肌を切り裂く冷たい風。戦士たちは冬の空気に身を裂かれていた。時は正午。晴天の太陽がかえって寒々しい。日の光は空を舞う竜騎兵たちを写し照らしていた。青空に長細い雲の筋が、複雑なループに描かれていく。数百本の白いペン。竜の引く、雲。
人間たちと悪鬼たちとの決戦は、佳境に入っていた。敵味方百騎あまりの竜騎兵が入り乱れ、大乱戦となっている。
「もらった!」
ベインは叫ぶと手綱を右に引っ張る。騎竜フラッシュは急旋回して敵竜騎兵を追尾した。上空三千歩の高空での遭遇戦だった。ぴったりと敵の背後を捕らえる。胸を貫く緊張は、熱い興奮に変わった。頭にどっと血が上る。
俺が狙った竜は、回避運動をしていた。しかしあまりにも、緩慢な旋回……。チャンス!
「フラッシュ、焼き尽くせ!」
ボッ……バン!
俺の命令と同時に、フラッシュの口から炎が吹き上がる。閃光と轟音で、視界が奪われる。紅蓮の炎の吐息は一筋の軌跡を描いて、宙を焼いた。煙が立ちこめる。
やった!
一瞬の後、炎と煙が晴れた。ベインは確認した。一騎、撃墜……。
いない?! 眼前を見回して愕然とする。墜としたはずだ、炎上し落下しているはず。俺は、はっとして手綱を激しく引いた。フラッシュは再び右急旋回に入る。通信が同時に入った。ジュエルだ。
「ベイン、うしろよ!」
俺は首を巡らして確認した。敵に回り込まれている、左後方上空! こんな早く? 馬鹿な、必勝の体勢だったのに!
わざと敵を引きつけて、攻撃を紙一重でかわしてからの急旋回か。困難だがなし得るものが使えば、速度とも高度とも優位に立てる理屈になる。これほどの機動ができるとは……。
「エリム、なのか?!」
新兵の俺が撃墜王と張り合えるはずはない! 俺は恐慌に陥っていた。背筋に冷たい汗が流れる。がくりと、肩が震えた。こうなるともう身震いが止まらない。
俺と敵竜は、互いに急旋回を続けた。ほんの数瞬だがもう結果は明らか、このままでは振り切れない!
「左反転!」
フラッシュに命じる。手綱を引っ張る手がこわばっている。反吐が出そうなほどの加速度で、俺は逆向きに切り返した。
失策だった。動きに無駄がありすぎるのだ。無理な急旋回で速度とも高度とも失われてしまった。対する敵のなんと緻密な機動!
敵竜騎兵は余裕で身体をひねり、フラッシュのしっぽを捕らえた。訓練では毎回、こうなったときの俺は殺られている!
逃げるには? 速度を上げるのだ。だが直線飛行したら敵のマトになるだけだ。降下するのが速度的にも有利な戦術だが、それにはいまの高度は足りない。攻撃を振り切るには旋回しかないが、どうやったってそれでは限界が来る!
ベインは悲鳴を上げていた。わめきながら手綱を引っ張る。
無駄なあがきとは知りつつ、何度もむやみな旋回を繰り返した。敵はぴったり付けてくる。俺の力が尽きるときを待っているのだ!
急旋回の圧倒的加速度。俺はいつかのように、意識を失い掛けていた。必死に現実にしがみつく。耐えて見せる! そうでなくてはとても連隊の一員ではない。彼女は振り向いてくれない……。
がくり、とフラッシュが傾いた。なんだ? なにをやっているんだ、飛べないのか?!
墜ちる!
大気を真っ逆さまに、螺旋上にくるくると降下していく。俺は騎竜鞍の上で振り回されながら、完全に度を失っていた。
制御ができない! 俺はフラッシュに金切り声で、上昇しろとどなった。手綱を激しく引っ張った。フラッシュは動かなかった。動けなかったのだ。竜の翼は、もう空を捕まえてはいない。
落下傘脱出は? だめだ、こんなきりもみ降下中では成功しない! それに相棒を見捨て逃げた上での不名誉など生も死も受け入れられるものか。
死ぬのか、なんの意味もなくこんなところで。無名戦士の一人としてみんなから忘れ去られるのか? 俺はなにも成し得ていない!
