エリムの竜はぐんぐん迫ってくる。俺はそれを見上げていた。はるか上空をエリムが通り過ぎる。俺は首を無理して曲げて、それを確認した。背後の湖面には、泡の波が続いていた。フラッシュの飛行した軌跡だ。
「フラッシュ、右旋回!」
俺も対処に移った。手綱を慎重に引き締める。
やはりエリムは降下急旋回に入っていた。大胆な突っ込みかたで、あっというまにフラッシュの背後に降りてくる。
エリムの攻撃まであと三……二……一……、いまだ。
「左反転!」
叫ぶと同時に、手綱を逆に引っ張る。
フラッシュは身体を左に傾けると同時に、尾を逆向きに伸ばした。とたんにがくり、と衝撃が来る。騎竜鞍の前方に、ほうり出されそうになる。
進行方向が、傾いた。次の瞬間。
ゴオォッ! さきほどまで進んでいたはずの空間に、敵竜の炎が突き抜けていく。狙い通り!
セオリーを無視したでたらめな飛び方だが、こうすれば急減速できるのだ。横滑りすることで攻撃もかわせる。落ちこぼれの意地だった。
このチャンスは逃せない。いまなら!
しかし俺は息を飲んだ。思惑ではこの急減速により、敵は俺を追い越してしまいその背後をさらけ出しているはずだったのに。なのにいまだ上空背後に位置し、優位を確保している!
エリムはくすくす笑った。余裕の構えだ。
「クロスコントロールか。だが甘かったな、いまの私の機動はヨーヨーという。冥途の土産に覚えておくことだ」
万事休す! エリムは速度を高度に変えて離脱したのだ。反対に俺は速度を失い、もはや身動きはとれない。だが、引き下がれない。もうどうせ逃げられないのだ。
炎の吐息は、そう連続して使えるものではない。ならば!
フラッシュに拍車を入れる。手綱を引っ張り急旋回し、無理に上昇する。下から敵竜を狙う! 俺は鞍のベルトに手を回していた。
エリムは真正面から応戦した。フラッシュが吐いた炎をあっさりかわし、爪でフラッシュの翼を捕らえてしまう。
「馬鹿が。下から突っ込んで勝負になるか!」
エリムはどなった。
フラッシュは敵竜にはじかれて、落下した。しかしベルトを外していた俺は鞍を蹴って跳び、敵竜に飛び掛かっていた。
落ちる! 湖面にぶつかる、しかしそのまえに俺の右手は、しっかりと目標を握っていた。エリムの片足。
「があっ!」
苦痛の悲鳴を上げるエリム。
エリムは怪我をしていたのか? そうだ、トゥルースはかれを引き裂いたと言っていたな。俺はその足に両手でしがみつくと、よじ登ろうとした。
エリムの竜は、降下を始めていた。湖岸の砂浜に着陸しようとしている。
「よせ、ブレード。高度を落とすな!」
エリムは苦しげに、自分の騎竜に命じていた。しかしその竜。ブレードはこう答えていた。真摯な声で。
「もう、戦いは終わりです。約定が果たされるときが、来たようなのですから」
「ばかな! 端末の持ち主もいないのに」
エリムは驚愕の声だ。
「約定など、たんなる文面に過ぎません。肝心なのは、魔剣と聖剣の持ち主にふさわしい相手に従うということ。その人たちが現れました。何人も何人も。そして同じ意志を持っていた。ならばわれらは従うのに異論はないのです」
エリムは俺を見下ろした。奇妙な目で。俺も、同じような視線を送っていたことだろう。しかしそれはすぐに笑いに変わった。俺たちの目的は同じだったのだ。
エリムはその手を俺に伸ばしてくる。苦痛にうめき声を上げつつも、俺を上に引き上げた。
ブレードは着地した。きれいな砂浜の上に、俺は足をついた。振り返ると湖面は朝日を受け、紅く染まっていた。相棒も舞い降りる。
「ベイン」フラッシュの声。「お見事でした。勝敗は関係ありません、両者とも魔剣を手にする資格はある。わたしたちは消えた方がいいようです。わたしは国中を回って、仲間を引き上げさせますよ」
意外な申し出だった。しかし……。俺はエリムに注意を払う。戦争は終わっていないのに。しかし、エリムは竜の背から砂浜に降り立っていた。敵国の真ん中の地に、敵国の王子が。
「竜騎兵ウルフスベイン」エリムは穏やかに言う。「魔剣、この偉大なカギはきみに託そう。私と、きみの名誉にかけて。信頼、というものが。異国の民であるきみたちにあることを信じる」
俺はエリムの顔を見ていた。邪気の無い、穏やかな顔を。悪鬼、いままで戦ってきたものたちの素顔。これが人間本来のものであるとしたら。
それに気づいたとき、答えは決まっていた。
「いいえ」俺は答えた。「フレイムタンはこのままにしておきましょう。これからの世には、必要のないものです」
「だが、これからが大変だぞ」エリムは警告する。「まだ戦争は終わってはいない。竜が無くとも、きみたちの王国はシントに攻め入るだろう。ダグアは……やはり死ぬだろうな。きみはどうするのだ?」
そう、問題はこれから。俺は相棒を見つめる。フラッシュは誇らしげにうなずいた。
飛竜、ドラゴン。巨大で風に乗る翼を有し、気高く美しい存在。力、知性、寿命……いずれもが他の生き物を、人間をも凌駕している。
竜には罪はないのに、われわれはその力に頼り過ぎたのだ。だから。俺はこう言う。
「人々のきずなを頼ります。竜がいなければ、心ある民衆は黙ってはいません。いま、わたしたちが敗れ去るとしても、いつかきっと」
「そうか」エリムはさみしげに言った。「私にも、愛する人がいるものな」
これが、すべての結末だった。
しかし。最後に相棒は約束してくれたのだ。
「戻ってきます」フラッシュは断言した。「すべての人たちが分かり合え、この地に戦乱が潰えたとき。わたしたちは戻ります。そのときは、魔法文明の担い手として共に働きましょう」
二騎の竜は、並んで飛び立つと空へ消えていった。かわりに。光が、流れた。
その日、星が降った。
流星雨。星屑のシャワーは朝の紅の空を駆け抜けて、瞬いては消えてを繰り返した。日が昇っても、青い空にそれは見えていた。
一日中、この自然の花火は続いた。天空の宴。
空でなにがおこっていたのかは、わからない。だが神々がわれらを祝福するためによこした、贈り物のように思う。それとも戦場に散った竜たちの命の灯……