。米軍がゼロとの正面対決に至るには、F4Fワイルドキャットの頭数がそろってからとなる。
結果、ハワイから戦艦が出撃することとなり史実二度しか見られること無かった戦艦同士の砲撃戦が展開された。戦艦の数さえ二対八と劣勢ながら、その錬度に加え航空戦力に勝る帝国艦隊は、米艦隊を次々と撃沈した。制空権は、帝国側にある。偵察機からの無線誘導による主砲砲火は、おもしろいように米戦艦を沈めていった。
が、これは空母を温存し日本艦隊を引きずりまわすための陽動作戦だった。帝国艦隊はやがて燃料不足に陥った。やむなく撤退することとなり、機関部に被弾し小破した程度の艦艇でも自沈させ捨てて帰るしかなかった。
帝国軍の燃料不足は深刻で、その後二ヶ月近く攻撃に参加した艦船は行動不能になるありさまだった。帰還できず太平洋上に立ち往生する艦まで出た醜態をさらした。
日本は綾波以下駆逐艦五隻、伊19以下潜水艦四隻、艦載機六十機強の被害。米軍は怪しい大本営発表ではアリゾナ以下戦艦六隻、その他大小二十隻弱の艦艇、飛行場の航空機三百機余りを失ったとされ、この戦いは痛み分けに終わった。
両軍とも、航空母艦に損害は無かった。
史実通り、戦術的には日本勝利、戦略的にはアメリカ勝利といったところか。
後に「禁じられた遊び」として知られることになるこの戦いは、こうして始まった。
それから、数ヶ月。植民地となっていたアジア各国は、次々と独立した。満州が中国に返還されたのはもちろん、なんとハワイまでが独立し、アメリカと訣別した。以来ロシアだけでなく中国や韓国は軍事的中立を守っている……というより内戦状態にある。
日本は主要な補給線を絶たれた。アメリカは太平洋上の軍事拠点を失った。こうなってしまえば、全面的な衝突はそうそう起こりえない。
戦局はステイルメイト。チェス用語だと『手詰まり』の状態に陥っていた。
一方で膠着した戦線を尻目に、堂々たる戦果を挙げるつわものもいた。米軍の空戦指揮官『キラー』キリング少佐と、帝国軍の撃墜王『疫病神』時雨飛曹長である。
この二人に比べたら、俺は名前なんて無い雑兵にすぎない。
クイーン 上
今日の「遊び」は終わりだ。サングラス型のモニターを外し、現実の視界に戻る。二十一世紀。「大戦」から九十五年後の新都心のアパート。
サングラス型のモニターなんて、コスト抜きで考えれば半世紀前に製造可能だったし、特許はともかく実用新案となると一世紀近くも前から出されていた。携帯化技術と情報化技術が進めば誰だって考えそうなものだったからで、それがいま二〇四〇年に世界にようやく普及し終わったのは、単に暴利を貪る特許期限が過ぎたためだ。文化に経済を停滞させてしまう特許なんて、資本主義社会の皮肉だな。
俺はゲームをしていた自室の椅子に座ったまま、机に手を伸ばしボトルを手に取り強烈なウォッカをガブり、とあおった。満足し喘ぐ。
太平洋戦争を、「フェアに」戦ったらどうなるか? それがこのシミュレーションだった。いまどき陳腐なヴァーチャルリアリティ・ゲーム、全世界を巻き込んだ一大イベント。ネットを通じて日米その他の国の若者がこぞって、この馬鹿らしいお遊技に熱狂した。
日本の過ちの一つは、真珠湾奇襲である。奇襲そのものは敵戦艦半ダース撃沈という大成功を納めたが、これは宣戦布告前の攻撃という違法行為……と歴史ではされる。
次の汚点は無論、民間人への攻撃である。第二次世界大戦ではこれが堂々とまかり通っていた。日本陸軍は「三光作戦」の名のもとに略奪と陵辱を繰り返していたし、米軍の長距離大型爆撃機の編隊は群れをなして街を襲い、無力な女子供を焼き殺していた。
基本はこの2点だった。こんな非道な行為はしない。この条件で一九四一年当時が再現され、シミュレーションは開始された。
ゲームのプレイヤーは、日本円で登録料三千円払えば一兵士として参加できる。下士官なら一万円から、士官ならもっと高額だが。後は「戦死」するまで続行可能だ。
このイベントの売りは、なんといっても「給料」だった。参加したプレイヤーはゲーム一カ月辺り、二万円とか五十万円とか戦果に応じた賞金が得られる。これは一見とんでもないシステムに見える。ゲームして遊んでその上給料、などと。
この賞金制度に魅せられて、世界各国から億に達するとも言われるプレイヤーが狂ったようにゲームを興じたわけだ。
しかし、プレイヤー兵士はすべて最前線送りである事実は黙殺されている。全面戦争の地獄の戦場で、どんなバケモノが一カ月も生き延びられるというのだ?
