わたし、トゥルースは不機嫌に鼻をならした。示威戦闘は終わった。アクスは着地した。わたしが地面に降りるためにかれは翼をおろしてくれたが、使わなかった。ひらりと飛び降りる。いらついていたからだ。トゥルースは部下を呼び寄せ整列させた。わたしに喧嘩を売った馬鹿は気絶していたのでほっておいたが。飛行を復唱させる。

「では改善点を述べてみよ。わたしの飛行だぞ、ヤツなんて話にならない。無礼にはあたらない、意見せよ」わたしはぐるりと部下を見回した。一人一人の目を見すえる。予測はしていたが失望した。「だれもいないのか?」

 部下たちは恐縮して姿勢を正すだけだった。わたしはまた大声を出すしかなかった。

「冗談ではない! わたしに十代のころの反射神経があれば、あんなぶざまな飛行はしない! もっと切り返しが早いことだろう。男の体力があればもっときつい旋回もできる。空をなめるな、命が代償だぞ」わたしは命じた。「学科を復習しておけ。基礎の力学からやりなおせ。解散!」

 部下たちはさっと散った。決して、訓練が足らない部隊ではない。それどころか精鋭なのだ。規律が無くごろつきとかわらない並みの兵士に比べれば。だが、まだまだだ。竜騎兵の戦術は、奥が深すぎる。

 わたしは宿舎に歩み寄り、扉をノックして中に入る。軍人の義務とはいえ、一難去ってまた一難。これから『あいつ』を相手にすると思うと気が滅入る。それでも態度には表せない。わたしはそいつに敬礼した。

「ごくろうさまでした、トゥルース先生」

穏やかな声。指揮官は長椅子に深く座り、両足をだらしなくテーブルに投げてくつろいでいた。そいつ、ダグアは痛々しげに赤く腫れあがったほおを撫でていた。つまり、わたしに殴られたところを。いけないとは思っても、いらいらしてしまう。

「先生、はよしてください。もう一発殴られたい?」

「そうしたら、渾名を鬼教官に代えるだけさ。上官はぼくだよ」

 わたしはむっとした。実際部下からはそう呼ばれているけど。わたしはかれを殴りたくてうずうずしていた。いじめられて黙っているほど、わたしはお人好しではない。これが、他の人なら。いずれわたしが出世して立場を逆転し、復讐できるけど。とてもそれが敵う相手ではない。悔しい。わたしなんかと違って全体的に無能だけど、たまたまある能力が突出しているだけの、でこぼこした落ちこぼれに……。ちょっと、泣きたくなった。なんでわたしこんな想いまでして……。ダグアは声をかける。

「冗談さ。ありがとう。優しいな、きみは」

 わたしは頭に来た。部下から恐れられるわたしへの皮肉なら、許せた。でもこんな台詞を本心で言うなんて! わたしは歩み寄って椅子の上からダグアをにらんだ。

「閣下は甘過ぎます! それが結局は、未熟なあいつらの命を縮めることになるのですよ、それをお考えください」

文字通り口を酸っぱくして言う。

 まったく、上官にまでこんな配慮をしなければいけない士官、ほかにいない。わたしがいなければとても部下を統率できないこと、わかっているのかしら。

 ダグアは、新兵からの評判が悪い。十九という若さもあるが、その性格。加えて過去、エリムと呼ばれる敵指揮官の部隊と戦ったときの事がある。大変な乱戦で多数の味方が撃ち落とされたのに、ダグアは無傷で生還したという事実が「憶病もの」と侮辱される原因となっているのだ。

 しかし同時に出撃した竜騎兵たちからは、そんな悪口は聞かれない。ダグアは最後までエリムと戦っていたのだ。決して、他の部下を見捨てたわけではない。

 ダグアはくすくす笑った。

「おそらく、ぼくはきみより性格が悪いのだろうね。他人のことに、そこまで気を配れないよ」

「御冗談を。あなたは……もう一人の撃墜王に欠けていた心、別の理想をもっているおかたです」

でも内心毒づく。別の意味で、こいつは性格悪すぎる。人柄は良いのに、悪い人。

「たまたま空中戦が得意なだけさ。おかげで余計な義務をしょいこんでる」

「あら、自覚はあるのですね」この軟弱なガキ、と内心つけ加える。まあ義務を苦労といわない点は立派だ。無頼の風来坊、気ままな狩り人あがりとしては上出来だ。「誰にでも、あなたの飛び方を真似できるわけではないのです。空になじむ天性の才能はあなただけです」

「悪いね。きみだけに憎まれ役をしてもらって」

「当然です。みんな優秀な戦士ですよ、忠実で勇敢です。ですが、わかっていない。敵を二騎撃墜しても、自分が生還できなければ敗北なのです。わたしは部下を無意味に死なせはしません!」

「生徒想いだな、良い子だ」ダグアはいつのまにか、そばに来ていた。わたしの頭を撫でるように、髪を指ですく。「だがトゥルース、ぼくはそんなことより。きみが女性であることのほうにもっと興味があるんだ」

 なんで陶酔感に襲われるのかは、自分でもわからない。

「大人をからかうものじゃないわ」

不覚だったけど、声が震えた。小娘とは違うのに。わたし、街では自らの才覚だけで上流階級に登ったのよ。平民のちっぽけな小売商が。ダグアの素性、奴隷すら経験した過去を軽蔑しているわけではないけど。

「男を子供扱いするほうが、罪深いさ」

悪戯っぽい言葉。

 信じられる? まったく、このわたしがこんな子にふりまわされるなんて。これが街だったら? 穏やかで人のよいこの青年は、友人ならたくさんいただろう。しかし、軟弱すぎて恋愛対象には選ばない。生活のかからない、子供ならべつだけど。わたしはそうじゃない。もう二五よ。先の見えない恋愛なんて、やってられないのに。でもかける言葉は違った。

「ごめんなさい、ダグア」

「痛かったよ」

 また、からかってる。ほんとうに悪い人ね。かれの抱擁を受けながらつぶやく。あなた良い死にかたしないわ。悪意の無いお人好しなのにこうも敵をつくれる人って、あんまりいないわよ。