直人は苦笑を返した。
「大した手間じゃないだろ? 一分もかからない。調べてみろよ」
研究員は、端末を起動させた。モニターを見つめるその目が、大きく見開かれる。蒼白になった顔を直人に向ける。
「馬鹿な! これはどういうことだ」
「口座、凍結されてるだろ? 融資もカットされたはずだ。当たり前さ。ちっぽけな研究所なんかとは比べ物にならない、お得意様のご機嫌を損ねたのだから……そして」直人はニヤりと笑った。「おれが借金を返さないまま死ぬことを、ヤツが許すはずはない」
白い閃光! その言葉を待っていたかのように、眩しい明かりが室内を照らした。光は窓の外から刺してくる。強力なサーチライトだ。隣のビルの屋上には、派手なマジシャンの黒衣を着た、白い化粧をした男が!
フェイクジャグラーだ。かれは屋上の壁を蹴って、宙に舞った! ワイヤーが渡してあるのか、それを滑車で滑り降りているのだ。まっすぐこの部屋に向かっている。窓を蹴破って乱入するつもりか! ……?
ドシャッ~~~ンンン!
ジャグラーはカエルのようにべちゃりと窓に叩き付けられ、大きな音をたてた。それから力なく落下していく……。
当たり前だな。現実はビルの窓は強化ガラスだから、アクション映画みたいに派手に割って飛び込めるはずはない(というか成功したら、ガラスの破片で大怪我するだろう)。なにしにきたんだ……。
? 換気に開けてあった小窓から、何か飛び込んできた。一典がほおったのだ。
ジャンクドランカーの装備、電動エアガン! 直人はそれを受け取り構えた。
「やってくれたな、ガキどもが……おまえらを捕らえれば、面目は保てる。銀行などほかにいくらでもある」研究員の顔はどす黒く変色していた。「ペイントガンだと、そんなおもちゃで本物の銃に対抗するつもりか?」
「遅い。三秒前ならおまえにも勝ち目はあった」直人はせせら笑った。「おれの装備を見てなにもしないとは、なめられたもの。使い方を知らないくせに」
「なんだと?」
研究員は顔色を変えた。
「撃てよ、運試しをしてみろ。先に抜いていいぜ」
「なにを!」
研究員は吠えた。拳銃が動いた!
西部劇のようなクイックドロー(早撃ち)対決? 研究員は銃口を向けた。だが力量の差は歴然だった。
直人は熟練のガンマンの動きで、エアガンを発射した。見事な腕前、正確なピンポイント射撃! カプセル弾は研究員の拳銃に命中し液体まみれにした。
ジャスティス・ショットか。手や銃を狙って撃つことで、相手を殺さずに倒す『正義の一撃』。しかしモデルガンでは何の効果もあるはずが……。俺は冷や汗が出た。敵に反撃の口実を与えるだけではないか。
研究員は顔を歪めると、拳銃をゆっくり直人に向ける。俺はあせった。だがいまからではどうしようもない。無鉄砲に飛び出そうとする逢香を引き留めるしかできなかった。
「馬鹿が。正当防衛だからな」研究員は吐き捨てるように言うや、トリガーを引く。しかし銃は火を吹かなかった。弾丸を叩く撃鉄は異様にゆっくりと動き、カチリと鳴らない。研究員は驚愕の声で叫んだ。「なにをした! 貴様」
「どぶろくさ。どろどろのべたべたのね……止めた方がいいよ、拳銃の中身からまってる。ジャムって暴発したら指が飛ぶ」ドランカーは俺に振り向いた。「じゃあ、お二人さん。後はよろしく。おれ、喧嘩は苦手で」
「ま、まった! 降伏する、言うことを聞く」
研究員は拳銃を床にほおりすてた。
逢香が進み出、研究員を縛り上げる。俺は深々と嘆息していた。
戦いと呼べる代物ではない。でたらめもいいところだ。こんなイロモノの変人揃い、それがカウンターハンターなのだから。逢香は話しかけた。
