「やってられるかよ!」俺はブチ切れ、ついに彼女を怒鳴りつけた。「人にやらせるようなこと、おまえ出来るのか?! 実力で証明してみろ」
場は、緊張の空気に包まれた。十数名いる同僚が心配そうに様子を見る。当然だ。これが単に街の出来事で、馬鹿な女主人に使用人が喰ってかかった、ような状況であれば問題ない。たんに俺が解雇されるくらいですむだろう。
しかし現実は違っていた。俺は殺されることすら覚悟の上だった。ここは軍隊。上官に逆らったのだから。
だが、これが我慢できることか? 俺は出撃した。かつ、戦果を挙げて戻った。敵を一騎撃墜したのだ。それなのに処罰された。命令以外の行動、つまり偵察任務で戦闘したという理由で。逃げ帰ればよかったのか、そんな馬鹿な話があるか!
俺はベイン。フルネームはウルフスベイン、つまり「狼殺し」の名で知られる十九歳の青年竜騎兵だ。空を舞い戦うあの竜騎兵だぞ! 軟弱な男がなれる仕事じゃない。それどころか、並みの騎士なんかより格上だ。俺たちの名誉ある黒地に白の、華麗な制服は伊達じゃない。
実際俺は細身だが引き締まった筋肉質、相当の長身の一人前の剣士。それも生まれは中流以上……断っておくが、国民の九割は下流階層だろうな。貴族の金持ちではないが、それなりということだ。
加えて将来文官(武官ではない!)となることを前提に教育を受けていた。単なるごろつきなどとはわけが違う。剣を帯びているからって、だれでもかれでも戦士ではないのだ。
その俺がここではど素人の新兵扱い。その上理不尽な言いがかり、やっていられるはずはない! 俺は黒い瞳に怒りの色を浮かべ、上官の女竜騎兵をにらんだ。同じく黒い前髪が、風に揺られてなびく。
辺境の荒れ地にある、数棟の粗末な木造バラック。冷たい冬のすきま風吹き込む、俺たちのちっぽけな基地。俺たちは竜騎兵の義勇軍隊、狂戦士連隊。魔物どもの脅威から人間の世界を守る、選ばれた戦士たち。その誇り高い隊員の俺には、受け入れられない事件だったのだ。
トゥルース。いつも高圧的に部下たちをしかりつける上官は、沈黙して俺の目を見つめ返した。思わず、ゾクりとする。氷の美女と渾名される彼女の冷たい氷碧色の視線。それも人形のような色白の美形、つややかに光り輝く白金の長髪、妙齢の女性ににらまれて動じない男がいるだろうか?
後になって、気づいた。俺はできすぎる女教師のような、彼女に甘えていたのだと。おそらく、俺のほおに強烈な平手打ち一発、それでこの反逆事件は不問にされると思っていたのだ。しかし、彼女は感情を見せない声でこう言った。
「いいだろう、受けて立ってやる。竜騎兵同士の一騎打ちだな。ベイン竜騎兵、搭乗しろ」
「! 決闘だと? 俺と、トゥルース中隊長が……」
俺は馬鹿みたいに、自分で問い返した。胸の奥に、気持ち悪いものが込み上げた。俺は決して無能な戦士ではない。ましてや憶病ものではない。しかし……。
「おいおい、よしてくれよ。同士打ちなんて」横合いから間延びした声がした。「話し合いで、仲直りしなさいよ。大人げない」
かれはダグア。俺と同じ地味な黒の頭髪と瞳。一見、普通の小さな少年。まあそれは俺のずばぬけた体躯の視点からのことで、実際はやや小柄な背の線の細い青年だ。それも童顔で幼く見えるが、十九の俺と同い年の。しかしただの若者ではない。
撃墜王ソードケイン卿ダグア、それがフルネーム。基地から半径百万歩、かれより上の地位はない。あろうことか俺たち連隊の、総指揮官……このぼ~っとした呑気なガキが! 伝説的な英雄竜騎兵、撃墜王だと? 信じられない。ついていけるか、こんな中身の無い有象無象ぶっとばして、俺が実権を握ってやる!
