一面の明るい晴天に、日の光を反射する眩しい海が広がっていた。視界は見渡す限り、青一色に染められ……。
俺はニヤりとほくそえんだ。敵は俺たちの獲物に過ぎない。が、しかし。
前方眼下一千メートルに見える十二機。三個小隊を組む敵米軍機、ちっぽけなダグラスSBDドーントレス艦載爆撃機ども。速度も遅くさして防御火力もなく、動きが決定的にとろい。二〇ミリ機関砲なんて暴力的なドス積んだゼロ戦には、まさにカモだ。
ゼロ戦。後世に名高い、零式艦上戦闘機……太平洋戦争緒戦世界最強の猛禽。
栄えある大日本帝国海軍の一陣、俺たちの戦闘機中隊は九機。ここは上空三千メートル、太平洋グァム諸島域海上。お坊ちゃん、地獄の戦場へようこそ!
日軍は三機、米軍は四機で小隊を組む。俺の中隊の八機のゼロたちが、いっせいに低空に舞い降りてカモ狩りに参加する。時速三〇〇ノットで突っ込む八筋の矢。
「いいんですか?」俺、不知火(しらぬい)三飛曹は皮肉げにつぶやいた。ゼロの機上である。無線電話なんて上等なシロモノ、日本軍機には搭載されていない。だからこれはひとりごとだ。
僚機のバカどもは、なにを考えていやがるんだ。俺たちの中隊は、敵のB17戦略爆撃機その名も「空の要塞」を迎撃するよう命じられて飛び立ったのだ。それをそっちのけで、SBDなんてザコと遊ぶだと?
SBD、十二羽の哀れなカモの編隊は、身を寄せ合うように縮こまっていた。迫りくる敵、つまり俺たちの戦闘機に対し後方機銃を乱射する。そんなもの、軽快な戦闘機には当たりっこない。機を滑らせなだれ込んで来る残忍なハンターの前に、カモは次々と炎に包まれていった。焼死、ってのはいちばん苦しい死に方だね。
お~、やだやだ。艦爆には乗りたくないね。敵戦闘機に狙われたら最後、逃げることも反撃することもできないなんて。
俺はカモ狩りをする味方を尻目に、悠々と高空を巡航飛行していた。弱いものいじめは俺の趣味ではないんでね。って、俺はさぼっているわけではない。もっと手強い、本当の獲物を探している。ひ弱なSBDが、護衛もなく飛んでいたりするものか。
俺はぐるりと周囲を見回していた。一九四二年当時の戦闘機に、電探(レーダー)なんて無い。だが、敵さんの戦艦は原始的とはいえ持っているだろう。それに映る俺たちの影を、無線電話で戦闘機に連絡しているはずだ。つまり、俺たちの位置はバレている。
ゼロ戦は強い。抜群の機動性を誇り、戦闘機相手なら一対一で戦えば負けるわけはない。無敵の戦闘機と言って良いだろう。敵さんには二対一でも対抗できる戦闘機は存在しない。少なくとも、いまはまだ。
だから来るとすれば。間違いなく圧倒的多数で、それも頭上、死角の後方から。
俺は幾度も首を巡らす。どこまでも単調な、青々とした空。いない……
眩しい光に目を細め、照りつける春の太陽を見上げ……! 俺は息を飲んだ。
小さな黒い点が、いくつも連なる。機種は判別できないが、あんな位置に陣取るとは戦闘機に間違いない。三〇機はいるな……九対三〇か! 日の光にまぎれ、接近を許してしまった。これはヤバいな。戦闘機戦において敵に高度を取られることは、進退のイニシアティブ(主導権)を失うことを意味する。
SBDはオトリかよ。ほんらい護衛すべき対象をオトリにするとは、えげつねえ真似しやがる。俺は眼下を確認する。味方はまだ頭上の敵に、気づいていないようだ。なにをやっていやがる、あの死神の列が見えないか? いくらゼロが強いと言っても、奇襲を受ければただの標的だ。
無力なカモなんて相手にしているからだ。これでは敵さんの本命に太刀打ちできない。B17戦略爆撃機だぜ、あんなバケモノ、俺だけで相手にできるかよ。
この戦いは負けだな。体勢が有利なうち、つまりいまのうちにズラかるとするか。だが、すぐに反転帰投しては敵前逃亡だ。ここは俺の実力、せいぜい高く売りつけてやる。
降ってきやがった! 前方上空に見える太陽の真っ白の光から、真っすぐ俺に向かってくる黒い点の列。三十六機か、九個小隊だな。それにたった一機向かっている俺って……これって勇者じゃん? あまりに壮観だから、写真銃で記録してやれ。
俺はフルスロットルで水平飛行していた。速度は二九〇ノットに達した。慎重に間合いを計る。敵の射程に入るや、操縦菅を右に倒し、フットバーに鋭く左足を踏み込んで機体を滑らせる。右にロールしながらも、機は左に流れているというデタラメな飛行だ。
このイカサマは成功したらしい。次々と上から降ってくる敵戦闘機どもは左下方へ流れて行った。そいつらは俺のゼロに向かって機銃を照射していたようだが、俺はかすりもしなかった。被弾0! かわしきった!