「直人、あなたもカウンターハンターだったのね」
「そう、ジャンクドランカーさ。だけど」直人は呆けている。「きみと以前、どこかで会ったっけ?」
バババッ! 逢香は直人の顔をビシバシ往復ビンタした。まったく乱暴な女だな。
「待った、話すことがある」直人は打撃にふらつきながら言った。「おれを嵌めたのはマーダックだ! 俺を囮につかったんだ、畜生、やつはとんだ食わせ物だ。この前のスタジアム襲撃のときもそうだった。マーダックは日中バイオと裏取り引きをしていた。カウンターハンターの身柄を売り渡す、というな!」
「なにいってるの、マーダックさまがそんなこと!」
「信じるかどうかは、きみ次第さ」直人はきびすを返した。「おれはフェイクジャグラーを助けに行く。おわかれだ、ソードダンサー」
ジャンクドランカーは立ち去った。俺は監獄へ向けて歩き出した。逢香はついてきた。
せせこましい細い通路には、警備員がいるはず。俺は多少の戦闘を覚悟していたが、誰もいなかった。なぜなのか、わかった。脱走者の追跡に回ったのだ。
亜人、妖精の一人が事件を察知し、協力してくれたのだ。身を呈して……彼は血まみれになって倒れていた。俺よりも小柄な子供の身体。白衣には幾筋もの銃弾の後。
致命傷。俺はそれを悟った。もう、手の施しようは無い。だが死ににくいところに負傷したものだ。即死できない。苦しむだけだ。俺は、携帯を使った。
逢香は駆け寄り、傷ついた妖精に手を差し伸べた。
「リティン! あなたリティンでしょ、パティそっくりだもの」
「触るな! 人間が」亜人の少年は叫んでいた。甲高い子供の声で。「おまえらは俺の仲間を殺した! 何人も何人も。実験と称して、ゲームと称して。楽しげに笑いながらためらうことなく! みんな……友だった。みんな、若かった。奴隷なんかでなければ、この世になにか生きていた爪痕を残せたはずだ!」
「ごめん、でもわたしはあなたの味方よ、助けてあげる。行きましょう、お姉さんが待っているわ」
「そうか……プラパティが」妖精は苦しげに喘いだ。口から血がこぼれる。「もう、俺は助からない。おまえらにせめてもの情けがあるなら、俺にとどめを刺してみろ」
! 逢香は問い掛けるように俺を見た。おののいて、瞳に恐怖の色が浮かぶ。
「いま、人を呼んだ。痛み無く眠れるはずだ」
俺は静かに言った。口の中が苦かった。
すぐに、ヒュプノティストがやってきた。年齢不詳の臨床心理師。白衣は彼女の仕事着だが、それはこの施設への侵入を助けたことだろう。彼女は事情を知ると、傷ついた妖精にやさしく語り始めた。
催眠術。妖精は眠りに落ちようとしている。だが、彼は最後に話し掛けてきた。
「あなたが、なにものかわかりました。おそすぎましたが、わかりました。あなたは、われわれを救ってくれるのでしょう? 俺には間に合わなくても、運命の日には」
「約束する、当たり前のことだ」俺は断言した。俺にできることはこれくらいだ。「もう休め、この世の苦しみはもうおまえのものではない。もう、おまえは自由なんだ」
妖精の少年に、俺の声が届いたかはわからない。彼は目覚めの無い眠りに落ちていった。逢香は声を出さずに、泣いた。
こうして、この作戦は終わった。亜人たちは一人の犠牲を除いてみな、助けられた。俺と逢香は深夜の道を、並んで歩き帰路についた。
「ごめん……逢香」
俺はぽつりと言った。他にかける言葉がなかった。
「なんで謝るの? 魔言はなにも悪くないよ」
俺は逢香の目を直視できなかった。まっすぐな瞳。その実直さが、俺の胸をえぐる。
水がほしい。俺は痛いほど渇いていた。雨が降るかな。鬱々とした空を仰ぐ。この戦いはいつまで続くのだ?