男は雇われの水夫だった。自由労働者といえば聞こえはいいが、身分は平民、つまり解放奴だ。だが父は王国近衛兵だったとは聞く。
 水夫の心を病んでいたのは、自分が取り換え子だという事実だった。水夫は孤児だった。幼児のころ、義理の親に捨てられた。水夫の実の母は王国の召使い、王妃の末娘の乳母をしていたとか。
 だから水夫は幼少のころは、劣悪な環境の孤児院にいた。十二年ほど前に連続強盗殺人を犯し処刑された男を出した孤児院。

 その事件以来、水夫を含め孤児院出のものたちは、世間から白眼視されて生きてきた。水夫は社会を呪った。
 世間は犯人を殺人鬼というが、水夫から見れば、決してかれはそんな少年ではなかった。腐った政治、無慈悲で無理解な冷たい人の世界がかれの心を歪めたのだ。
 以来、水夫はまともな職につくことができず、滅んだ王国の残兵艦隊に拾われ偵察艦の水夫となっていた。いうならば、海賊だ。

 昨年の夏、王国艦隊は共和国艦隊と戦い、敗れた。水夫の偵察艦は哨戒任務中だったので、海戦には加わらず、水夫は生き延びた。
 その偵察艦に、任務が与えられた。決死の任務だった。敵である共和国首都への、和平協定の伝達とは。
 予想通り、事はうまく運ばなかった。主都の港へ入るや、ちっぽけな偵察艦は大艦隊に包囲され、拿捕された。水夫を含め、乗組員は全員戦犯として捕らえられ、地下牢へ投獄された。
 かせを嵌められろくに日の光の差し込まない地下牢。家畜のエサのような食事。乗組員はみな、死を意識した。一年が経過した。
 凍える冬の寒さを過ぎ、真夏のじめじめした暑苦しい暗闇の中、鬱々とした絶望の時が流れて行った。
 
 突然、牢獄の檻は開け放たれた。地下牢から出され、水夫を始め乗組員は久しぶりに太陽の光を浴びた。清潔な着替えに水風呂、一時金すら支給された。太守の突然の恩赦で釈放ということだ。
 代わりに偵察艦は、返還されなかった。兵役を捨て共和国一市民として、生きろということだ。
 乗組員たちは、大通りの居酒屋で軽く別れの挨拶を交わした。ビールで乾杯し、互いのこれからの人生を励まし合う。
 うわさによると、水夫らの王国都市の独立は依然保たれたままだった。互いの太守の計らいで、自由自治権を認めたまま都市国家として存続が許されたとか。
 酩酊のほろ酔い気分で、街を歩く。自分はもう自由なんだという事実を噛み締める。だが、どうしても後ろ向きにさせてしまうのが、過去の存在だった。実の父母。過酷な孤児院。それに王女。

 艦隊では、敗戦前までは王国の再興を望んでいた。水夫の身の上話はホラと一蹴されたが、女提督閣下は興味を示し、水夫と何回か質問を交わしていた。たいした情報は与えられなかったが。水夫は自分の母を奪った王女に、憎しみすら感じていた。
 追放されず、王族として乳母の庇護を受け、のうのうと生き延びた王女。対する自分は社会の屑として劣悪な環境の孤児院暮らし。悔しかった。屈辱だった。ゆえに、面と向かって言い放つ侮蔑の言葉も用意していた。
 とうとつに、声を掛けられた。

「僕は水夫を探していて。あなたが船乗りということは、匂いでわかりますよ」
 見れば浮浪者同然のみすぼらしい男だった。身なりも汚れていれば、体格もやつれている。水夫は言い放った。
「なんだおまえ」
「僕は造船技師だよ」
 水夫は思い出した。都市の掲示板の借金首。
「あの手配されている技師か? 賞金金貨五十枚」
「は、五十枚? 安く見られたものだな、僕の借金はつもり積って金貨五千枚。借りた千枚が五千枚だよ、これじゃ十万枚になるのもあっという間さ」
「そうか。お尋ね者に用はない」
 水夫は言い捨てるや、その場を立ち去ろうとした。しかし借金首の技師は呼び止めた。
「賞金首とわかって、なぜ僕を捕らえない」
「おれも似たような身の上だからな。それに賞金の百倍も借金抱えた賞金首、捕らえるのはなにか惜しくてね」
「なら、僕に雇われてくれないか、航海士として」

「おれは週給銀貨五枚はするぞ。あんたに金があるのか」
「これをあげるよ」
 技師は腰袋から、宝飾品を取り出した。
 純銀製で、到る所に宝石が散りばめられている。受け取り、しげしげと検分する。ロザリオか。かつての教会の。古びてはいるが、見事な造形だな。
 刻印をたしかめぎょっとする。これはかつての王家御用達の職人工芸品ではないか! 銀貨どころか金貨五枚はするな。いまとなっては骨董品としての値も加算される。好事家なら金貨二十枚払っても手に入れようとするだろう。これはとんだ儲け話だ。しかし。
「盗んだ品では、ないだろうな?」
 技師はなにも知らないらしく、軽く言い放った。
「まさか。船を失う前、格安で手に入れた。夜逃げした故売商が捨て値で売っていてね、これでたった銀貨十枚。幸運のお守りだとさ。お尋ね者の僕では換金できないのでね」
「船を失った? ならばおれを雇ってどうするのだ」
「きみに港湾造船所に赴いてもらって、僕の作った新型高速帆船の設計図面を買い取ってもらう。梃子と滑車、歯車を活用し運航要員が少なくて済む優秀な船だよ」
 技師は自慢げに、書類の束を差し出している。

 水夫は図面を受け取った。目を通して驚く。複雑にして、無駄の無い見事な設計図だ。単一機械、梃子、斜面、くさび、ネジ、滑車、車輪に加えバネとゼンマイ、歯車を利用している。
 建造には金貨一万枚単位の莫大な費用が掛かるだろうが、就航すればそれに数十倍するとんでもない利潤となるだろう。
 だが水夫はしばし、ためらった。この技師は誤解している。自分は共和国ではなく王国の水夫なのだ。ここは謀るか。
「素晴らしい船ですが……造船局との交渉手続きは、どうすれば良いのです?」

妖精と告別を 後