「冒険者ベイン、起きなさいよ」ジュエルは明るく言うと、俺の寝ているベッドの毛布を引っぺがした。朝の冷たい空気が入り込む。「まったく、どこも悪くないくせに。そうやって勉強さぼるから強くなれないのよ」

 いつもなら笑って受け流せるが、この時は胸にグサリときた。たしかに、俺は未熟だ。決定的な負けだ、話にならない。まさしく無謀な冒険者だ。

 俺は部屋を見回す。士官には個室が割り当てられるが、狭いベッドだけで半分を占めるようなちっぽけなものだ。

「男の部屋に入るな、ジュエル」俺はいらいらと言った。半身起きて彼女をにらむ。栗色の髪に明るい緑色の目をした、小柄な少女。いくら竜騎兵の適性が肉体的な強さではないといえ、こんなガキを使うのはどうかと思う。まあ、十七歳か。結婚していてもおかしくないが、彼女のふるまいはまったく子供ではないか。無邪気な悪戯というやつだ。外見は可愛いのだから、行動に気をつけろ。「いいか、男はみんな俺みたいな紳士じゃないぞ」

「ウルフスベインだから? 私が襲われたら、守ってよ」

「そこまで面倒みれるか!」

「や~い、変なこと考えた」けらけら笑うジュエル。「なに言ってるの、あなた私の護衛騎なんだから」

 そうだった……俺が劣等感に襲われる理由。ジュエルは俺の上官。小隊長なのだ。竜騎兵は三騎で小隊を組む。ジュエルが指揮騎、俺が護衛騎。もう一騎は攻撃騎。そうした小隊を集めた中隊の長の一人が昨日俺が喧嘩を売ったトゥルース。

それら戦闘任務大隊、補給連絡任務大隊、陸戦兵大隊を束ねたつまり俺たち狂戦士連隊の総指揮官があのダグアだ。しかもダグアは戦闘において、自ら竜を駆り前線で戦う。ようするに俺は、竜騎兵としては一番下っ端。

「きみは先任なだけだ。でしゃばるなよ」

俺は言い放った。まったく、少し経験があるだけの理由の上官だ。こんなやつ、すぐに追い抜いてやる。

「自覚が足りないなあ。あなたは素人よ」

「なっ……」

「たしかに、素質はある。足が地面についてさえいれば、強い剣士だものね。でもそれを身につけるのに、どれだけ訓練した? それに比べて空に上がったのはどう?」

 いいたいことはわかった。俺が剣士として修業したのは十にもならないころからだから、十年は土台がある。それに比べて竜に乗ったのはほんの一月だ。陸上戦の戦法でも、空中戦には応用が効く。教養もあるから、実戦で必要な判断力や戦術眼はある、まるきりモノを知らないわけじゃない。それが俺が街の防衛軍から辺境方面軍の竜騎兵隊に抜擢された理由だ。同期の奴等より多少マシだっただけだ。うぬぼれていた。ベッドを降りて制服をまとう。

「わかってるの、ベイン」俺をたしなめるジュエル。「もし、相手が「鬼士」エリム様だったら死んでたわよ」

 そうだろうな。鬼士というのは、敵悪鬼の撃墜王だ。殺戮者エリム。俺たちはそう呼んでいる。その余りの強さから、俺たちは「嵐とエリムに会ったら逃げろ!」と厳命されているくらいだ。そのダグアの指令があるまでは、数多くの竜騎兵が墜とされたとか。まったく、俺の昨日の敵なんか雑魚だ。乗り手のいない、ただの邪竜だったのだから。

 で……そいつをエリム「様」とジュエルが言うのは。その鬼士というやつは、仁義を重んじる戦士らしい。正々堂々と戦い、敵にも礼を尽くす騎士。以前ヤツと交戦し、落とされた女竜騎兵がいるのだが、波の高い海に墜ちて溺れていたところを、そのエリムに救助された。もう二度と竜騎兵として戦わないことを引き換えに、彼女は捕虜にもされず無事に戻ってきた。

 その話では、エリムは鬼というより妖精のような美青年だったとか。できすぎた話だが、女どもの間では人気がある。戦場伝説ってやつだな。真に受ける方がどうかしてる。

「勤務表は変わっていないな?」

俺は質問した。緊急な任務さえ入らなければ、今日は出撃任務はなく教練だ。

「うん。お相手するよ、上がろう。朝食食べてからね」

 なんだ、わざわざ待っていてくれたのか。これは好意か、それとも上官の義務か? 着替えのすんだ俺は、濡れたタオルで顔を拭った。二人で部屋を出、食堂に向かう。

「中隊長、なにか言っていたかい?」どうやら、俺はなにも罰せられないようだ。だがトゥルースはどうしただろう。「総指揮官閣下に反抗したのだからな、処罰されたのか?」

「あのダグアちゃんが、そんな厳しいことするわけないじゃん」ジュエルはくすくす笑った。「中隊長と、ベッドで仲良く仲直りよ」

 俺は絶句した。あのガキが……トゥルース隊長を! むかむかする。無力な自分への激しい自己嫌悪。嫉妬とはこうゆう感情だろう。俺は明らかに、不快な顔をしたのだろう。

「あ~っ、妬いてる」からからとジュエルは俺を笑いものにした。「身のほど知らずね。トゥルース先生に敵うわけないのに」

 言い返せなかった。俺はこのジュエルにすら勝てないのだから。小柄でぽっちゃりとし、縫いぐるみ的可愛らしさを持つ彼女の実力、「必殺仕事熊」といわれるジュエルの腕前。ましてトゥルースは練達の竜騎兵だ。だが、ダグアとやらはどうなのだろうか。地位に見合う腕があるとでも? あのトゥルースを越えるような戦士がいるとは、想像もつかないのだが。

