平和な夢……。わたしは白亜の城に住んでいた。春の晴天、真昼の太陽がその壁を眩しく照らし付ける。御伽話に出るような、広くて何階もある大きな王宮。逢香はお姫様の格好をして、綺麗な長いドレスをなびかせる。その王国の人たちは、みんなそうして住んでいるの。小人も妖精も、角と牙ある鬼たちもそうして幸せそう。
時計台の針が二つとも真上に重なるとき、旅立ちの鐘が鳴らされる。わたしたちはとても高い尖塔の階段を登り、バルコニーへ出る。そこには幾頭もドラゴンが待っている。
大きな蜥蜴の身体に、蝙蝠の翼を持つ美しい飛竜。背中には鞍があって、わたしたちはそれに騎上して塔からいっせいに飛び立つ。風に乗り空を越え星を越え、まだ見ぬ新しい世界を目指して……。
わたしはふと気がつくと、起き上がって大あくび。ベッドから抜け出して降りた。カーテンを開け光を入れる。もう朝だ。逢香の新しい一日。いつもならパティが起こしにくるまでぐずぐず寝ているんだけど、今日は早起きしよ。なんたって魔言って相棒ができたんだもんね。
部屋向こうのベッドを見れば、もぬけの殻。まだ六時前なのにパティって早起きだなあ。いつもこんな早くから御飯作ってくれてるんだ。たまには手伝わなきゃ。でもその前にシャワー浴びよ。わたしは寝室を出ると階段を静かに降りて、バスルームへ。
楽しい夢だったなあ。わたしはあったかいお湯を浴びながら思い返す。なぜか最近、この夢ばかり見るのよね。理由はわかっている。パティから話を聞いたからだ。
パティは店で働かされていたとき、同じ境遇の仲間から聞いたとか。亜人たちには、王子様がいるのだと。素敵な親愛される王子様、その名を神無月真琴。亜人たちと一緒に生まれていっしょに育ち、すべての亜人を兄弟同然に接してくれたとか。すらりとした長身の美少年、優しくて裏表無くて、明るい笑みを絶やさない素直な子。
その子が厳密に、人間なのか亜人なのかはわからない。遺伝子工学の権威神無月教授の跡取りとして育てられたけど、本当に純血の人間かは疑問とされ、真琴は周囲の無理解な人間から白眼視され、世間と学校では孤立していたとか。でも仲間の亜人たちを守る姿勢を常に崩さなかったという。亜人を奴隷とする法律が施行されたとき、かれは血液検査で何日も拘束されていた。釈放されてからは亜人解放の運動を始めたが、やがて事件に巻き込まれたものか行方不明になる。
亜人たちは収容所の絶望的な日々を送りながら、その救世主を待っていた。王子様。かれがすべての人たちの心をまとめ、亜人と人間たちとがこの大地の元、ひとしく幸せを受けられる日がくることを夢見て……。
神無月真琴か。立派な男の子だなあ。おんなじマコトでもエラい違いだ。ヒネた不良少年の魔言にそのつめの垢を煎じて飲ましてやりたい。
ふっふっふ魔言ちゃん。わたしからは逃げられないわよ。もう住んでるアパート知っちゃったもんね。家庭環境に問題あるのかなあ。親も寄り付かずに、ほとんど一人暮らしらしいし。わたしが面倒みなきゃ。
いいお湯だった。身支度して台所へ入る。
あれ? パティいない。まだなにも用意してない。どこかなあ、パティ家の外へは出ないのに。玄関を見る。カギはかかったまま。居間にもいない。お風呂でもない、トイレにもいない。二階へ上がる。あとはわたしの部屋だけだけど……ドアを開けて愕然とする。
なんでいないの? まさか見つかって当局に連行された? いや、それならわたしがこうしていられるはずもないし……はっと思い当たってわたしは駆け出した。
客室だ! 昨夜の遅い夕食、パティと魔言の二人様子おかしかった。互いに紹介されてから、ろくに話もせずおどおどうつむいちゃって。子供同士お似合いカップルで、照れているのかと思ったが……
「なにやってるの、あなたたち早すぎるわよ!」
わたしはドアをどかっと開けた。決定的現場を目撃。
同じ布団に入って寝ている! 最近のガキって……見も知らない相手、信用するんじゃなかった。自分のうかつさを呪う。はっと気づく。パティ、泣いている! 眠っている彼女の目から、涙の筋が。とりかえしのつかないことを!
「魔言、なんてことするの!」
わたしは失意に泣きわめきながら、ばしばし魔言の頬を叩いた。
「痛! なんだ? なにするんだ!」
ようやくおきて魔言は寝ぼけ声で言う。
「妹に手を出すなんて、絶対に許せない!」
半身起きた魔言をぐうパンチでどかどか殴りまくる。
「なんのことだ、うわっ! なんだこれは」パティを見て悲鳴をあげる魔言。「俺はなにもしてない! いま気づいたらそばにいたんだ、知らない!」
「うそ! パティ泣いてるじゃない! なんてひどい……ごめんねパティ、わたしが馬鹿なばっかりに」
わたしは泣きながら、魔言の首をぎゅうぎゅう締めた。魔言はじたばたしていたがやがて、がっくりと力なく締め落とされた。パティの一言がなかったら、わたしは人殺しになっていただろう。
「逢香さま、なにをしているんですか?」
きょとんと、寝ぼけ眼でいったのだ。
……で、わたしとパティはリビングに降りてお茶にした。気絶した魔言を残して。
「すみません、逢香さま。わたし昔の事を思い出しちゃって」パティは事情を知り、すまなそうにいう。「わたし弟がいるんです。妖精の男の子の運命を、知っていますか?」
「そういえば、妖精って女の子ばかりよね。男って聞かないわ」
確かに変だ。他の亜人なら、鬼だって小人だって男も女もほぼ五分五分。妖精だけ違うのはなにかある。
「わたしたちの男は、知能労働に向けて教育されます。優秀なものは研究機関のシンクタンクに入りますが、他のものは……テストに通らないと、廃棄されるんです」
「はいきって?」
おうむ返しに聞く。意味がわからない。
「処分です。捨てられるんです。施設から連れ出され、二度と戻っては来ません」
その声は明らかに脅えていた。
どういうこと? 亜人の養子縁組なんてあったっけ? わたしは学校の歴史で聞いた、ある事件に思い当たった。それってもしかして……大戦時のナチスのホロコースト!? 役に立たないものは虐殺しているというの? わたしはおずおずと聞いた。
「ねえ、それって……」
「施設の管理者は言っていました。作り物の亜人には、魂は無い。だから殺しではない、廃棄だと」パティは身を震わせて泣き出した。「わたし夕べ眠れなくなって……でも逢香さま起きてくれなくて。それでつい魔言さまに会いに……弟に似ているんです」
わたしは無言で、なきじゃくるパティの肩を両腕で抱いてあげた。わたしはぐらぐら煮え返る心を、無理に押さえつけていた。
ソードダンサーの次のターゲットは決まった。だけど魔言には悪いことをしたなあ。起きたら怒るだろうなあ。協力してくれるかなあ……