三日二晩、荒野を走りきり、その夕刻には、なんとか草原まで辿り着いた。野外探索に長けるスティールは、遠くから地形を判別しただけで水源を確信し、小川を発見していた。ボウフラの湧く多少の汚水、我慢せねばならない。近くに人里は無いが、悪鬼の気配も無いのが幸いだ。四人はようやく、落ち着ける夜営の準備に入った。
火を熾す。あり合わせの材料で、フェイクとスティールが手際よく調理する。新鮮な川魚はごちそうだ。ひさびさの、まともな晩餐が取れる。
四人は火を囲んで座った。スティールは満足げにいった。
「これで、王国へ帰る目処がたったな」
「喜ばしいことね。なにに乾杯する?」
トゥルースが言うや、ドグが答えた。
「ひさびさの酒に乾杯」
「酒に乾杯してどうするの?」
フェイクはとぼけた口調で聞いたが、ドグは無視して火酒のマグを高く掲げるや、がぶりと飲んだ。トゥルースが注意する。
「飲みすぎないでね、ドグ」
「いつまでも、昔のおれじゃないさ」
いつになく陽気に言うドグは、顔がすでに赤らんでいる。警備兵時代、ドグは酒に溺れていたのだ。贈収賄の汚職をし、無力な平民を武力で押さえつける自らの仕事に誇りを持てず。
腐敗した、人間の王国。謀反の火種が燻っていた。四人が旅に出て、もう半年になる。いまごろ街はどうなっているものだろうか。
ともあれ、この夜はささやかな宴会となった。
フェイクは、大道芸を披露した。ドグの短剣を借り受けると、それを放り投げては、巨体を逆立ちさせて足で弾き飛ばす。ひらりと、とんぼを決めて立ち上がると、なんと短剣の柄を頭で受け止め、停止させる。手に取ると、それを口に入れ刃を喉に飲んで見せる。
ドグが慌てて、悪ふざけはよせと短剣を取り返すと、替わりにフェイクはドグのマグを手にした。フェイクは火酒を口に含むや、それを噴き出し、炎を上げた。
スティールは苦笑した。
「おまえなら、ドラゴンとでも張り合えそうだな。芸人にしておくのは惜しい。本格的に、剣士として修行したらどうだ?」
「スティール、そのドラゴンのことなんだけど」トゥルースはおずおずという。自信が無さそうな態度は、彼女には珍しい。「伝説ではね、竜がこの地に存在していたとされているわ。現に、王城の宝物庫には、数千万年前のものとされる巨大な竜の化石が保存されている」
「眉唾物だな」スティールは一笑に付した。「おとぎ話では、過去の人間は空を舞う竜に乗り、竜騎兵と呼ばれたとか。真に受けるほうがどうかしている」
フェイクがにこやかに反論した。
「そんなことないよ、ぼくらの戯曲では、いずれこの暗黒の世を撃墜王が救う、とされている。撃墜王、空駆ける竜の騎士がね」
トゥルースの表情が曇った。怪訝に問う。
「フェイク、そのお話少し聞かせて。撃墜王ってどんな人?」
「魔王、とされているよ。人の子として人の姿を持って生まれ、人にして人に在らざるもの。魔物たちはその出現を待ち望んでいるとか」
「問題はね、人間と悪鬼は混血しうる、同種の生き物なのだということ。ラックホーンの伝記が真実とするなら、注目すべきは、悪鬼はその角の根が頭の中を圧迫し、知性の発達を妨げていたのだとする点。わたしもこの書類のほかに、数多くの書物を目にしたけれど。それらから仮説をたてるとね、過去の人間は人の種を作り変え、鬼を生み出したの。姿を醜く、知性は悪く、性格は獰猛で、体力にのみ優れる生き物として。人間が肉体的労働力として、安易に支配できる奴隷として。または、戦争時敵を攻める兵力として。さらにほぼ同時期に、他の生き物も多々、過去の人間の手によって生み出された。その最高位に属するものが、飛竜とされる。過去の人間は百万を越える竜騎兵を従えていた」
スティールは反論した。
「夜迷いごとだ。ドラゴンが百万騎? 王国の人間の数だってせいぜい数百万なのに」
「夜に迷う、それっていまのぼくたち?」
ボケるフェイクを、ドグは無言で頭を小突いた。トゥルースは真剣に続ける。
