狂戦士連隊基地のバラックは、夕日を浴びて赤く染まっていた。荒野のオアシスのそれは役目を終え。フェイク隊長の指揮で一部、解体作業が始まっていた。もう、戦争は終わったのだから。ここは交易拠点として作り直すのだ。
ベインは基地の外れにある、オアシスのほとりに座り込んでいた。辺境の砂漠広がる不毛地帯の中で、唯一の水源。基地が設けられた理由。
ベインはかたわらの草をもてあそんだ。ここにくると心が安らぐ。オアシスには草地が広がり、少しは畑もある。しかし麦のような穀物の栽培はできなかった。畑に生えるのは雑草まがいの、ちっぽけな穀物だ。不味いし、非常食としてしか使えない。どのみちいまは冬。冬野菜となると限られる。食料は倉庫の備蓄でまかなわれているが。
ベインは泉の水を見つめて、嘆息した。
俺が助かったのは、偶然に過ぎなかった。
自らの未熟さが皮肉にも良い方に働いたのだ。俺の竜フラッシュはあまりの急上昇についていけず、失速してしまった。翼が空気を捕らえる力を失い、浮かぶことができなくなってしまったのだ。
そうなるともはや指揮通りに飛ぶことはできない。フラッシュは力なくきりもみ降下した。それが幸運した。予測不能の軌跡を描いたことで、あのエリムの必殺の一撃をかわすことができたのだ。
そして墜死を免れたのは。「命令無視をおわびします、ベイン」と謝る、フラッシュの働きがすべてだった。俺はとんだミスをしていたのだ。失速のときの対抗策は一つ。十分に降下すること。落下して速度がつかなければ、失速からは回復できないのだ。あわてて上昇なんてしていれば、俺は体勢を立て直せずに死んでいた。
未熟だ、とんだ無能ものだ。良くこれで戦争を生き延びたものだ。
戦争は終わった。改めてその事実を噛み締める。
結果から言えば俺は、撃墜比率一対十を記録した圧勝の中での、不名誉な被撃墜者に過ぎなかった。
俺は後ろから、トンと肩をたたかれた。ジュエルだ。
「なにか、報告かい?」
「鬼士エリムの撃墜が、発表されたわ。倒したのはトゥルースだって。道理でね、敵はもうばらばらよ」ジュエルは俺に笑いかける。「ベイン、あなたは一番の功績者よ。みんなそう言っているわ。作戦を立案し、エリムとも交戦した。倒せたのも、あなたがエリムを低空に誘い込んでくれたからって」
「功績はダグアだ」
俺は不機嫌に言う。うわさは聞いている。エリムと正面から交戦し、しかも直属中隊の部下を失っていないとは。直接倒したのはトゥルースだし、俺はなにもしていない。俺はなにもできなかった。
たしかに、決戦の作戦を立案したのは俺だ。
邪竜の数は多いように思われていた。しかし違ったのだ。悪鬼は辺境に小さな基地をたくさんもうけて、少数ずつ潜んでいる。乗り手が少ない悪鬼の軍なら、少ない物資で長期間潜んでいられるわけだ。それは、俺たちの基地のごく近くにある。
連携作戦か。かれらの通信機はわれらの「耳」より、はるかに長距離まで通信できるようだ。そして近くから来るため、一日に同じ部隊が繰り返し出撃できる道理だ。てっきり、襲ってくるのは別々の部隊だから総数は多いと誤解していた。
軍議に出席すると俺はこれらを説明し、堂々と提案した。
長期戦こそ無駄な消耗をするだけです、と。空戦は大気温に影響を受けます。寒くなれば空気の密度が高まり、竜の機動性が高まる。ならばこの冬こそ決戦のとき。
そして、総力をあげての敵の連絡線の急所空域を狙う一点集中大攻勢作戦が可決された。
俺はこの功により、一気にダグアとの差を詰める狙いだった。それが結果は惨めな墜落だ。しかも戦争は終わり良くも悪くも、もう勝負はできない。
「対抗意識ばりばりね」ジュエルはくすくす笑う。「でもね、戦争さえなくなれば。あのダグアちゃんなんて、ただのお人好しのお坊ちゃんよ。勤め仕事なんてできそうにないから、これから苦労するでしょうね。あなたは違うでしょ、優等生」
「気休めを言うな」
俺はいらいらと言った。
「もっと喜びなさいよ。街に戻ったら、大変よ」ジュエルは能天気に言う。「勝利の凱旋があるでしょうね。私たち竜騎兵隊が大編隊を組んで、街の空をパレードするの。下ではお祭り騒ぎの大宴会。ベイン、あなたは私と王宮のパーティーに出席するのよ。主賓としてね」
そうさ、問題はそれからさ。平和な街のお荷物として、このまま兵役を続けるのか? それとも文官になって役所勤め。どうあがいたって、俺なんかが腐り切った体制を変えられるほどの地位につけるはずはない。
