いつかの時代、解放戦争から三十年余。王国が内乱で滅んで久しい共和国の首都に、戦禍を知らない世代の十四歳になる少女は暮らしていた。
 少女は妖精だった。少なくとも彼女自身はそう信じていた。何故なら亡き母が、おまえは妖精の娘なんだよ、といつも語ってくれていたから。妖精はひとの幸せのために生きる。わたしもそうでありたいと、願う少女だった。
 
 そんな少女は、ある少年に恋をしていた。
 大通りの大道芸で見かけた奇術師の少年。鋭い短剣を四、五本もまとめて宙に投げ上げくるくると回転させては受け止め、また放り投げる。
 体術も駆使し、さかんに飛び跳ね宙返りも折り入れる。大した手技だ。短剣の柄を額に受け、静止させたりもしていた。
 この妙技に観衆――都市住まいの裕福な中流町民――は歓声を上げ、ぱらぱらと銅貨の雨を放った。

 少年は短剣といっしょに、受け止めた銅貨も放り投げていたが、銅貨は一枚一枚と見とがめられぬまま少年の手から消えていった。
 奇術師の少年は、最後に次々と短剣を投げた。用意されてあった的の真ん中に、見事に突き刺さる。少年は一礼し芸を終えた。
 少女は後片づけを始めた少年に歩み、一枚の銅貨を差し出した。

 少年は笑って、その手を留めた。にこやかに言い放つ。
「いいよ、ぼくは子どものお小遣いをもらったりはしないよ」
「あなたわたしと同い年くらいでしょ」
「でもきみはまだ働いてはいないのだろう?」
「そうよ、だからわたし仕える主人を探しているの」
「主人か、それならどこかの名家の召使いになればいいよ。きみみたいな可愛い子なら、喜んで雇ってもらえるはずだよ」
 可愛い、との言葉に少女は頬を染めた。少年こそ立派な紳士的な奇術師の服装で、外見は貴公子然としているのに。
 比べたら少女の衣服は、生地こそ上等なものの飾り気はないし、何年も洗いざらしで古いものだ。少女は訴えた。
「わたしの真に仕える主人は、あなたと決めたの」
「は? ぼくはただの手品師だよ、まだまだ未熟だし風にまかせての一人旅、連れ合いはいらない」

 きょとんとしている少年に、少女は熱意を込めて嘆願した。
「一人旅なら、連れて行って欲しいわ。わたしでは不満かしら?」
「では、こうしよう。ここにきみにもらった銅貨がある」
 はっとした。少女の手からはいつの間にか銅貨が消えていたのだ。掏られたのか。ぜんぜん気付かなかった。
「ぼくはこれを左右どちらかの手に隠す。持っていない手を選べばぼくの手を取り、一緒に旅してもいい。が、さもなくば銅貨はきみのものだ。おやつでも買うんだね」
 言うなり少年は硬貨を器用な手つきで、左右の手に跳ね飛ばし始めた。右手左手と何回も繰り返す。
 やがて、両の手をぱっと広げた。硬貨が無い! 少年はさっと両こぶしを握り、少女に突きつけた。
「さあ、どっち?」
 困惑する。こんな奇術を使われたのでは、硬貨の行方など、とてもわからない。やむなく、右手を選ぶ。
 少年は悪戯に微笑んだ。逆の左手を開け……空、右手を差し出し少女に硬貨を返す。
「残念、じゃあぼくはこれで。気をつけて帰るんだよ、お嬢ちゃん」
 クスクス笑いながら、少年は去って行った。少女は雑多な街の大通りにひとり残された。失意のうちに、ふと手を見てみる……?!
 手の中の硬貨は銀貨だった。銅貨二十枚分。
 お優しいのね……少女は戸惑いつつ、はと気づいた。思わず苦笑する。これでは賭けは無効よね。
 
 それから少女は自宅へ戻り、家事手伝いを始めた。母が亡くなって以来の、少女の日課だった。古ぼけているとはいえ二十間以上ある屋敷を、掃除するのは大変だ。少女は内心思った。いちおう名のある旧家の娘なのに、これじゃわたしが召使いみたい。
 さらに家族の分の食事を用意する。もっとも、父から言われていた。今夜は特別なお客様をお招きするから、食事は手を掛けて、と。
 お客様、とは裏街道界隈で『乞食たちの小覇王』と呼ばれている若者らしい。どんな荒くれが来るのだろう。父が近隣を取り仕切る顔役の地位にあるとはいえ、少女は少し不安だった。
 少女が晩餐を作っている最中、呼び鈴の音がした。お客が見えたのだろう。まだ父は帰っていない。少女はお茶を用意し、客間へ運ぶと玄関へ向かった。
 驚いたことに、待っていたのはさきの奇術師の少年だった。