「過去には人間の人口は、百億に達したとされているわ。とするなら、一万人に一騎。ありえなくは無い。王国の騎士だって、人口比にしたら百人に一人くらいだもの。衰退した、人間の文明。二千年紀とはどんな時代だったのかしら、神の子が地に遣わされてから二千年を経て、人が神の手を離れた時代。人が、神の領分を冒し命の神秘を弄んでいたとされる」
スティールも思わしげだ。
「失われた文明から、いまの世は五百年も衰退したと言われている。俺たちの王国は、世界の東の最果てにある、ちっぽけな島国に過ぎない、だったな」
「そうよ、学者だけでなくフェイクたち大道芸人もその知識を伝えているわ。太陽の麓、太陽にいちばん近い国。日、昇る国いずる国。小さいけれど、それでも人口は一億に達していた。いったい、全土にはどれほどの人間が生き延びているものかしら」
と、突然、ひっ! と悲鳴がした。フェイクだ。見ればドグがフェイクを背後から羽交い絞めにし、首筋に短剣を突きつけている。トゥルースは叱咤した。
「ドグ、悪ふざけはおよしなさい。酒飲ませるんじゃなかったわ」
ドグの目は据わっていた。陰鬱に、細まっている。ドグは落ち着いた口調で、いった。
「これは冗談なんかではない」
「ドグ、おまえ」スティールは驚愕の声で問う。「王国の密偵だったのか? いままで死線を共に乗り越えてきた仲と信じていたのに」
「違う。密偵は、こいつだ。フェイク」ドグは冷静に続ける。「フェイクがおれたちの仲間に加わった理由が、わからない。わざわざ辺境へ赴く動機が無いんだ、おれはずっとそれが疑問だった。スティール、おまえは王国に反抗する扇動家に聖剣を託され、野心のために奪おうとする王国騎士団の魔の手から、逃れるところだったよな。おれはおまえを追う警備兵、たしかに王国の犬だった。しかし、私利私欲のためにアイシクルを求める王国に嫌気がさし、おまえに同行した。旅商人でありながら有能な航法士にして薬草師、学者であるトゥルースを雇い入れて。だが、フェイク! おまえにはおれたちに同行する理由は無い、大道芸人がなぜ観衆のいない街の外へ出た!?」
「ただの好奇心だよう、信じてよう」フェイクは泣き声になっている。「ほんとうのことをいうとね、聖剣アイシクルが目当てだったんだ。ぼくらの戯曲には、こうある。(融合炉の秘密を紐解く鍵、そは炎と氷の象徴、二つの端末である。端末は鍵なり。鍵は秘宝を守護たてまつらん。秘宝は柄杓なり。炎、氷溶かすとき、失われし水瓶に水を満たす。水瓶に魚戻りしとき、世界の再興は果たせるであろう)。その鍵とされるもののひとつが、まさにアイシクルじゃないかって」
これらが何を意味するのか。トゥルースはそれを悟った。
悪鬼との共存の道はある! このとき四人は、真に違いを知った。
「ごめんなさい……いちばんの悪者は、わたしね」トゥルースは打ち明けた。「王国の密偵は、わたしなの。フォーシャールの調査はもちろん、ならず者スティールの監視とアイシクルの奪還を言い渡されていたわ。ずっと……みんなを騙していた」
「トゥルー……」
ドグは茫然と、フェイクを解放した。スティールは動じる気配がない。気付いていたのだ。
トゥルースは困惑していた。ここで得た事実をどうすれば人間たちに伝えられよう? 誰がこんな浮世話信じる? とりあえず、王国へ引き返してこの文献を名だたる賢者の手に委ねるか……だが、賢者でも信じてもらえるだろうか。
この伝記の書類は無論そんな過去のものではなく、写本だ。事実であり脚色無く書かれているものならば。いずれにせよ原本など、とっくの昔に風化して紛失しているだろうし。これが本当に過去の写しと、すれば。
トゥルースは、一枚の紙切れを差し出した。真新しい紙で、明瞭に文字が記されている。書類の末尾に、メモが入っていたのだ。明らかに最近書かれたものだ。ネィル隊長から? 違う。それは悪鬼の文字だった。打ち明けられた三人は愕然とした。こうあった。
(四人の勇戦に敬意を表す。この地に平和をもたらす誓約の印、二振りの魔剣のひとつを有するものにこの文献を託すものなり。ラックホーンの末孫、記す。われは……)
インクがにじんでいて、署名らしき最後の単語は読み取れなかった。