われら狂戦士連隊だけに、困難な戦争任務を押し付けている権力者ども。そいつらは自身の勢力拡大のための、私兵や富を溜め込んでいるというのに。この決戦の勝利で、やつらは動くだろうな。
正義の名のもとに兵を押し寄せ、手当たり次第に略奪を働く。反抗どころか少しでも不平を言う悪鬼はなぶり殺されるだろう。妖精、と呼ばれる可憐な亜人女なら陵辱されるのは目に見えている。反吐が出る。
立場が違えば、そんな目に会っていたのはわれらだが。俺は問い掛けるようにジュエルを見る。とても勝利を祝える気分ではないのだ。誰がための勝利。
ジュエルは笑いながら、俺に封書を差し出した。トゥルースからの、俺当ての辞令書。俺は受け取った。外見は、上官からのいつもの辞令書と変わらない。しかし。
なにかおかしい。辞令なら本人に、直接手渡されるはず。非公式なものなのだろうか。俺はちらり、とジュエルを見た。立ち退く様子がない。まあ彼女に渡されたのだから、一緒に見て悪い道理はないか。
蝋で固めた、封を切る。俺は手紙を読んだ。ジュエルものぞき込む。手紙、だった。私信だ。
(同盟都市評議会の経過を伝える。
ダグアはシントの民を王国の民同様に、守ることを決意した。
これに対し、評議会は反発しダグアを反逆罪その他で告発し、有罪とした。ダグアの死罪が決まったのだ。
狂戦士連隊の残党はダグアとともに、シントを侵略の手から守る。母国と戦争になるのだ。
しかし竜騎兵ウルフスベイン、貴官だけは戦争を勝利に導いた功績がある。王国へ戻れ。貴官を失うことはできない。
これからどんな結末を迎えようと、国民には英雄が必要なのだ)
「なんだこれは!」
俺は叫んでいた。
王国と戦争だと?! 俺たち狂戦士連隊は王国随一の竜騎兵部隊ではあるが、唯一ではないし最大でもない。王国には他にも竜騎兵部隊はあるし、その勢力だってはるかに強大だ。数万に及ぶ歩兵部隊も無視できない。悪鬼たちのシントなんて、比べ物にならない。
王国と全面戦争になれば、勝てるはずはないのだ。
トゥルースは、自身が生きては残らないことを承知している!
ほおに、熱いものが流れた。俺は泣いていた。悔しかったのだ。トゥルース、なんて命令を俺によこすのだ。軽く見られたものだ。飾り物の英雄として、生き残れとは。
ジュエルは戸惑いの表情だった。ためらいがちに、俺の肩に手を置く。しかし俺はそれを振り払った。すっく、と立ち上がる。
俺は決意を固めていた。どうせ恥知らずとして生き残るなら。この上どんな恥をさらしても同じ事だ!
俺は宿舎に歩き出した。ジュエルが、どうしたのと聞いてくる。俺は答えてやった。
「魔剣だ、あれがあれば竜たちを従えられる。竜たちを封印してしまえば、これで終わりだ」吐き捨てるように言う。「フレイムタン、俺はそれを探し出す!」
「本気なの?」ジュエルはおののいている。「軍紀違反よ、魔剣を手にすることもまして竜を封印することも。そんなことをしたら軍法会議よ、処刑される!」
そんなことは百も承知だ。竜による武力、それから生み出される権力と富を欲するものたちが許すはずは無いのだ。だが、同時に知っていた。無力な平民は竜による脅威を恐れている。竜こそ戦乱の元凶なのだ。
「俺は行く」
そうしなければトゥルースは死んでしまう!
「駄目よ!」
ジュエルは耳飾りを触った。通信機を作動させたのだ、人を呼ぶのだろう。だが俺も同様だった。
「フラッシュ、来い!」
命じると同時に竜の小屋へ駆け出す。
俺が駆け寄ると、兵士が数名行く手を阻んだ。無論、俺の同僚たちである。予期せぬ事件だろうに、対応が早い。さすがは百戦錬磨の竜騎兵隊だ。
五人、いや六人か。包囲しようとしている。俺は兵士の一人に突進した。そいつにしたって、一人前の戦士だろう。しかしこの俺は剣士としてなら、誰にも負けない腕がある。
俺を捕まえようと伸ばされた腕。それを片手で引っつかむともう片方の腕で相手の肩を押さえ、ねじりあげ激しく引っ張りながら身体を相手の下に潜り込ませる。
体術、絡み背負い投げ。
兵士は投げ飛ばされ、激しく地面に叩き付けられた。俺はそれを乗り越えて進む。他の追っ手が迫る。もう数十名に膨れ上がっていた。しかし。空から黒い影が舞い降りた。
飛竜フラッシュ、俺の相棒。フラッシュは威嚇で、炎を吐いてくれた。生身の人間がドラゴンに敵うはずも無い。兵士たちはみな猛者とはいえ、接近できなかった。俺はこのすきにフラッシュに乗り込んだ。
「フラッシュ、飛翔!」