それにしても、敵さんのこの周到にして大胆な奇襲、敵は名だたる『キラー隊』か? 最精鋭とのいよいよ全面対決が迫っているか。
敵機はF4F戦闘機であることが視認できた。グラマン・ワイルドキャットだ。速度、旋回性能、上昇力。すべての性能が、ゼロより劣る。とはいえ、この物量差では。
俺は最後の敵機の射界から逃れると、直ちに左急降下に入った。すれ違って行ったF4Fを、逆に追いかける。最後尾をすぐに照準に収めることができた。至近距離。
左手で、ぐっと発射突杷を握り締める(ゼロの機銃トリガーは左手側、出力スロットルについている)。
ガガガガッッ! 機銃の射撃音と衝撃が、俺の身体に響き渡った。
目前の敵機は、たちまち火を噴いた。二〇ミリが直撃したらしい、片翼が吹き飛んでいく。飛べなくなり頭から墜落していった。
一機撃墜!
敵戦闘機の大隊は依然として、無防備な背中を俺に見せていた。この体勢からなら、突っ込めばあと二機は血祭りにできるだろう。
しかし、俺は反転急降下に入る。あと何機落とせたところで、自分が生還できなくてなんの意味がある? あの数の敵に飛び込むなんざ、自殺行為もいいところだ。
僚機たちはようやく危険に気づき、右往左往している。しかし、高度・速度とも劣位になってしまった今、四倍に達する敵にどう抵抗できるというのだ?
雨のように突っ込む三十五機の敵機。僚機は全機、数瞬の内に火達磨となった。
無駄死にだな。俺はせせら笑った。
帰艦後、作戦会議室で俺は指揮官に問いただされた。
美嶋泰雄(みしま やすお)大尉、二四歳。体格にして百七十八センチ、五十九キロの長身痩躯のこの青年が、ゼロ五〇機あまりを束ねる俺たちの空母「飛龍」の空戦指揮官だった。穏やかに問う、美嶋。「きみの中隊は全滅したよ、不知火三飛曹。一機も帰艦しなかった……きみを除いては」
「承知しております」俺はさらりと答えた。
「敵前逃亡は銃殺だ。知っているな」大尉は視線を落とす。俺の心臓に。「きみは編隊機動から外れたな、味方はSBDと戦っていたというのに」
「敵戦闘機群を発見しましたもので」
「よかろう。きみの戦果は、子猫ちゃん一機撃墜、か。Bさんはどうしたんだ?」
子猫ちゃんとはグラマン・ワイルドキャット戦闘機のことであり、Bさんとは空の要塞B17戦略爆撃機のことである。
「見失いました」
「あのデカブツを、見失ったと?」大尉の目が冷笑する。「今日は晴天だったな。空戦は午前一〇時、雲一つ無い」
「はい。なにかご質問が?」
「いいや。ちゃんと手土産もって、いつも無傷で帰るのは、おまえさんくらいさ。だがな、不知火」大尉は目を細めた。「いつか後ろから撃たれるぞ。味方からな。退出せよ」
ステイルメイト 後
俺はニヤりとほくそえんだ。敵は俺たちの獲物に過ぎない。が、しかし。
前方眼下一千メートルに見える十二機。三個小隊を組む敵米軍機、ちっぽけなダグラスSBDドーントレス艦載爆撃機ども。速度も遅くさして防御火力もなく、動きが決定的にとろい。二〇ミリ機関砲なんて暴力的なドス積んだゼロ戦には、まさにカモだ。
ゼロ戦。後世に名高い、零式艦上戦闘機……太平洋戦争緒戦世界最強の猛禽。
栄えある大日本帝国海軍の一陣、俺たちの戦闘機中隊は九機。ここは上空三千メートル、太平洋グァム諸島域海上。お坊ちゃん、地獄の戦場へようこそ!
