聖騎士隊がいない!?

 ベインは驚愕した。フラッシュの騎上である。魔剣フレイムタンの眠る湖に、ようやく辿り着いたときだった。ここまで来るのに、どれだけの防空網を回避していかねばならなかったか。なのに要所の一つである守るべき湖に、まったく竜騎兵のすがたが無いなど。

 俺は慎重に、低空から偵察飛行を続けた。未明の深夜だった。空の端はしらみかけ、湖の黒ぐろとした水面にかすかに光を反射させている。氷が張っていないのが幸運だ。ここは塩水で、半ば海だからな。上空を含め、全方位にくまなく目を配る。しかし竜は発見できない。

 何故だ? 哨戒任務の竜がさぼっているのか。それともダグアとの戦いのため、聖騎士隊がそちらの方へ派遣されたか。いずれにせよ聖騎士隊に見つかりでもしたら終わりだったから、幸運だった。

 幸運か。いくら幸運が味方したって、竜を封印するなんて万に一つもないことはわかっている。

 だがフラッシュは答えてくれたのだ。「おともしますよ、相棒」、と。

 どんなに困難であれ、魔剣を探す。湖に潜るのだ。鹵獲品の酸素ボンベがある。俺たちには作れないが、悪鬼の竜騎兵が使っているアイテム。これをつけて、湖に潜れば良い。この真冬の水の中を。

 広い湖から一振りの剣を探し出すなんて、途方も無い話とは承知する。だが、手が無いわけではない。俺は無意味に学校を出てはいない。

 魔法文明の主な道具は、すべて「光」で動いていた。過去の言葉では、電力というらしいが。それを扱う機械装置からは、特定の周波数の「波動」が発振される。近くに寄れば、俺の通信機「耳」がそれを捕らえてノイズ音を伝えるはずだ。魔剣でも同じはず。

 だが。そうして運よく魔剣を手にしても、竜を封印できるかは別問題だ。

 魔剣の真の所有者として認められなければ、意味はない。現にダグアは聖剣アイシクルを所持しながらも、真の所有者ではなかった。さもなくばかれは、とっくに竜を封印していたのだから。

 ならば俺には適うのか? 俺は英雄の器ではない。そこまで増長はしない。

 それでも、なぜ試みるのだろう。可能性があるなら、賭けてみるものだ。それが自分の理想に繋がるのなら。

 俺は湖の上を、すべるように飛んだ。くまなくしらみつぶしに、しなければならないと思うと気が滅入るが。眼前いっぱいに広がる水面。風を受けさざなみがたっている。耳に反応があったとしても、それから冷たい水に潜る。命の保証はない。

 きょろきょろと、四方を見回す。湖面は少しずつ明るくなっていく。映し出されるのは、晴天の空の星々。刀のような三日月が、水面で揺れて波打っている。ふと、思い出す。フレイムタンとは波打つ刀身をしている両手持ちの巨刀だと。 

 ふと、流星が見えた。湖面をさっと流れていく一筋の光点……?

 こっちに向かっている!

「全速右旋回、フラッシュ!」

 命じると同時に首を巡らす。頭上後方から突っ込んでくる、竜騎兵! 聖騎士隊か。猛烈な速さだったが、なんとかフラッシュは回避できた。巨体が俺のわきを飛び抜けていく。

 バシャッンン!  湖の水が爆発するように跳ね上がった。飛び散った水滴が、ぱらぱらと雨のように落ちてくる。

 一瞬、湖に激突したのかと思ったがそうではなかった。敵はすばやく体勢を整え、低空を急速離脱していく。水が飛んだのは、やつの降下による風圧だろう。

 みごとな奇襲だ。危機一髪だった!

 いまになってゾクりとする。敵は接近を直前まで、察知させなかった。一瞬反応が遅れていたら、殺されていたのだ。ほんの少しよそ見をしていたら……。しかもやつは炎の吐息を使っていない。当たらない、とわかった時点で無駄な消耗を避けたのか。

 俺は「耳」に叫んでいた。

「応答せよ、聖騎士隊。俺は味方だ!」

「私はそうではない」

眼前の竜騎兵は、そう答えた。

 急速に遠ざかり小さくなっていくその竜。耳に入ってきたのは、ぞっとするほど冷酷な声だった。くっくっと、低く笑う声に続いて言葉は続いている。

「まだ雑魚が残っていたのか。私はきみたちから、エリムと呼ばれているものだよ」

 その言葉の意味に、背筋が凍りついた。エリム!? なんてことだ。やつが聖騎士隊の竜を全滅させてしまったのか! それがいまや眼前にいる。一対一、もう助けはどこにもない。

 魔剣を奪いに来たのか。竜の群れを率いて再び戦乱を巻き起こすつもりか。それは避けなければ!

 もう、竜の封印は後回しだ。眼前のこいつを倒さねばならない。撃墜王。勝ち目などあるはずもない。だが逃げたところで、もはや俺にはどこにも行く場所がない。

 エリムの竜は猛スピードで飛び去って行くと、急上昇を始めていた。俺はそれをだいぶ遅れて、追う形となった。倒さなければ!

「俺は竜騎兵ウルフスベイン」名乗りを上げる。怖いのに妙に、落ち着いていた。戦士としての名誉だからだろうか。「鬼士エリム、手合わせ願えれば、幸運です」

「もう勝負はついている」それが答えだった。相手を見下した嘲笑。「きみは新兵だな、反応が遅い」

「……」

 俺は返事ができなかった。手綱を握る手がこわばって震える。油汗が目にしみた。

 エリムは冷酷に断言する。

「いまのきみの体勢からでは、きみが私でも勝ち目はないよ。私がきみなら奇襲を回避した時点で、いったん離脱したね。背を向けて一目散に逃げるのさ。速度、高度とも劣位にあっては、しきりなおさなければ到底無理な話だ」

 わかっていた。攻撃のセオリーは相手の背後に陣取ること。現在は俺のほうがエリムの後ろにいるが、これだけ距離があり高度が離れていては意味はない。

 いまの体勢で、エリムが旋回を始めたら? 高空から舞い降りる速度を利用し、急旋回できる。たちまち俺の背後をとるだろう。

 逆に俺が無理に上昇したら? 前進速度を損ない、運動性が落ちる。やはりエリムに背後をとられてしまう。

 対等の条件でさえ困難なのに、こんなに不利な位置関係では……。

 勝ち目があるはずはない。生存の可能性はありえない。

 しかしたとえそうであれ、俺は戦う。一線で悪鬼たちと戦っていた、連隊の一員として引き下がるわけにはいかない。

 エリムは死を宣告した。淡々と響く死神の足音。

「始めさせてもらう。たとえきみが罪のない子供であれ、もはや逃がすわけにはいかない。悪く思うな、私も一人なのでね」

 遠い上空にぽつんと見える、敵竜騎兵が動いた。エリムは前方上空で旋回を始めた。反転し、こちらに向かってくる。高度を変えないまま全速で水平飛行。しだいに大きくなる。

 俺のフラッシュの頭上を過ぎた所から、降下を交えて急旋回し後ろを取るだろう。

 そのときがつまり、俺が死ぬときだ。フラッシュも。そして……トゥルースも連隊のみんなも。ジュエル、スティール。みんな助からないのだ。みんな、裏切り者として死ぬのだ。敗者として蔑視され、歴史から抹消されるのだ。

 俺はフラッシュに、全速前進を命じた。上空のエリムに向かって、高度を上げずに湖面すれすれを、真っすぐに急速飛行するのだ。ひとつの可能性に賭けて。

 俺は一つだけ、手を持っていた。無能な俺にしかできない、奥の手。