逢香と魔言は電車に乗り新都心駅で降りた。オフィスビルが立ち並ぶ都市の中心。その中でも有数のインテリジェントビルの高層階。そこに目的の人物は事務所を構えていた。
ビルに入れたのは魔言の細工を使ったとして、本人が会ってくれるかどうかは運しだいだった。だが受け付けを通すと、彼は快く受けてくれた。
わたしが竹刀もっていること、わかっているのかな。如月士浪氏は。奥に案内され、彼の個室に入る。必要以上には広いのであろう、ゆったりとした執務室。
「教えて、如月さん……いいえ、マーダックとよぶべきかしら」わたしはスーツを綺麗に着こなす長身の青年紳士に問う。「あなたが、あの戦いを招いたの? 多くの犠牲が出ることを知りながら」
「マーダック、ですか。わたしの関わった行為があの惨事を招いたことは認めます」穏やかに言う。「やむをえない処置です。さもなければ、人々の未来は閉ざされていたでしょう。亜人たちは、分裂しています。かれらをまとめる『よるべ』がないいまでは」
「マーダック……わたしあなたを許せない!」
そのために、パティの弟は……。これ以上の悲劇を招くわけにはいかない。
「お怒りは理解します。許されるはずはないと、承知しております。わたし一人で罪が償えるものならば、喜んでこの命差し出しましょう」
青年は変わらず穏やかに言う。深い悲哀の表情に真摯な声。わたしより二十センチ近く高いのに、ぜんぜん威圧を感じない。誠実な印象。本心なのだろうか。
「勝手な真似を! 俺がそんなことをいつ望んだ」
魔言は吠えている。意味不明。子供ってなに考えているのかわからないなあ。でも士浪は真面目に答えていた。
「信じてください、あの活動のプロパガンダは建前。本心を隠したいつわりです。日中バイオを追い落とすための政治工作に過ぎません。ハンターはわたしの手中に落ちるでしょう」
「なるほど……策士が。立場が必要だったのだな。そうだな、本当に亜人たちを助けるには力が必要だ」
魔言はつぶやいた。何を話しているのかわからない。かれは続ける。
「もう後戻りはできない。そうだな。士浪、おまえの罪ではない。いずれ俺が負わなければならなかった事だ。『よるべ』、か。わかった。俺は戻る。仕事は引き継ごう」
なに言ってるのか。わたしは竹刀を取り出し、青年に指を突きつける。
「勝負よ、マーダック! わたしが勝ったら、いうこと聞きなさいよ!」
「士浪、下がれ。けじめは俺が取る」
魔言は命令口調。話がかみ合わない。
「しかし真琴様……」
マコトサマ? マーダックが敬称で呼ぶなんて、魔言はいったい……。魔言が一瞥すると、あのマーダックが……いや、違うのだろうか。士浪と呼ばれた青年が後方に下がった。かわりに魔言はその位置にかわる。
「ソードダンサー、どこを見ている」魔言は呼びかける。「俺はここだ……きみの敵、マーダックは」
「マーダック?」
どういうこと? わたしは意味がわからなかった。
「最初に言ったはずだ。俺はろくでなしだ。俺を信用するなと」魔言は冷ややかに言う。こんなにも歪んだ彼の顔を、初めて見た。「俺は神無月真琴。日中バイオ創始者の息子だ」
かんなづきまこと? 魔言が……亜人たちの待ち望む救世主、王子様?! それがマーダック……パズルのピースは埋められた。
真琴。妖精の国を追われた亡国の王子。かれが自らの復讐のために、情報屋マーダックとしてカウンターハンターを動かしていたのだ。破壊と殺戮、混乱の火種を……。どれほどの悲しみが生まれたことか。どれほどの喜びが奪われたか。
わたしは頭に血がのぼった。なにも考えられなかった。衝動的な怒りの発作。わたしは渾身の力を込めて、魔言に竹刀を振りおろしていた。
魔言の動きは目に見えなかった。
魔言は上体をそらすだけで攻撃をかわしていた。同時に竹刀の背を右手で押さえ込む。無刀白刃取り!
