辺境の連隊基地に、ダグアは帰投しなかった。議会期間は終わったというのに、どうしたのだ。
エストックは信じられない思いで、評議会に出席したダグアを見つめていた。かれはこの一週間、弁舌のみで戦い抜いた。平和的和解を求めて。賛同する議員はいなかったが、民衆の意見は真っ二つに割れた。街では反戦デモが起き、大勢が行進した。一部では警備兵と衝突した。
しかし。評議会最終日の落日を知らせる、鐘の音が鳴り響いたとき。議長としてわたしは命じるしかなかった。
「拘束せよ。ソードケイン軍士を銃殺刑に処す」
ダグアは抵抗しなかった。
「約束、してほしい。戦争を……殺し合いを、この世から無くすことを」
「ダグア……ごめんなさい」フレイは震える声で明言した。「できない。約束、できない。わたしは、戦士だもの。矛盾してるの、自分でもわかる。でも戦士はみんな、戦争を終わらせるために戦うのよ」
「ありがとう。最後まで正直にいてくれて」ダグアは優しく言った。おそらく、笑っていたのだろう。「何故、そうまでして人は戦うのか。結局、わたしにはわからなかった」
「あなたは……」
フレイはその先を続けなかった。
だがわたしは思う。ダグアは誰より戦い、というものを知っているのだから。その醜さを、汚さを。それを一身に引き受けて、かれは逝こうとしている。
「さよなら、フレイ」
それが、最後だった。
ダグアが連れ出されて間もなく。処刑は実行された。
乾いた銃声が轟いた。十数発のそれはこだまし、辺りへ響き渡った。
エストックは黙祷した。銃声なんて、小さいものだな。おもちゃの紙鉄砲でも、そのくらいの音は出る。この事実に気が滅入る。人間とは、こんなに簡単に殺されてしまうものなのか。命とは、なによりかけがえがないのではなかったか。
撃墜王。その異名で呼ばれる青年は死んだ。
かれが悪漢だったのか、それとも英雄だったのか。そんなことは誰にもわからない。ただ言えることは、その死とともに平和が訪れたということだ。
戦争は、起こらなかった。
王国に反抗したダグアとの戦いは、防げたのだ。その功績は誰なのかと問われれば、民衆は評議会議長エストックの名をあげるだろう。つまり、このわたしを。
評議会の決議を利用してやったのだ。謀反人ソードケイン卿ダグアとシント共和国王を、処刑することとの。それを実現してやったのだから、もう議員どもも意見は出せない。
これで、問題は解決と思ったのだが。すぐにある事件が勃発し、エストックは対応に右往左往する羽目になる。行政宮の執務室、つまり自分の持ち場にこもり、エストックはその事実に頭を抱えた。机の上の書類の山は減りそうに無い。
エストック治める都市ナパイアイの防衛隊の飛竜たちが勝手に飛び立ち、空の彼方へ消えてしまったというのだ。最初はなにかの偶発事件かと思ったが、そうではなかった。
情報は次々と舞い込んだ。都市アルセイデス軍、都市オレアデス商人組合、都市クリス開発団……すべての知らせに目を通すまでもなく、一つの事実が明らかになる。すべての竜は示し合わせて、人間の翼を止めて空へ帰ったのだ。この地にもはや、一体も残ってはいまい。
竜がいなくなっただと?
孤独な評議会議長はその報告に面食らったが、やがて落ち着きを取り戻した。それどころか笑いが止まらない。痛快事ではないか!
当然だ。忠誠を誓っていた一番の主人が、理不尽な刑死を遂げたとなれば。撃墜王の死に竜たちが準じたのだろう。
これでいいのだろう。もう、戦争は終わったのだから。
くっ、くっ。笑いが収まらない。狂ったような一人笑いを続ける。
「こんなもの!」
エストックは叫ぶや報告書の山を、両手で引っつかむと部屋にほおり投げてやった。紙片がばら撒かれ、ひらひらと宙を舞う。竜に関するあらゆる情報……もはや無意味なものだ。後で暖炉にくべてやる。
この件は終わりだ。竜は探さない。弱者から搾取する利己主義資本家どもが、自分は戦わない卑怯者主戦論者どもが、どれだけ慌てふためこうが構うものか。
これで今日の仕事は終わりだ。久々に愉快な日ではないか。こんな夜は……
しかし大切な飲み相手が、もう一緒になれないことを思い出す。女騎士シャムシール卿フレイル。最後に見たとき、泣き崩れていた。あの気の強い女が泣くことがあるとは、驚きだった。わたしはいたたまれなくなり、立ち去った。言い訳をしてもしかたない。彼女から逃げたのだ。
まあいいさ、あんなじゃじゃ馬。どのみち愛のない結婚だった。都市の領主同士だからという、政略結婚だ。過去に二つの都市は、戦争すらしていた。それに彼女には愛する人がいる。ダグアだって、ファルシオンだって。
悲しいだろうな。みんな失ってしまったのだから。わたしに行えた少しばかりの手向けなど、偽善もいいところだ。
わたしは机の引出しを開けた。中から葉巻を取り出す。時間を忘れさせてくれる、なによりの嗜好品。火種入れを出して、点火する。すぐに芳醇な香りが鼻をくすぐった。軽く吸い込んで舌の上で転がす。部屋には白い煙が漂い始める。
クッションの効いた椅子に深く座る。ゆったりした一人の時間。悲しいのか嬉しいのかわからなかった。だがその至福の時は、突然破られた。
階下が突然騒がしくなる。使用人が悲鳴をあげ、なにか言っている。誰か来たようだ……侵入者か? なにをやっている、止められないのか、警備兵は大勢いるというのに。誰も通すなと命じたのだぞ。
石造りの通路を歩く、軍靴の音。ずかずかと大胆な足音は一人……侵入者は執務室に辿り着くと、いきなりドアを殴るように開けた。見て、納得する。なるほど、警備兵に止められなかったわけだ。相手が相手では。わたしは立ち上がって応対しようとした。
指揮官の礼服に身を包んだ女性。騎士フレイ。彼女は強引に入ってくると、まっすぐわたしに歩み寄った。右手が動く。
ガッ!! エストックはほおを殴られてよろめいた。女性とはいえ一人前の戦士の渾身の一撃だった。無理をしてまで倒れなかったのは、プライドのためだけだった。激痛が身体を貫いていた。
フレイは腫れ上がった目で、わたしをにらんでいた。
「これはダグアのぶん。それから犠牲となった戦士たちのぶん。それから……」
さらに詰め寄るフレイ。わたしは立ちすくし、その目を見つめ返す。フレイは飛び掛り……わたしを抱きしめた。
「ありがとう」涙声だった。「内乱が起こっていたら、どれだけの悲劇となったか。それを防いだのは議長を勤めたあなたよ。ごめんね、あなた一人。つらかったでしょう?」
「フレイ……」
「結婚はご破算になったけど。あなたのこと、忘れないわ」
フレイは無理に笑っていた。
わたしは口を開き、謝ろうとした。しかしフレイはそれを手ぶりで制した。彼女は、わかっているのだ。
「かれは、知ったのね」穏やかな声。「かれのような人間にとって、自分一人と、世界そのものは等価値。誰よりも、自由に生きた。そんなかれだから、社会への本当の義務に目覚めた。ソードケイン卿ダグア。最後の撃墜王は」
わたしは同感だった。だが、彼女にかける言葉がなかった。しかしフレイは優しくこう答えた。