シントの一角。都心部とはかけ離れた外れにある、木々に囲まれた郊外。うす汚れたちっぽけな建物。鉄筋コンクリートのありふれたビル。そこは病院だった。

 粗末な一室の患者は数日前まで重体だったが、いまは快癒していた。かれは普通の民衆とは違い、高額な集中治療を受けられる身分だったのだ。そのときまでは。

 竜の爪による斬撃は肉を切り裂き骨を砕き、内蔵を潰していた。これほどまでの重傷では、治療を受けられない普通の兵士は助からなかったろう。かれは一人、生き延びたのだ。リティン。敵からは鬼士エリムと恐れられた竜騎兵は。

 リティンは鬱々とした気持ちで、モニターのニュース報道を見ていた。病室の個室。ベッドに横たわり、小さなテレビを。もう意識ははっきりしている。余計な薬の麻酔効果は解けた。負傷は完治とは言えないが、傷が塞がるだけで十分だ、動くためには。

 画面では中年のキャスターが単調な声で、ニュースを読み上げていた。

「繰り返しお伝えします。共和国王子リティンは、退位させられました。司令官としての任を解かれたのです。

 国家は危機に瀕しています。

 この無謀な戦争を引き起こした責任を、追及せよとの声が上がっています。平和を乱したのは、主戦論者の指揮官リティンであると。

 それを否定していた寛大なる国王陛下は、先日王国との交渉に赴きましたが、連絡が途絶えたとの情報をわたしたちは入手しました。政府は否定していますが、陛下の存命は絶望視され……」

 私はテレビを切った。

 国王は、私を助けてくれたのだ。王子のままであれば、戦争犯罪で処刑は免れなかった。スケープゴートとして人間たちに引き渡されただろう。

 平和論者で戦争に反対し、私と常に対立していた国王が、かわりみになるとは。前線にでるものだけが、勇者ではないな。その度量には心底敬意を思う。

 トントン、と軽いノックがした。扉を直接叩いたのだ。インターホンがあるのに使わないとは、彼女しかいない。もはや、だれもいないのだ。いまの私についてくるものは。

 私は招き入れた。人間の少女は、毎日見舞いを続けてくれた。シントでは彼女は厚遇されている。勝者の民なのだから。お姫様扱いだ。

 チャクラムは悲しげな視線を送る。

 敗者への憐憫の視線。それがなにより私を苦しめた。プライドを砕かれることは、身を裂かれることに同じだ。怒りに任せて彼女を追い払わないのは、そんなことをすれば恥の上塗りになるからだけだ。

 チャクラムは問いかける。

「なぜなの? あなたは一番、国に尽くしたのでしょう」

「敗けたからさ。責任を果たせなかった。当然の報いさ」乱暴に言う。彼女に悪意がないことはわかる。それでもこんな関係は、受け入れ難いのだ。「だが、私はシントの民だ。国を守らねばならない。座ってくれ」

 チャクラムは椅子に腰かけた。背もたれが頭まであるゆったりした椅子。今日私が新しく運びこんだのだ。

 彼女は優しく言った。

「王様を信じましょう。それにダグアならきっと、理解ある対応をしてくれます」

「私はそんな楽観主義者ではない。手遅れにならないうちに、別の手をうつ」

「なにか良い方法があるの?」少女の顔がぱっと明るくなった。「でも、無理をしないでください。わたしにできることなら、協力します」

「そういってくれると、助かる」私は身を乗り出す。「カギ、端末だよ。きみたちが無くしたという魔剣を探しに行く。それさえあればシントを守ることなどわけはない。私はカギを開く」

「魔法の大砲? それを使うというの」チャクラムは驚いたようだ。表情がたちまちかげる。「それは、あなたでも教えられない」

「いや、どうしても話してもらうよ」私は指で示す。「椅子がいつもと違うことに、気づいていただろう?」

 それは「イス」と呼ばれる装置だった。インナースキャナ。脳内の思考を読み取る機械。発明はされたもののこれを故意に使うことは、大変な犯罪となっている。犯罪容疑者にすら、使用は禁止されている。本来は学術目的にしか使用を許されていない。

 個人の人権を蹂躙する、非道な手段とは承知している。

「いわゆる催眠術の振り子さ。さっきから、眠かったろう? 数分もすれば自我はなくなる。私に逆らうことはできない」

 チャクラムは、はっとして立ち上がろうとした。しかしほんの少し頭を動かしただけで、椅子に引き戻される。もう装置は効いている。神経に介入することで、身体の自由も奪っているのだ。

 少女のおびえた目が、うるんでいる。身体は捨てられた子犬のように震えている。

 私は尋問を始めた。

 魔剣の場所は?  海の底……王国の都市ナパイアイの近く。

 わかった。「新海」だ。融合炉の核爆発で陸地が吹き飛び、地面がえぐれてできた海。半径数キロの円形の、実質的には湖だな。

 なぜ誰も探さない?  

「聖剣はダグアが持っているから……」

 そうだな、それは当たり前だ。支配体制側が所有しているのに、みすみすもう一つを持って余計な脅威とさせるわけがない。質問を変えよう。

 なぜ、魔剣は盗まれない? うわごと混じりにチャクラムは答えた。

「魔剣は「聖騎士」と呼ばれる竜騎兵部隊が、守護しているわ……」

 小さな、悲痛な声。チャクラムは涙を流していた。精神をいじる機械の副作用だな。これをされたものは、暴行に等しい耐え難い心理的ストレスを受けるのだから。

 私は装置を切ろうとした。そのとき、彼女は言った。

「……行かないで、鬼士エリム。あなたを失いたくないの」

 彼女は泣いていたのだ。機械の作用ではなく。

 この事実に愕然とする。彼女はほんとうに私の身を案じている。いまの私に対してなど、見返りがあるはずもないのに。

 せっかく芽生えていた友好を、私は自分で壊してしまったのか。

 いままでの報いだ。いままで私は手段を選ばずのし上がった。他人の心情など構っている余裕はなかった。その私が友人が欲しいなどと、身のほど知らずだったのだ。

 私は立ち上がった。ベッドから降りて歩き出す。めまいがした。負傷からだろうか、それとも。よろめきながら歩き続ける。私は行かなくてはならない。

 頭の中では一つの思いが、ぐるぐると渦巻いていた。

 なにもかも、失ってしまった。なにもかも。