本当ならこの瞬間、竹刀はわたしの手からもぎとられていたのだろう。しかし、魔言はわたしの体勢を崩すとあっさり手を離した。奪い合いになれば、体格の大きいわたしのほうが力で勝るかもしれないからか。スキを見せないためだ。
かわりにがら空きになったわたしの胴をけりとばす。あまり痛くなかった。距離を開けるためだけの攻撃だ。その配慮に愕然と、自我を取り戻す。
「はじめようか、逢香。ひとつ約束してくれ」魔言は語りかける。「これを最後に、ソードダンサーをやめることを……そうだな、俺が勝ったら」
なんて子……かれはこれでも実力を出していない。ほんとうに技なんて使っていない。これは『間』だ。戦いの間合い。それを見切っているのだ。武術の心得で一番大切なこと。力も技も衰えた八十を超えた老人が、依然達人として君臨する理由。そんなほんとうの戦士の前には、こんな竹刀つまようじ同然。
だけどなぜ? いちばんつらいのは、かれなのに! 家族を失い、住む場所を追われ、友人すらいない……
「やめようよ、こんなことをしたってなんにもならないよ」
「だが、俺の行動を許しはしないだろう? そしてカウンターハンターをやめる気もないな」
「それは……」
わたしは言いよどむ。亜人たちを本当に救うのは、こんな戦いなどではないはず。いいえ。それは魔言もわかっているはず。なのに!
「俺の進む道は、おまえとは違う」さみしげに言う魔言。「だけど逢香と会えて、楽しかったよ」
そうじゃないよ、そんなの間違ってるよ……わたしには見える。彼の心が悲しんでいる。冷たい暗闇の中で震えている。いままでこうして生きてきたの? ずっとこうして生きていくの? そんなのむなしすぎるよ……誰かのためだとして、その人も望むはずがないよ、それに気づかないの?
「わたしは……あなたを止める!」
気合の声とともに、切り掛かった。魔言はわたしの攻撃を弾いた。流れるようなコンビネーションで、返し技がくる。体重を乗せたかかと落とし。なんとか受けれたけど竹刀はたわみ、きしんだ悲鳴をあげた。柔軟な竹刀だからこそ、防げたのだ。硬く粘りの無い鋼の真剣なら、折れていたかもしれない。
手がびりびりと痺れる。一瞬動きがとまったわたしのみぞおちに、正拳突きが炸裂した。わたしは咳込んだ。意識が飛ぶかと思った。
「無理するな。素人の女ごときが、俺に勝てるはずはない」魔言は辛辣に語りかけてくる。「もう、戦いから身を引け。普通の女の子にもどるんだ」
優しい子。ほんとうならわたしなんてひねり潰すのたやすいくせに。お願い、わたしの思いが届くなら約束して……
「あなたこそ、ガキのくせに無理しちゃって。悲しい事があったら、泣いていいのよ。そのかわり。うれしいことがあったら、素直に笑って」
「なにをいっている!」
声は震えていた。
疾風のような回し蹴りが一閃した。目の前に星が散った。わたしに痛打を与えつつも、マコトが苦しんでいるのがわかる。わたしの受けた打撃より、かれの心のほうが痛々しい。彼の心を開けたら……。
「悪い子じゃないこと、わかってる。あなたいつも素顔をかくしてつっぱって。ひとりでなんでも抱え込んで。笑うことを知らない。あなたの笑顔を見るまで、わたしはあきらめない!」
わたしには無理なことわかってる。だけど二度と泣く人を出さないために……わたしは戦うの。それがソードダンサーだから! 最後の余力で、わたしは突きかかる。
ソードが交差した。打撃が襲った。痛みすら感じない。意識が遠く。身体が動かない……わたしは敗北を知った。力なくくずおれる。マーダックは倒れているわたしに、ためらうようにゆっくり近付いてきた。
……? かれは膝をついてわたしの頭を抱きかかえた。暗くなっていく視界の中で魔言の顔から、あせとは違う、透き通った水滴がこぼれ落ちるのを、見たような気がした……