荒れ果てた辺境からの急報は、人間たちのフランベルジュ王国に届いた。国民はこの事実に沸き上がった。

 悪鬼たちとの戦争の勝利! 鬼士エリムは撃墜され、邪竜は駆逐された。

 大局は決した。あてとなる指揮官を失ったいま、邪竜たちを一つに統率できる悪鬼はいない。良くてゲリラ戦しかできないだろう。古代の用語で「制空権を握る」、というやつだ。いっきに亜人の国の中枢部に迫ることができる。それは歩兵部隊の任務となるだろう。

 どれほどの戦争になるだろうか? だがもはや勝利は明らか。

 都市では民衆の気運が高まっていた。シントを攻め落とすのだ、魔法の国を乗っ取りわれわれが富を握るのだ。悪鬼を支配しろ!

 シント共和国の王を名乗るものが、わずかな側近とともに王国にやってきたのはそんなときだった。

 身長は人間の子供程度。頭髪はほとんど白髪の長髪。古代のスーツを着る年老いた小人は、シントの降伏を申し出て地にふれしていた。

 こうして王国では緊急の会議が行われた。王国の都市の各地に伝令が飛び、議員たちが非常召集された。

 同盟都市評議会。国王に代わる新たな権力。

 議員が規定人数になんとか達し、議会が始まったときは夜になっていた。都市ナパイアイの中枢にある、石造りの大会議場。奥の中央には議長席。中央には意見者が立つ発言台。その後方には三十名の議員の入れる席がぐるりと並ぶ。

 議長を勤める都市ナパイアイの領主エストックは、議員のまとう灰色のローブの中できゅうくつな思いをしていた。衣服はゆったりしている。しかし、こんな茶番など、と失笑するのだ。

 いまの王国には、王はいない。かわりにいるのは野心剥き出しの資本家権力者と、それの飼い犬の議員たち。

 議長もそうだった。エストックは三十半ば。大衆受けする外見の美しい、優男でしられている。

つい、私事を考えてしまう。今日の事件でわたしの結婚話は、また破談するだろうな。フレイルがわたしを許すはずはない。議長には会議の先行きが見えていたのだ。

 手にする木槌を苦々しく見つめる。議長や裁判官の持つ、小さな棍棒。政治が武力なしでは行えないことの象徴。すべての議員は武器を携行している。ナイフや剣が普通だが議長のより大きい鈍器類もある。

 冗談ではない。恐怖政治もいいところだ。

 専制主義を打倒した指導者、カルトロップを処刑した記憶が新しい。その判決は、この議会で出たのだから。わたしがどんな思いでそれをくだしたことか。用済みで危険分子だから消す、だと? 権力者に与する議員の利権のために!

 うやむやのうちに、議会は始まった。

 議長は異国の王に丁重に尋ねた。それが回りの議員の失笑を買った。ただでさえ風采のあがらない鬼とは思えない穏やかな風貌の小人に、罵声が上がっていた。

「御尊名を、お伺いできますか」

 議長の問いに、発言台で小人は穏やかに明言した。

「御許しを。わたしはたんなる市民の代表に過ぎません。名も知られぬ一般市民にかわる名などありません」

 それは大した覚悟だった。自分一人の命など、最初からといていない。降伏、それは本当だろう。影武者などである可能性を、議長は否定した。

「まだ、戦闘を続けたいものたちがいるのでは。かれらの処遇は?」

「お任せします」

「見捨てることになって、よいのですか。われわれは外敵に対する容赦は持ち合わせません」

 周囲から嘲笑と賛同の野次が飛んだ。そうだそうだ! なんと卑小な。こんなやつらが悪鬼か! 

 生かしておくほどもない……議員の軽薄なその言葉に、議長エストックは顔をしかめる。どちらが悪鬼だか。議長の目からは、異国の王は誇り高かった。静かに、だが堂々という。

「承知しております。だがどのような辱めを受けようと、われらが死に絶えるよりはよいのです」

 理想家だな。エストックは悲しく思う。ここは正しい理解のもとにわかりあえるような場所ではないのに。意見を押し通すなら、力と策略が必要なのだ。

 議会では小人を処刑しろとの、ささやきが大きくなっていた。議長は機をせんじて、判断を現場の責任者に仰いだ。辺境から急いで立ち戻っていたのだ。事を穏便に済ませるための、頼みの綱だった。