力とは無慈悲であり、個人の足掻きなど虫ケラのように無力だ。そして唯一の友となる死はすべてを欺く。
不知火はそんな架空世界の気違いどもの中で、生き残り賞金を稼ぎ続ける『バケモノ』の一人として知られていた。
俺はしばし、ウォッカを痛飲していたが。クッションの効いた背もたれゆったりな椅子から立ち上がり。十六歳、身長百六十九センチのやや小柄な身体をぐっと伸ばした。
ふと、つぶやく。「これで通算二十七機目……」
五機敵機を墜とせば、撃墜王として呼ばれるのが慣習だ。俺は、そのさらに五倍もの敵機を墜としている。
しかし俺は撃墜王ランキングの全世界上位千位にも入っていない。
一億人超プレイヤー中の、航空兵数百万人中の、上位千位だ。そこまで達すれば、俺は本当の目的を成すことができる。
目的。それは日本帝国の勝利ではない。愚劣極まる破壊と陵辱を尽くした非人道的な、帝国軍の勝利とその支配なんて考えただけでおぞけがする。ま、人道なんて俺に言えるセリフではないが。
立ちふさがる本当の障壁は……「クイーン」。
『クイーン』。
それは闇通貨の名だ。電脳世界、それもゲーム内だけに通用する、電子マネー。
破綻した過去幾多の著名例とは違い、ゲーム内専用のこれは出回り始めたころは、人生ゲームの子供銀行券みたいな、おもちゃに過ぎなかったように思えた。
しかし流通するにつれ、それがどれほど恐ろしいかがわかってきた。ゲーム内でしか通用しないとはいえ、それでゲーム内の兵器を調達できる。そして戦果を挙げれば……賞金は現実の貨幣でもらえるのだから。数十兆円産業ともなったこのお遊びでこんなシロモノが流通すれば、どれだけの金が闇から闇へと流れるだろう。
普通のプレイヤーは雀の涙程度のクイーンしか扱えないが、「投資家」は、エースパイロットを探し出しては、桁違いのクイーンを手渡した。報酬の数割が現金としてキャッシュバックされる。ギブアンドテイクってやつだ。
「ゲーム」は、一九四一年一二月八日からスタートした。
真珠湾への攻撃は、奇襲とはならなかった。
当時の艦隊戦は空母の航空力による。なんといってもゼロって戦闘機は傑物で、この時点での米軍戦闘機、鈍重なバッファローやウォーホークやエアラコブラなら、ひとたびゼロに狙われれば手も足も出ない。それを知っていた両軍だったから、質・量とも勝る日本帝国の艦隊は米空母を探し回ったし、米軍機動艦隊は逃げ回った。
ハワイ基地には多数の米軍戦闘機や攻撃機が集結していたが、出撃してくることはなかった。ゼロとの空戦になれば、単なるカモになることを承知していたからだ。米軍がゼロとの正面対決に至るには、F4Fワイルドキャットの頭数がそろってからとなる。
結果、ハワイから戦艦が出撃することとなり史実二度しか見られること無かった戦艦同士の砲撃戦が展開された。戦艦の数さえ二対八と劣勢ながら、その錬度に加え航空戦力に勝る帝国艦隊は、米艦隊を次々と撃沈した。制空権は、帝国側にある。偵察機からの無線誘導による主砲砲火は、おもしろいように米戦艦を沈めていった。
が、これは空母を温存し日本艦隊を引きずりまわすための陽動作戦だった。帝国艦隊はやがて燃料不足に陥った。やむなく撤退することとなり、機関部に被弾し小破した程度の艦艇でも自沈させ捨てて帰るしかなかった。
帝国軍の燃料不足は深刻で、その後二ヶ月近く攻撃に参加した艦船は行動不能になるありさまだった。帰還できず太平洋上に立ち往生する艦まで出た醜態をさらした。
日本は綾波以下駆逐艦五隻、伊19以下潜水艦四隻、艦載機六十機強の被害。米軍は怪しい大本営発表ではアリゾナ以下戦艦六隻、その他大小二十隻弱の艦艇、飛行場の航空機三百機余りを失ったとされ、この戦いは痛み分けに終わった。
両軍とも、航空母艦に損害は無かった。
史実通り、戦術的には日本勝利、戦略的にはアメリカ勝利といったところか。
後に「禁じられた遊び」として知られることになるこの戦いは、こうして始まった。
それから、数ヶ月。植民地となっていたアジア各国は、次々と独立した。満州が中国に返還されたのはもちろん、なんとハワイまでが独立し、アメリカと訣別した。以来ロシアだけでなく中国や韓国は軍事的中立を守っている……というより内戦状態にある。
日本は主要な補給線を絶たれた。アメリカは太平洋上の軍事拠点を失った。こうなってしまえば、全面的な衝突はそうそう起こりえない。
戦局はステイルメイト。チェス用語だと『手詰まり』の状態に陥っていた。
一方で膠着した戦線を尻目に、堂々たる戦果を挙げるつわものもいた。米軍の空戦指揮官『キラー』キリング少佐と、帝国軍の撃墜王『疫病神』時雨飛曹長である。
この二人に比べたら、俺は名前なんて無い雑兵にすぎない。
クイーン 上