「みなさん席に戻ってください、危険です!」アナウンスは明らかに慌てている。「さもなければ鎮圧します、負傷しても慰謝料は下りませんよ!」
わたしは闘技場のリングに近付いた。悪鬼の奴隷を助けるためだ。
警棒を手に、警備員が行く手を阻む。一番手近なやつにわたしは飛び掛かった。助走を付け高く蹴り上がる。相手の足を踏み台にバック宙をしながらその頭を蹴り飛ばす。
サマーソルトキックだが、わたしのはもっと強烈。着地と同時に倒れた敵を踏みつけるのだ。狙うのは脚。身軽な身体があればそう難しくはない技だけど、プロレスでこれをマジに胴体や頭にやると相手死ぬって。
倒れた警備員から、さっと警棒を奪い取る。七十センチ強とやや長め、頑丈な作り。竹刀より短いけど、打撃効果はそれ以上。
これが今日のソード(剣)。あとはリズムに合わせてステップを踏むだけだ。
ソードダンス開始!
舞いを披露する。素早い跳躍。片手を地について側転しながら、かかと蹴りを警備員の頭に入れる。逆立ち姿勢のまま同時にもうひとりの脚に警棒を振るいぶったたく。これで二人はもはや戦闘不能、倒れていることしかできない。わたしはひらりと起き上がり、不敵に構える。
警備員たちは怯んで、わたしに近付いてこない。しかし一人が進み出た。
ケバケバのトサカ頭にぼろいラグ(悪趣味……)。アナーキーな格好をする青年。テロリストを狩るハンターだ。そいつは余裕の笑みを浮かべ、手にした模造刀を肩の上に構えた。剣道使いか。上段をややくずした力強い構え。来る!
薩摩示現流「一の太刀」! わたしはそれを見切った。突っ込んでくるハンターを、ふりおろされる刀をステップしてかわす。
一の太刀って防御を無視して繰り出される強力な一撃必殺技なんだけど、初太刀さえかわせば怖くない。けりをつけようと、わたしは切り結びに入り……はっとしてトンボを決めて離脱した。
ハンターの持つ刀、細工してある。かすかに火花がスパークするあれは、ショックロッドか。暴徒鎮圧のための、高電圧を発する警棒。苦戦するのよね。わたしの衣服絶縁素材じゃないから、かすりでもしたら気絶する。悪いことに、雨に少し塗れているし。
ハンターは優位に気づいたらしい。突きかかってくる。わたしは手近なところにぼーっと立っていた一人の背中を踏み台に、高く跳躍して逃れた。少し広いスペースで間合いをとる。
踏み台にされた人は、巻き添えとなり(ごめんなさい)電撃を受けあわをふいて卒倒した。これはピンチだ! マーダック、きっとこの会場のどこかにいるのよね。助けに来てくれないかなあ。ハンターは攻めてくる。わたしは応戦した。
ガッ! 受け流すつもりだったが瞬間的な衝撃とともに感電した。警棒を電気が通ったのだ。痛い! 痺れというより明らかに身を切るような鋭い痛みが右腕を走った。わたしはがくりと膝をつく。やばい、このままじゃ……
「はいはい下がって。おれに任せな」
と、間延びした声がした。
見ればダレたシャツを着た中肉中背、人のよさそうな丸顔の兄ちゃんがいる。二十歳くらいかな。仲間のカウンターハンター! ……じゃないね。その手にあるビール瓶はなに? あんちゃん、酔っ払ってるな!?
ハンターが詰め寄る。兄ちゃん武器なんてなにも持ってないじゃない、どうするの!
「抵抗するなら容赦は…!?」
ハンターは最後まで言い切れなかった。
兄ちゃんはへらへら笑いながら、ビール瓶の口をハンターに向ける。指を離すと、ビールが吹き出した! 炭酸を利用した水鉄砲だ。ハンターのショックロッドはショートして、持ち主を感電させた。ハンターは電撃に悲鳴をあげることすらなく、卒倒した。
こんな手があるなんて。イメージとだいぶ違うけど、彼がもしやマーダック? しかし。
「じゃあ、後はよろしく。おれ喧嘩は苦手で」
酔っ払い青年は言うや、あっさり立ち去ってしまった。お~い、かよわい女の子を残して?
ひどい。あんなやつ、絶対違う! マーダックさまはきっともっと立派な戦士で……そうそう、ちょうどあそこに縛られている青年のように。回りにはかれに倒されたらしき警備員の山。
え? ぎくりとその場を見る。
ちょっと遠いけど身長百九十くらいあるずばぬけた体躯の青年(イメージでいうとクマのプーさん)が、ハンターに取り押さえられている。いくつも錠がついた、何本もの長い鎖でぐるぐる巻き。
カウンターハンターの仲間が捕まったんだ、助けなきゃ! わたしは無理して立ち上がると人込みを掻き分けた。
あれ? 目を疑う。ふと青年を確かめると、かれは自由になっていた。縛られていたのにものの十秒ほどで、どうやって抜け出したのか……それも不思議なことに、ハンターの一人が逆に鎖で縛られもがいている。
二人のレスラー体格のハンターが、両脇から青年に組みついた。青年は締め技で両腕と片足を固定され、もはや抵抗は不可能かに見えた。しかし。
「ねえ、もうはなしてよぅ~! ぼく、争いは嫌いだよう」
なんて弱音を吐いた次の瞬間。
青年は足をさっと振り払うと、地面を蹴って宙を一回転した。ハンターの腕はねじれ、嫌な音を立てて折れた。だが青年の方は涼しい顔だ。腕がまるまる一回転、奇妙な形にねじれているというのに!