日軍は三機、米軍は四機で小隊を組む。俺の中隊の八機のゼロたちが、いっせいに低空に舞い降りてカモ狩りに参加する。時速三〇〇ノットで突っ込む八筋の矢。
「いいんですか?」俺、不知火(しらぬい)三飛曹は皮肉げにつぶやいた。ゼロの機上である。無線電話なんて上等なシロモノ、日本軍機には搭載されていない。だからこれはひとりごとだ。
僚機のバカどもは、なにを考えていやがるんだ。俺たちの中隊は、敵のB17戦略爆撃機その名も「空の要塞」を迎撃するよう命じられて飛び立ったのだ。それをそっちのけで、SBDなんてザコと遊ぶだと?
SBD、十二羽の哀れなカモの編隊は、身を寄せ合うように縮こまっていた。迫りくる敵、つまり俺たちの戦闘機に対し後方機銃を乱射する。そんなもの、軽快な戦闘機には当たりっこない。機を滑らせなだれ込んで来る残忍なハンターの前に、カモは次々と炎に包まれていった。焼死、ってのはいちばん苦しい死に方だね。
お~、やだやだ。艦爆には乗りたくないね。敵戦闘機に狙われたら最後、逃げることも反撃することもできないなんて。
俺はカモ狩りをする味方を尻目に、悠々と高空を巡航飛行していた。弱いものいじめは俺の趣味ではないんでね。って、俺はさぼっているわけではない。もっと手強い、本当の獲物を探している。ひ弱なSBDが、護衛もなく飛んでいたりするものか。
俺はぐるりと周囲を見回していた。一九四二年当時の戦闘機に、電探(レーダー)なんて無い。だが、敵さんの戦艦は原始的とはいえ持っているだろう。それに映る俺たちの影を、無線電話で戦闘機に連絡しているはずだ。つまり、俺たちの位置はバレている。
ゼロ戦は強い。抜群の機動性を誇り、戦闘機相手なら一対一で戦えば負けるわけはない。無敵の戦闘機と言って良いだろう。敵さんには二対一でも対抗できる戦闘機は存在しない。少なくとも、いまはまだ。
だから来るとすれば。間違いなく圧倒的多数で、それも頭上、死角の後方から。
俺は幾度も首を巡らす。どこまでも単調な、青々とした空。いない……
眩しい光に目を細め、照りつける春の太陽を見上げ……! 俺は息を飲んだ。
小さな黒い点が、いくつも連なる。機種は判別できないが、あんな位置に陣取るとは戦闘機に間違いない。三〇機はいるな……九対三〇か! 日の光にまぎれ、接近を許してしまった。これはヤバいな。戦闘機戦において敵に高度を取られることは、進退のイニシアティブ(主導権)を失うことを意味する。
SBDはオトリかよ。ほんらい護衛すべき対象をオトリにするとは、えげつねえ真似しやがる。俺は眼下を確認する。味方はまだ頭上の敵に、気づいていないようだ。なにをやっていやがる、あの死神の列が見えないか? いくらゼロが強いと言っても、奇襲を受ければただの標的だ。
無力なカモなんて相手にしているからだ。これでは敵さんの本命に太刀打ちできない。B17戦略爆撃機だぜ、あんなバケモノ、俺だけで相手にできるかよ。
この戦いは負けだな。体勢が有利なうち、つまりいまのうちにズラかるとするか。だが、すぐに反転帰投しては敵前逃亡だ。ここは俺の実力、せいぜい高く売りつけてやる。
降ってきやがった! 前方上空に見える太陽の真っ白の光から、真っすぐ俺に向かってくる黒い点の列。三十六機か、九個小隊だな。それにたった一機向かっている俺って……これって勇者じゃん? あまりに壮観だから、写真銃で記録してやれ。
俺はフルスロットルで水平飛行していた。速度は二九〇ノットに達した。慎重に間合いを計る。敵の射程に入るや、操縦菅を右に倒し、フットバーに鋭く左足を踏み込んで機体を滑らせる。右にロールしながらも、機は左に流れているというデタラメな飛行だ。
このイカサマは成功したらしい。次々と上から降ってくる敵戦闘機どもは左下方へ流れて行った。そいつらは俺のゼロに向かって機銃を照射していたようだが、俺はかすりもしなかった。被弾0! かわしきった!
