少年は十五歳という年齢の割に、がっしりした体躯をしていた。当然だ、もう三年も漁師として海の仕事をしていれば。全身日に焼け、衣服にも身体にも潮の匂いが染みついている。
 漁師の仕事はきついが、少年はそれを苦にはしなかった。給与は安くとも、暮らし向きはそう悪いものではない。平民にとっては高値の花の魚が、毎日好きなだけ食べられるとあっては。
 が、少年はいつまでも漁師を続ける気はなかった。成長し、一人前の水夫となれば。決まった航路での漁業とは違い、商船や連絡船に乗りたかった。いずれ船長とし冒険し、この大海の彼方になにがあるのだろうと、思いを馳せるのだ。
 
 その日は、いつものように海へ繰り出し、漁を終えた春の夕刻だった。波間に揺れる大きな船を見かけた。少年の乗る八人乗りのちっぽけな漁船からすると、比較にならない立派な船だが、様子がおかしい。帆を畳んだまま波に漂流している。
 船乗りのうわさに聞く、幽霊船というやつか。

 近くにより、確かめる。船底が破損している。これは岩礁に船が乗り上げ、難破したのだろう。満ち潮によって浮かび上がり、流されたらしい。接弦して乗り込み確認するが、乗員は避難したのか、船はからっぽだった。
「こりゃとんだ拾いものだな」漁船の船長はからからと笑った。「漁には大きすぎるが、冒険、交易、海戦とも向く良い船だ。傷付いているが、技師を呼べば直せるか。売り払えば大金になるぞ」
「船長」少年は疑問げに聞いた。「この船、王国海軍の軍旗が掲げてありますよ」
「この前の海戦とやらの残骸だな。なおのこと好都合だ。これなら、持ち主が返せといってくることもない」
「でも連れ帰るにも、水夫はどうします?」
「考えろよ、乗り込んで、おれたちの漁船を逆に曳航する。時間がかかるな。今日の働きの魚は、海に戻してやろう」

 これだけの船を八人で動かすのは難儀だった。とにかくまともに進んでくれないのだ。しかも悪いことに風は逆風。舵に帆を操れる航海士がいなければ船は動かない。帆船は帆を上手く扱えば、風上にだって進めるのだが、慣れている小型の漁船とは違い大型帆船を御するのは大変だった。
 結局、ひと晩かかった。少年は夜、船に積んであった塩漬け肉を食べた。獣の肉というのは、初めての体験だった。
 翌日の昼、なんとか拿捕した船を、港に運び込んだ。一昼夜働き通した少年は疲れ切り、宿舎の寝台に横になった。大金持ちになれる。金貨何千枚になるだろう。少年にとって、金貨一枚すら考えられない一財産だった。日給は食費宿舎費込みで銅貨六枚に過ぎない。銀貨ですらろくに触ったことはなかった。
  
 目覚めてみると、日は沈んでいた。夜中というのに、漁港は船のはなしでもちきりだった。日が明けると大変な鹵獲品と、うわさは街中に広まった。今日の漁は中止された。
 しかし、売却の件となると思うようにはいかなかった。損傷船として買い叩かれるし、利潤は大半が税として持っていかれてしまう。おまけに残りは漁村の全員での分配となる。
 結果、船の所有権を持つ漁港の元締めが売り上げを独占し、漁師一人頭の取り分はせいぜい銀貨十枚にしかならないとか。金貨の山の夢は遠のいた。馬鹿にされたものだ。
 その夜、海の荒くれの集う酒場でささやかな宴会が開かれた。
「これじゃ、五日分の稼ぎにしかならない」船長は自棄になって、ラム酒を飲みながらぼやいた。「なめられたもんだな、ええ?」
「共和国は平等が建て前でしょう」少年はいちおう反論した。「漁港のみんなは、喜んでいますよ」
「船長」割り込む声があった。見れば、風采の上がらない中年だった。海の男としてはひょろひょろした優男だ。「あの船で意外なものを見つけました。王国海軍の航海日誌です」
「それがどうしたい? 技師どの」