自由になった腕はくるりと元に戻り、青年は慣れた手付きで肩に押し込んだ。関節を外していたのか! 他のハンターが青年に殺到する。巨体だから、目立つのだ。あわや包囲というとき、青年は手で何か投げた。
パンと破裂する。花火だ。閃光と煙で、視界がほんの一瞬失われる。だがこの瞬間、青年の姿はかき消えていた。サーカスの大道芸人か? なにものなんだ……。
わたしは状況をたしかめた。もたついている間に手柄は奪われたらしい。もう、助ける予定だった亜人奴隷はいない。マーダックの手引きで逃げたのだ。
依然コロシアムは混乱の坩堝だけど、乱闘は専らお金を拾おうとする観客と、鎮圧しようとする警備員とで起きている。もう今日は終わりだ。まもなく機動隊がくるだろう。暴動が収まる前に脱出しよう。
と、そのとき。獲物を発見した。伊藤会長! 数人のボディガードに囲まれ、コロシアム隅のゲートの近くにいる。ボディガードは壁ぎわにだれか一人追いつめている。
え? なんで。さっきの生意気少年?
ボディガードは注射器を持ち、自分の腕に注射している。戦闘用ドラッグだ!
覚醒剤や興奮剤を使用すれば、反射神経は高まり脳のストッパーが外れることから筋力も二倍ほど強くなる。戦いの恐怖心も無くなるし、殴られても痛みは感じない。
子供一人になにを! わたしは駆け寄った。
「餓鬼がつけあがりおって。情報をよこせ。さもなくば痛い目に会う」
伊藤は脅している。
「なめるな。俺を誰だと思っている」
少年は右手をさっとあげた。見れば変な装飾がいっぱいついた、革手袋をしている。その手を縦横無尽に振り回し始めた。指先も見えない楽器を演奏しているかのように、くねくねと動く。サングラスに様々な色の光点が明滅する。
アドバンスド・ターミナルか! モバイルパソコンの発展型。サングラス型のモニターと、(キーボード無しに手の動きで操作する)手袋型のインターフェース、モーショングローブからなる。
携帯電話やノートパソコンより有効とは知られているんだけど、あまり流行らないのよね。使用者の外見がサイバーパンクSFみたいに可笑しくなるから。でもそれでいったいなにを?
ガシャッッッン! 突然の大音響。
上から檻が落ちてきた! 伊藤とボディガードはその中に閉じ込められた。もともと鬼を入れるオリなのに、なんで? ひょっとして、ハッキングってやつ? スタジアムの管理制御システムに介入したのか!
「伊藤。おまえにはそのオリがお似合いだ」
少年はニヒルに皮肉を言う(すっごい似合わない)。
「逃げ切れると思うな、小僧!」
伊藤はやくざのように凄んだ。
「そうかな?」
少年はさっと手を振り払った。同時にそれまで鳴り響いていた警報がやんだ。ヒステリックにわめいていたアナウンスも止まった。壁に設置されたモニターは消えうせた。会場のゲートがすべて開いていく。伊藤は顔色を失った。
少年は立ち去ろうとする。わたしは追いかけた。
「あなたが?」わたしは少年に近づき、声をかけた。「すっごおぃ! 見かけによらずやるわね」
「クラックなんてサルでもできるさ」それが答えだった。「余計な嫌味を言うな」
「ごめんね。そう、あなたもテロリストだったのね」
「俺はそんなんじゃない」
「言い直すわ。レジスタンスのカウンターハンターくん。あなたもマーダックさまに導かれたんでしょ」
「マーダックさま?」少年は意外そうに言うと口元を歪めた。「敬称なんて付けるな。どうせただのろくでなしさ」
「かれを侮辱しないで、ガキのくせに」
わたしはむっとした。わたしのマーダックさまにケチつけるなんて!
「きみこそ、会ったこともないくせに。ヤツを信用するな……レジスタンスを気取りたいならな」
少年はそう言い残すとぷいっと立ち去り人混みに消えた。ちょっと後悔した。カウンターハンターなら、わたしの味方。名前くらい知りたかったのに。
わたしも、スタジアムを後にした。警棒は、捨てた。いつも得物はそうしている。足がつくのいやだから。
家に帰り、さっそく冷水シャワーで汗を流す。後はゆったりしたシャツを着て、自室で食事を片手にパソコンを使う。わたしは情報を収集した。
さっそくニュースが入ってる。新都心スタジアムでの大規模テロ。ソードダンサーは一躍名を轟かせて……いなかった! あまりにカウンターハンターが多いので、活躍は埋もれてしまっていた。逢香頑張ったのに。
かわりに頻繁に報道されたのは、事件を引き起こした謎の情報屋マーダックだ。それから日本中央バイオニクスで臨時株主総会があった。伊藤会長はこの責任をとらされ、更迭された。やったあ、大勝利!
わくわくしながら、銀行口座を確かめた。わ~い、増えてる増えてる。マーダックさま、ちゃんと送金してくれたんだわ。これからショッピングだ! わたし買い物好きなの。なんたって逢香逢香(ほう、買おうか)って友だちから、からかわれているくらい。
わたしは一晩中ネットサーフィンした。何時間も何時間も。いつの間にか、疲れ果てて眠った………。
!!! 気がつくと昼を回っていた。とんでもないことを思い出す。今日はデートの約束があったのに! おそるおそる彼氏に電話すると、メールだけかえってきた。