 少年も驚いた様子で問う。
「きみはここの使用人だったのかい」
「失礼ね、末娘よ。あなた、わたしに逢いに来てくれたわけでもなさそうね。なんで? あなたがまさか父の客?」
「そう、顔役に招かれたんだ。きみがその娘? 裏街道の主の」
「あなたこそ、そんなに立派に正装しているのに乞食たちの王なの?」
「いや、ごめん。顔役の娘ともなると、着飾っているものとばかり」
 少女は、少年を客間に通した。お茶にする。少女は愚痴った。
「だってお父さん頑固なんだもん。裏では金貨何万枚って動かしているのに使用人も使わず、食事はいつも一汁一菜、わたしのお小遣いも一日銅貨一枚。それでも並の街娘としては裕福かもしれないけど、表通りのお嬢さまから見れば倹しいものよ」
「なまじ素封家だから俗世から乖離しているんだね」少年は改めて、聞いた。「顔役の長男は商店街の元締めというけど、きみは?」
「わたしは十三人兄弟の末っ子よ、家事手伝いしているだけ」
「きみの父君、何人女がいるんだい」
「お母さん一人よ。お父さんはお金はあるのに、愛人は作らなかったわ。ひとりの女に産ませるのが偉いなんてよく揶揄されていたわ。なんにしても、銀貨のお礼はしなきゃね。ごちそうするわ」

「ああ、気にしないで。ぼくは奴隷だったんだ。生まれは農奴に近いほど貧しく、無学な親が騙されて借金したために破産し、身売りされた。でもぼくには特技があった。針金ひとつでかせを外して、脱走したよ」
「そんなことが……たいへんだったのね、あなた」
「むかしのことだよ。そんなぼくの腕を見込んで、堂々大通りで働ける手品師にしてくれたのが顔役さ。いまじゃ街で一刻演技すれば、銀貨三枚は稼げる。そこいらの小役人より、よっぽど高給取りさ。きみの父君には感謝しているよ」
「お父さんには、どんな用件でいらっしゃったの?」
「本格的に、大勢で大道芸人の雑技団を結成する計画を持ちかけてくれたんだ。祭りや金持の邸宅での公演では、大儲けできる。でもぼくは一人の方が気楽だから、断ろうか迷ってる。実を言うと、乞食の王の座もぼくには大任過ぎるよ」
「ご自由に。お父さんはきっと気にしないわ」
「ところできみは立派な権力者のご令嬢なのに、なんでぼくなんかについていくなんていったんだい? ぼくをからかったのかな」
「昨年亡くなった母さんが、口癖のようにいっていたの。誰しもひとはみな、誰かの妖精。ひとの幸せのために生きるのよって」
「妖精、か。それは素敵な考えだね」
「ひとは、誰かひとりを幸せにすれば十分だって。みんながみんなそうしてくれたら、世界に不幸なひとはいないはず。でも、現実はそうはいかない。だから決めたの、わたし妖精になろうって」

 少年はなぜか、さみしげな遠い目をしていた。沈んだ声で語る。
「ぼくの知人……一時期は敵だった男が、そうだったよ。この前の王国都市との戦いのときの将軍。かれは妖精を探していたとか。かれが妖精に出会えていたなら……いや、出逢えることを祈るよ」
 少女は驚きの声を上げた。
「あの司令拒否で処刑された将軍?! かれは卑劣な裏切り者と呼ばれているわよ。街のみんな卑怯者とうわさしていた」
「ぼくは知っている。決して卑劣な男ではなかった、護民官としての職務を全うしたのさ。その証拠に、敵味方両軍ともほとんど犠牲は出なかった。かれは自ら平和への生贄となってくれたんだ」
「そんないきさつが……真実とはわからないものね」
「それより、顔役はまだかな。もう、日は沈むよ」
「遅いのはいつものことだけど、妙ね、待ち合わせに遅れる父さんじゃない。おまたせして悪いわね」
 ここで、呼び鈴が鳴った。玄関に出迎えると、父の部下だった。表情が暗い。かれは沈痛に、事実を話す。
 顔役は変死体で発見されたと。外傷はない、どうやら毒物を使用されたらしいと。事故や自殺ではなく、他殺とみて間違いないと。
 少女は事態に打ち震えていた。
「お父さんが殺された?!」
 なぜなのか……裏街道では、ならず者が多い。それでも父はその顔役で、仁義を重んじる男だった。人望は絶大だ。権力抗争で殺されたなど、ありうるのだろうか。たしかにこの秋の田畑の収穫を前に、穀物相場を操作したいと目論むものも多いはず。

 それとも王国都市との繋がりがあったからか。王国都市の太守はもと顔役の部下、というか友人だったから。
 父は不正に、というか半ば公然と法による禁制品の煙草を密輸している大商人の後援者で、その商船隊とも取引があったし、街に煙草を販売、流通させていた。
 政府は? 共和国都市太守は、これらを黙認していた。都市をまとめる必要悪と。役人の手にかかるなど、ありうるだろうか。
 これだけ条件がそろっては、敵は絶えない。

「わたし……これからどうしよう」
「きみは葬儀の用意を。ぼくは街を調べよう。聞き込みだ。ぼくが一声かければ、路地裏の浮浪児たちの百人や二百人、軽く集まるよ」
 少年は去って行った。手の打ちようのないまま、少女の兄姉が帰宅した。父の遺体が棺ごと運び込まれた。いつもと変わらぬ、穏やかな寝顔をしていた。あまりのことに、涙も出なかった。
 葬儀は、街を上げてとの意見も多々あったのだが、父の遺言通り、親族だけですみやかに静かに行われた。しめやかな時は、そう長く続かないことを少女は予感していた。

妖精舞う収穫祭 後