 老船長に技師と呼ばれた男は、小さくささやいた。
「拿捕した船は補給艦でした。王国都市、かれらの財宝が、積まれてあったはずなのです。それなのに船はからっぽ、なにかおかしいです」
「王国の財宝だと?」
「声を押さえてください、これは秘密にしなくては。都市の警備兵に知れたら、あなたに横領の嫌疑がかかります」
「横領だって?! おれはなんにも知らねえよ」
「お静かに。それは僕も知っています。あなたは普段と変わらない振る舞いをしていますし、仮に財宝が積まれていたなら、港へ持って帰る道理がない。しかし道理のわからない無能で貪欲な役人の耳に入れば、大事です」
「おれが無実の罪で裁かれるってことかい? 冗談じゃねえ」
「そこでです」技師は意外なことをいった。「航海日誌の調査は、知人の書記官に任せています。あなたから一人、信頼できる水夫をお貸し願えませんか。実際に現場の海域を調べたいのです」
「なら」船長は、少年を指した。「こいつを連れていけ。年端はいかないが、一人前の漁師だ。熱心だし操舵も帆張りも手慣れている。あと数年も鍛えれば、立派な航海士になれるやつだぜ」
 少年は驚いていた。俺に? 技師は船長に一礼した。
「ではかれを預かります。くれぐれもことは内密に」
  
 それから少年は暇をもらい、技師の仕切る造船所に入っていた。
 待っていたのは、建造されたばかりの真新しい特上の冒険船だった。船体の木材からして、上質で頑丈だ。しかも補強するために、銅張りしてある。小型なのに積載容量もそれなりに大きい。
「どうだい、気に入ってもらえたかな?」技師は得意げに、少年に語りかけた。「僕の一番の自信作だよ。進水式には、極上の葡萄酒を掛けてあげたいね」
「こんな見事な作りの船、見たことありません。小さいですけど、どこも無駄なくていねいに仕上げられています」
「そうさ。遠距離航海に適した、外海の荒波に耐え、何カ月も単独航行できる船だ。なにより船足が速く、どんな船に出会っても追ってはこられないだろう。操船系統が機械化され簡素化されていて、必要乗員は少ない。きみを含め、四名」
「運航要員がたったの四名?」
「操舵手と張帆役、それに監視と船長さ。帆を試してごらん」
 少年は巻き上げ機の手動輪を回しロープを引っ張り、操帆作業してみて驚いた。なんて軽い。
 技師は説明した。
「巻き上げに滑車を工夫していて、半分の力で引ける。操舵輪も歯車を使用してある、軽いし微調整が可能だ。海にでれば、もっと楽になるぞ。風の力に潮の流れを利用して力を掛けるから」
 少年はこの技師の力量に感心した。風や潮を受ければ、それだけ重く負担になるのが普通なのに、自然の力を逆に利用するとは。問う。
「それで、航海する目的はなんです?」
「王国の財宝を求め、さ。書記官は航海日誌に、それらしき文面を発見したと言っている」
 なんてことだろう。少年は果てしない冒険を夢見ていた。まさにいまそれが現実になろうとしている。

 少年には、書記官が紹介された。意外にも、うら若い女性だった。学者風とでもいうか眼鏡をかけ、衣服にしても都市向けの型で上質で、時として地獄の形相を見せる海とは無縁の素振りだ。
「航法を務めさせていただきます。よろしくね、坊や」
「こちらこそ。技師どのの奥様ですか?」
「まさか。違うわよ、あんなやつ」
「あんなやつで悪かったね」技師は愚痴った。「僕は十のときから、機械と船が恋人でね。で、調べは済んだのかい、色気の無い眼鏡女」
 書記官は右拳で技師の頭を小突いた。
「物資は海戦前に、王国都市に降ろされたらしいわ。つまり補給艦は共和国艦隊の目をそらすおとりだった。船は貨物空だったのよ」
「痛いな、ではまったく無益だったのかい」
「いいえ、そうは言い切れない記事を見つけた」書記官は冷静に報告した。「航海日誌は、王国が全土を支配していた数十年前から記録されていた。それによると、王国が絶対不可侵として近寄ることを禁じていた『聖域』があるとか」
「聖域ねえ。王国が禁じていた、しかし王国はとっくに滅んだ。そこを僕たちが乗っ取っても、誰も文句は出ないよな」
「話が話だけに、誰にも打ち明けられないわ。こうなると、わたしたちだけで出向くしかなさそうね」
「だったらいっそ、この三人で行くか。別に三人でもこの船は動く。船長を省けばね」
「賛成、もとからお目付け役に過ぎない、共和国の飼い犬半民半官の国選船長なんて、いやだったものね」
  
 こうしてうやむやのうちに慌ただしく進水式を済ませ、その足で目的地へ直行となった。塩漬け肉に酢漬け野菜を満載し、三人なら二カ月だって航海できる態勢だ。
 もっとも、目的地の座標を知って失笑する。この快速の船なら、四日も掛からない。自分たちの住んでいる国が、いかにちっぽけかがわかる。世界の東の最果てにある、太陽にもっとも近い島国。
 東には太洋が、西には大陸が続いていることは、船乗りなら誰しも常識とするところだ。この船なら、太洋だって横断できそうだ。

妖精眠る夢 後