それにしても、敵さんのこの周到にして大胆な奇襲、敵は名だたる『キラー隊』か? 最精鋭とのいよいよ全面対決が迫っているか。
敵機はF4F戦闘機であることが視認できた。グラマン・ワイルドキャットだ。速度、旋回性能、上昇力。すべての性能が、ゼロより劣る。とはいえ、この物量差では。
俺は最後の敵機の射界から逃れると、直ちに左急降下に入った。すれ違って行ったF4Fを、逆に追いかける。最後尾をすぐに照準に収めることができた。至近距離。
左手で、ぐっと発射突杷を握り締める(ゼロの機銃トリガーは左手側、出力スロットルについている)。
ガガガガッッ! 機銃の射撃音と衝撃が、俺の身体に響き渡った。
目前の敵機は、たちまち火を噴いた。二〇ミリが直撃したらしい、片翼が吹き飛んでいく。飛べなくなり頭から墜落していった。
一機撃墜!
敵戦闘機の大隊は依然として、無防備な背中を俺に見せていた。この体勢からなら、突っ込めばあと二機は血祭りにできるだろう。
しかし、俺は反転急降下に入る。あと何機落とせたところで、自分が生還できなくてなんの意味がある? あの数の敵に飛び込むなんざ、自殺行為もいいところだ。
僚機たちはようやく危険に気づき、右往左往している。しかし、高度・速度とも劣位になってしまった今、四倍に達する敵にどう抵抗できるというのだ?
雨のように突っ込む三十五機の敵機。僚機は全機、数瞬の内に火達磨となった。
無駄死にだな。俺はせせら笑った。
帰艦後、作戦会議室で俺は指揮官に問いただされた。
美嶋泰雄(みしま やすお)大尉、二四歳。体格にして百七十八センチ、五十九キロの長身痩躯のこの青年が、ゼロ五〇機あまりを束ねる俺たちの空母「飛龍」の空戦指揮官だった。穏やかに問う、美嶋。「きみの中隊は全滅したよ、不知火三飛曹。一機も帰艦しなかった……きみを除いては」
「承知しております」俺はさらりと答えた。
「敵前逃亡は銃殺だ。知っているな」大尉は視線を落とす。俺の心臓に。「きみは編隊機動から外れたな、味方はSBDと戦っていたというのに」
「敵戦闘機群を発見しましたもので」
「よかろう。きみの戦果は、子猫ちゃん一機撃墜、か。Bさんはどうしたんだ?」
子猫ちゃんとはグラマン・ワイルドキャット戦闘機のことであり、Bさんとは空の要塞B17戦略爆撃機のことである。
「見失いました」
「あのデカブツを、見失ったと?」大尉の目が冷笑する。「今日は晴天だったな。空戦は午前一〇時、雲一つ無い」
「はい。なにかご質問が?」
「いいや。ちゃんと手土産もって、いつも無傷で帰るのは、おまえさんくらいさ。だがな、不知火」大尉は目を細めた。「いつか後ろから撃たれるぞ。味方からな。退出せよ」
ステイルメイト 後