落下していく。猛烈な速さで果てしなく墜ちていく……ベインは地に叩きつけられた。
トゥルースは直属の護衛騎二騎と共に、空にあった。
わたしは飛竜アクスの上で、高空から眼下の戦場を観察した。ハエのようにぐるぐる飛び回る竜たち。炎上し煙を引いて落ちていくのは、敵だろうか味方だろうか。
しかし情報の整理はついていた。もう、明らかに味方が圧している。数は当初、敵のほうが五割増は多かったが乗り手の差が出た。邪竜の多くは、悪鬼の乗り手がいなかったのだ。
竜は知性は高いのだが、人間より総合的な決断力に劣る。攻撃・移動・回避の、とるべき行動の優先順位を決められないのだ。だから動きに無駄が多い。まして連携作戦なんてとれない。それに、乗り手なしでは死角ができる。高速飛行中に、竜の頭は後ろに振り向けないのだ。
結果として乱戦に持ち込めば、われらの竜騎兵はあっさり敵の背後に回って、一方的に攻撃できるのだ。
だが、まだ敵は戦闘を止めない。かれらも必死なのだ。まさか、全滅するまで戦うのだろうか。
「耳」に連絡が入る。
「ジュエル小隊、ベイン竜騎兵墜落! 脱出していません」
ベインが死んだか、育つべきこれからの若者が。わたしは唇を噛んだ。かれは今回の大攻勢の立役者というのに。
ベインは軍議に出席して幹部しかしらない情報を目にすると、瞬く間に戦況をのんでしまった。ベインは重大な事実を発見していた。悪鬼たちの戦力は決定的に「劣勢」だという。
幹部たちは当初、信じられなかった。しかしベインはそれを数回の強行偵察で実証し、文字道理戦局を一変してしまった。
わたしたちは勝ちつつある。この上は、これ以上犠牲を増やさないことが重要なのに。
わたしは下を見下ろし、一騎の敵竜騎兵を見つけた。単独で飛びつつも、三騎の編隊を組むわれらの小隊を翻弄している。三対一というのに、味方は逃げ回るばかり。
敵はなかなかの猛者だな。わたしは部下に命じる。
「小隊、降下! 敵竜騎兵を狙う」
アクスに拍車を入れる。わたしはこの空戦で何度目かの、急降下を敢行した。落下することで高度を速度に変えて高速で敵に突っ込み、一撃離脱するのだ。
トゥルース小隊の三騎が放たれた矢のように、まっしぐらに敵竜騎兵に突き進んでいく。自由落下に体重が消失し、ふわり、とえも言われぬ感覚に襲われる。方向感覚が無くなり、天地が感じではわからなくなる。心臓が三十回、早鐘のように鼓動した。トゥルースを先頭に三騎は超高速で敵に肉薄した。敵竜が眼前に、みるみる大きくなっていく。敵はわたしに頭を向けている。望む所!
「小隊、かかれ!」
声を張り上げる。
ゴオッ!!!
大砲のような爆音。三騎の竜の口から同時に、炎が吹き出した。三つの吹き荒れる紅蓮の炎。それは赤いカーテンのようだった。
敵の動きは、常軌を逸していた。圧倒的な火力の射撃を、紙一重でかわす。通常では不可能な高速での急旋回、それも宙返りを交えるとは! 技量、体力ともに備わらなければ不可能な機動だ。
敵はきわめて小さい旋回半径で、ひねりこんで来た! 部下に襲いかかる。カモと呼ばれる狙われやすい位置の護衛騎が、敵の炎に包まれた。わたしは、また部下を一人失ったのだ。
わたしはそのままの勢いで、離脱した。生き残った部下を連れて、しばし距離をおいて上昇し、再突撃に備える。見れば敵は依然一対三なのに、余裕で攻撃をしのいでいるではないか。このままでは……。
わたしは再度突撃した。そのときに、味方の一騎が誰なのかわかった。
ダグアのシザーズ! かれと互角以上に戦うなんて、あの敵はまさか?
しかし敵も超人ではなかった。三騎に包囲され動きを封じられ、なおかつダグアの執拗な一撃をかわしていたのだから。やがて敵竜はガクリと体勢がくずれた。無理な機動の連続で失速し、運動性を失ったのだ。こうなるとしばらく満足に飛べない。
一瞬のすき。この好機を逃すようなことはできない。捨て身の覚悟で真正面から突っ込む。
ドドッッン!
衝突の衝撃で、大きく跳ねとばされたのは敵の方だった。わたしは敵竜に正面から組みつくことに成功した。アクスは敵竜より二倍はある巨体、もう勝利は明らか。
アクスの爪は、敵竜の翼を引きちぎった。竜の悲鳴がこだました。アクスは攻撃の手をゆるめない。爪で、牙で。敵竜とその乗り手を容赦なく切り刻んだ。空に、鮮血が散った。
敵竜はぼろ切れのようになり、墜落していった。はっきりと確認した。その乗り手は異国の白い礼服を身につけていた。それが引き裂かれ真紅に染まる。
悪鬼の血も赤いのだな。勝ったというのに安堵や喜びは覚えない。胸に渦巻くのは闇が入り込むかのような、薄ら寒い喪失感だった。
「よくやった、トゥルース」通信が入った。穏やかな声、ダグアだ。「部下をまとめてくれ。引き上げるよ」
「閣下?」
わたしは問い返した。まだ、空戦は終わっていないと。だがダグアの言葉通りだったのだ。
「こんな、終わりなのか。そうだな、戦争だもんな」ダグアの声は、悲しげだった。「一対五か。これは勝利を誇れないな。帰ろう、もうたくさんだよ」
回りを確認すると、すべての敵竜は降下しながら、われらの竜騎兵から離れようとしている。敵は一斉に、後退を始め戦域から離脱していった。
敵の撤退。わたしたちの勝利。
わたしの倒した竜騎兵は、敵指揮官エリムだったのだ。