「ソードケイン軍士。辺境方面軍指揮官としての、そなたの意見を聞きたい」

「わかりました」ダグアは立ち上がった。「こうべを御上げください、異国の長」

 小人の王は、姿勢を正し発言者をみた。ダグア。撃墜王と呼ばれるもっとも悪鬼と近しかったものは、朗々と話した。

「かつて人間が創造されたとき。それは一人の男しかいませんでした。そしてその男の骨から女が生み出されたと言います。両者は愛し合うもの。人間の体から亜人が作られたのなら、われらはわかりあえるはずです。御無礼を。傲慢な例えとは承知します」

「軍士」議長は口をはさんだ。「わたしは処遇を問いたいのだ」

 しかしわたしはぞっとした。ダグアの底無しに暗い瞳の意味に。

「わたしソードケイン卿ダグアと撃墜王の名にかけて陛下に誓います。決して、あなたがたを傷つけることはしないと」ダグアは断言した。「約束します。シントの地の一片足りと侵略はいたしません。そうする人間は厳しく罰せられることでしょう。民を守るのが軍人の義務。当然のことです」

 議会は騒然となった。ざわつく議員たちのつぶやき。

 なにを言っているんだ? 王国の士官が。これでは戦利品が無いではないか。報奨の封地が得られないではないか。シントは制圧すべきだ、悪鬼たちはすべて打ち据えるべきだ。

これは裏切り行為だ、王国の危機だ。ダグアを殺せ! 捕らえろ! 議員は総立ちになった。席を外れるものも出始める。

「静粛に!」議長エストックは鋭い声を上げ机上で木槌を打ち鳴らす。「議会開催中は、議員は拘束されない。諸君は議会内では、あらゆる武力行為が禁止されているのを忘れたか!? 過去の専制の王国の悪習に倣うか? 解放戦争が無駄になるのだぞ」

 議員たちはしぶしぶながらも静まった。議長に納得したというより、議会権力にそむくことを恐れてのことだった。エストックは自分に毒づいた。やぶ蛇もいいところだ。冗談ではない。

 議長は質問した。

「ソードケイン軍士、そなたは王国に反逆すると言うのか?」

「ひつようとあれば。わたしはもう、うんざりなんです。世界を救う、それがこの結果ですか? いままでわたしは多くの部下を失いました。民間人の知己も。亜人だって同様のはずです。これ以上の惨禍は防がなければ」ダグアは声を張り上げた。「わたしに、協力してほしい。亜人を救わねば、わたしたちの未来だってないのです」

「意見のあるものは挙手を」

議長は苦々しい声で問う。

 大半の手が上がった。議長は一人の女性議員を指名した。都市アルセイデスの領主、フレイルだった。ダグアとは旧知。そしてエストック自身の婚約者。

「ダグア、考え直して! ファルシオンが、レイピアが。みんなが守ってきたこの国のことを思って!」

「そう。ファルシオンは悪鬼たちという、弱者の胸の内をわからないでしょう。それにはかれは、強すぎたのです」普段穏やかな、ダグアの顔が歪んだ。「わたしは、かれを殺しました」

「あなたが……シオンを殺した?! だってかれは自らの意志で……」

「勝ったほうが命に代えて融合炉を爆破すること。その名誉を賭けた決闘作法にそむきましたよ。あのときシオンは以前負った重傷が癒えてなかった。わたしはわざと敗けたのです、シオンを死に追い込むためにね」

「だからって、あなたが道をそれるはずはない! あなたに聖剣を託したソードケインのことは?」

「そうだな、彼には借りがある」

ダグアは肩に手を伸ばした。背負ってある長剣、アイシクルを掴んで外す。そして、フレイに投げた。聖剣を、貴重な宝刀を無造作にほおったのだ。

「餞別だ。どうせ振り回せもしないわたしには不要のもの」冷酷な声。「だが思い知ることになるぞ、わたしがどれだけ強力な敵となるかを」

 この発言に、議会は静まり返った。恐るべきあの撃墜王の明確な挑戦!

「何故なの、なぜわたしたちに刃向かってまで、悪鬼を」

「われら竜騎兵隊が立たねば、どうなりました。奴隷としての自由?」ダグアはせせら笑った。「それを受け入れられないから、人は戦うのですよ。わたしは忘れません。足かせの日々を。過酷な労働は世の常としても。理不尽な暴力と侮辱。王国に囚われていたわたしにはね」

「あなたは自分の心の闇に捕らわれて、目が見えなくなっているのよ」

フレイの声は震えていた。かすれてほとんど声にならないが、石造りのホールに響き渡る。

「太陽を直視するものも。いずれは、視力を失いますよ」ダグアは皮肉げに引用する。「光を、直視してはいけない。闇の中で生きるための、鉄則です。そうしなければ、闇の中が見えないのです」

 エストックは歯噛みし、己の無力さを呪っていた。

 議会は長く続いた。しかし、物別れに終わった。