 俺たちは食堂に入って、テーブルについた。やや遅く、あまり人はいない。俺たち連隊の規律は、結構ゆるいのだ。椅子に腰かけた直後には、お決まりの糧食が届けられる。保存食を調理しなおした野戦食。ここは街から離れた前線、文句は言えない。俺は干し肉を戻したスープをすすった。具は他に乾パンのシリアルと雑草のような野菜。ジュエルも食べながら話す。

「いい、冒険者。トゥルースに絡んだ新人はあなた一人じゃないのよ。いつも彼女言ってるもの。「わたしを倒してみろ」って。挑戦するのは勝手だけど、ライバル多すぎるわよ」

「では、ダグアはトゥルースに勝てるというのか?」

「勝てる。やつは強い」横から割り込む声。静かに断言したかれは、スティール。「きみたち新兵には信じられないだろうな、昔の戦局を……空を埋め尽くす数百という邪竜の群れ。それに対抗した俺たちはほんの二、三十騎。絶望的な戦いだったよ。それを打開したのが、三人の撃墜王だ。英雄騎士ファルシオン、知勇兼備の参謀レイピア。残る一人が無頼のダグアというわけだ……各々、文字通り一騎当千のほんとうの戦士」

 俺は静かに聞いた。これが他の新兵の軽薄なうわさだったら、笑い飛ばしたろう。しかしスティールはトゥルースの古なじみ。いまでこそ俺と同格の竜騎兵(ジュエル小隊の攻撃騎)だが、それはかれが個人プレーに走り過ぎ、部下を使う連携戦術を取らないことからの人事なのだ。単に実績で言えばトゥルースに匹敵する。肉体的にも小柄ながら筋肉質の戦士であり、名の通り鋼鉄の意志を持つ男。短い灰色の頭髪、灰色の瞳。三十歳の練達した、孤高の暗殺者。

「いまだって劣勢には変わり無いではないですか」俺は意見する。「いまのところ確かにしのいではいますが、俺たちは少しずつ消耗していく一方。対する敵は無尽蔵……なのに、あと二人の撃墜王はどうしたのです?」

「聞いていなかったのか」スティールの顔は歪んだ。悲哀の色だろうか。「ジュエル、説明してやれ」

「いい、ベイン。二人とももうこの世にはいないのよ」ジュエルは語る。「レイピアは竜騎兵同士の決闘に敗れ、戦死した……決闘の相手が、あのダグアなの」

「決闘? 味方同士でか」

そしてなおかつ、ダグアはもう一人の撃墜王に勝ったというのか?

「二人の意見が食い違ったのよ」やるせない声。「ダグアは竜たちを封印して、戦乱を防ごうと考えていた理想家だった」

「竜を封印?」

俺は問い返す。どうすればそんなことが?

「竜はね、二振りの「魔剣」によって支配されるの。圧倒的な力を秘め、この地を統一するための約定の印、それが魔剣フレイムタンと聖剣アイシクル。それを手にするものは、竜という武力を得るか、逆に竜たちを眠りにつかせて封印することができる」

 魔法文明の名残か。まったく、御伽話だな。だがそれでわかった。魔剣の話しは聞いていた。フレイムタンは英雄レイピアが、アイシクルは扱えもしないダグアが持っていたのだと。話しは続いている。

「対するレイピアは竜たちの力で魔物との戦いを乗り切ろうとした……結局いま私たちは、レイピアのシナリオで動いてるわけ。決闘に敗れたレイピアは、魔剣を海に捨ててね。竜たちの封印をできなくしてしまった。

 まだ、終わらないのよ。ダグアはさらにもう一人の撃墜王ファルシオンと決闘した。勝った方が名誉にかけてある約束を果たす、という。そして勝ったのはファルシオンだった。

 かれは魔法文明の遺跡、融合炉に乗り込んだ。それを自らの命と引き換えに使用することで、魔物たちを退けた。山を吹き飛ばすくらいの大爆発を起こしてね。一時的とはいえ、そのすきに私たちは体勢を整えることができた。そうしていまがある」

「融合炉か。魔法文明を滅ぼしたあの惨劇の」俺は引用した。「融合炉は、地上に太陽を呼びおろす魔法とされている。それがあれば、人類に無限の恵みを約束するとか。だが使い方を誤れば、どんな兵器より強力な脅威になる」

「良く知っているな、優等生」スティールはニヤリと笑う。「どんな道具も使い方しだいさ。驚異的ですらあるな、どんなに熟練した剣士でも竜には勝てない事実は。そしてその竜を使う空中戦ですら、無意味な児戯にしてしまう融合炉の存在も」

「でも、スティール」ジュエルはクスりと笑う。「たとえそうであれ、私たちは私たちにできることをするだけ、でしょ」

「そうさ。新米竜騎兵ベイン?」スティールは質問した。「トゥルースが昨日おまえを処罰した理由は、わかったな」

「はい。肝に命じておきます」

いまでは、理解していた。

 だれもが撃墜王のような英雄的戦いができるはずはない。ならば身のほどをわきまえ、適切に戦わねば無駄死にをしてしまう。昨日の偵察任務での戦いがまさにそうだった。敵を撃墜して勝ったことは問題ではない。それは戦果の内に入らない。俺は戦略的意味のないそんな戦いで、死んでいたかもしれないのだ。

 トゥルースは忠誠に値する上官だ。だが……あのダグアはどうなのだ?