「ダグア閣下、もっともなおことばです」
女上官トゥルースは冷たく慇懃に言った。飾り物の上官に媚びているんだと、俺は失笑した。しかし次の瞬間、彼女の右こぶしはダグア総指揮官の顔面を強打していた。
ドガッ!
マジでこんな音がした。トゥルースはわめき散らす。
「ですがもう我慢できません、お許しください!」
「ごめんなさい。許可します」
ダグアはぶざまにぶっころび、弱々しくそうつぶやいた。
ほんとうにこいつ、連隊長か? そもそもここは軍隊なのか? そのときは情けなくなっていた。
しかし後になって、配慮に感謝する。彼女は俺の失態を、自分の罪に代えて引き受けてくれたのだ。
バラックに囲まれた、平地。綺麗に整地されたここは、飛行場と呼ばれる。そこには出撃準備済みの二十あまりの飛竜が整然と並んでいた。軍馬ならぬ騎竜。それは人間の三倍ほどの体長で、巨大な痩せたトカゲを思わせる。頭には人間などひとのみにできそうな口があり、鋭い牙が並ぶ。鉤爪を持つ四本の足。ここまでは蜥蜴だが竜は背に二枚の翼、巨大な蝙蝠のそれがあるのだ。身体はくすんだ金属めいた光沢を放つ鱗に覆われており、体色は黒や白を基調としている。
で、俺ベインの飛竜「フラッシュ」とトゥルースの飛竜「アクス」は空に舞い上がった。乾いた冬の空気にもうもうと吹き荒れる砂塵に、思わず目をすぼめる。フラッシュの背で、俺は思いもしない状況に戸惑っていた。
俺は、試合の作法は知っていた。訓練と同じだ。竜最大の武器、炎の吐息は使わないということだ。体勢が決したら、そこまでで勝敗を決める。
竜騎兵同士の戦いは、陸上戦とは違う。三次元の飛行が勝敗を決める、機動戦法。それが、ドッグファイト。犬の喧嘩、と呼ばれてる。基本戦術が敵の背後に回り込む、互いにくるくる回って後ろを取り合うその姿からつけられた渾名だ。もっとも、それの完成されたものは「ドラグ・ファイト」と造語された。竜騎兵ドラグーンからつけられた。ここまでいくと、芸術の域なのだ。それを出来るのは……撃墜王と呼ばれる竜騎兵だけだ。
俺は策を練った。正面勝負、まっこうからの爪と牙で打ち合う肉弾戦では、俺はトゥルースの竜アクスには勝てない。アクスは体重にして二倍はあろうかという、とんでもない巨大な竜なのだ。もっとも、俺の竜が弱いわけではない。フラッシュは体格は並だが、速度機動性とも優れている。そしてそれが空中戦ではもっとも重要だ。
こうしてうやむやの内に適度な高度と距離が取れ、試合は始まった。なかほどは説明しない。みじめなだけだから。俺は文字通り翻弄された。トゥルースは有能な竜騎兵だ。機動性が劣る大型の竜を、俺より軽快に乗りこなすのだ。勝ち目があるわけはない。俺は未熟だった。動きに無駄がありすぎるのだ。だが、ここで引き下がれない。俺は賭けに出た。限界の急旋回を。
「しかしベイン、それでは負荷が大き過ぎます」
俺の竜、フラッシュは進言する。
「危険は承知している。だがあいつに勝つのなら、それくらい」
無謀な挑戦だとは承知していた。これが、もし。実戦でこんな未熟な兵士が前線に出たら? 答えは明らかだ。俺はまさにそれに当てはまっていたのだ。明らかに、過ちだった。しかし幸運だった。実戦なら失敗の代償は、命のみでしかない。急旋回の圧倒的加速度に、俺は自身の未熟を悟った。
体がどっと重くなる。手綱を握る腕が動かせない。息ができない……。視界一面を墨色が覆う。耳に入る音は、俺を嘲るように高鳴りなぜかうるさく定まらない。俺は、意識を失った。
その瞬間、気づいた。なんでこんな馬鹿な喧嘩を。俺は、彼女に恋しているのだ。美貌は問題じゃない。あの冷たい女を外見で愛する男がいたら笑いものにする。俺は人柄に惚れたんだ。優しさと強さを兼ね備える本当の女性に。