「以上よ」トゥルースは言うと、書物から目を上げぐるりと仲間三人を見回した。トゥルースは戸惑うように、問い掛ける。「できるだけわかりやすくまとめたけど、出だしはこんなところ。スティール、どう思う?」

「悪鬼の王の伝説、か」

 スティールはうなった。かれら四人は、ネィル隊長のいた砦跡を探索したのだ。確かに、ドグの言葉通りだった。兵士たちは文字通り玉砕し、焼け落ち瓦解した砦には無残な敵味方の遺体が転がっていた。勇戦の跡が窺える。砦攻めは難しいものだ。遺体は、悪鬼たちの方が二倍近く多かった。おそらく、数にして五倍以上の悪鬼と戦っていたのであろう。

物資のほとんどは焼失していたが、金庫に収められた膨大な書物を発見したのである。悪鬼の扱う異国語、いや古語で記されていた。これは悪鬼たちにとっては当たり前の書物なのか、なぜか奪われも荒らされもせず、しかも鍵の開いたまま放置されていた。

学者を目指すトゥルースは悪鬼の文字を知っていた。発音がわからないので悪鬼と会話は出来ないが、読むことならできる。それからずっと解読していたのだ。

トゥルースは訝しんだ。筆談なら、悪鬼と交渉できるものであろうか。いや、無理だろう。読み書きなんてできるのは人間だって、トゥルースのような文人だけだ。

まあそれが真面目で潔癖で、なおかついささかうら若い女性でありながら、こんな冒険行に加わった理由なのだが。トゥルースは会計・地理測量・歴史・外交術とも優れていた。

もう、今日の日も沈もうとしていた。スティールは思わしげに言った。

「悪鬼たちの王には、代々角が無い。そのうわさは耳にしていた。まさかその自伝とはね」

「ほんとうかなあ、ぼくら大道芸人の間ではね」フェイクが口を挟む。「悪鬼の王は実は人間で、ぼくらの国を追われた王族が復讐のために悪鬼を操っている、なんて戯曲もあるよ」

「伝記はまだまだ続いているわよ。何年前の話なのかしら。人間だったら一世代二十年ってとこだけど、悪鬼は寿命が三十年。五歳でも四ヶ月で子供を産むから、世代交代は早いでしょうし。まさか悪鬼たちに、こんな歴史や文化があったなんてね」

トゥルースは疲れた声だ。いや、四人とも疲れきっていた。この丸二日、体力を酷使し危険な旅をした上眠っていないのだから。

ドグなんて半ば寝ていた。公式記録では、この警備兵は二二歳とされている。だが実際は、まだ十八歳だった。ドグは生活のため、年齢をごまかして十四歳で正規兵となったのだ。まだまだ成長期、たっぷりな食事と睡眠が必要な時期だ。ドグはうつらうつらと寝言を言う。

「歴史……失われた…探してやら……」

「寝てなさい、ドグ。危険は無いわよ」

優しく声をかけるトゥルースだった。

「悪鬼たちの文明、か。どれほどのものかな」スティールはうなる。「悪鬼は鋸刃の剣を使う。これはもともと、刃こぼれしても刃を入れなおせない悪鬼が、荒っぽく剣を研ぎながら、長い間使った結果だった。悪鬼に金属を鋳造できる技術は無い。武器も鎧も、みんな人間の装備の分捕り品だ。疑問なんだが、食料だ。悪鬼は人間を食べるのか?」

「現在に至っては、悪鬼は人間を食べることはない。事実、この砦の兵士の遺体だって武装こそ剥されているけれど食べられた様子はない。なにか理由があるのかしら。この伝記に載っているといいんだけど。読み進むわね」

……女鬼たちは、進んでラックホーンの寝所に侍るようになった。ラックホーンは青年期のわずか五年の間に、実に二百もの子を孕ませたとされる。

しかしラックホーンの子孫は、代々赤子の内に角折りの儀式をされることとなった。鬼自らの手で、石をもって角を打ち割るのだ。死んでしまう赤子が大半、育っても異常気質な子ばかりとなったが、それでもラックホーンの再来と呼ばれる鬼が二十に一人は誕生し、ラックホーンは覇王としてのその地歩を固めた。角なし鬼の王朝が生まれたのである。

そう、鬼としては珍しく、寿命で死去するまでかれは覇者だった。人間との戦いにおいては常に陣頭で采配を振るい、絶大な支持を集めた。一方で地位に功績に嫉妬し暗殺を企てるような勢力には、厳しい監視の目と極刑をもって臨んだ。死ぬときには、後継者を巡る争いの無いよう、息子たちと他の男鬼と一線を引き、わざと緊張関係を作り、一族の純血さを徹底した。近親相姦であるが、娘たちはすべて別腹の息子たちと結婚させていたのである。

時代は移り七代王の世。ラックホーン一族は鬼たちにあって、絶対的な指導権を握っていた。鬼全体の数も増え、六万名とかつての五倍以上もの勢力を持つようになったのである。内、王族は単に血縁からみるなら、三千にも上ったが。直系以外は戦士の称号を授け、中央集権体制の基盤とした。直系の王子は三十名ほどいたが。その一人が際立って傑出していた。体格も人間の平均並みと大きく、機知に富み、勇猛さと同時に冷静さを兼ね揃えていた。

かれはあるとき人間の密航者の船を襲い、乗っ取った。非合法な船、積荷は特別だった。財宝はこの際抜きとしても、人身売買されるところだった、一人の少女が乗っていたのだ。かれはその女の子を見初め、特別に育てることにした。

かれは少女に笑みをもって接しよう、などとはしなかった。人間から見れば醜い自分が、愛想笑いしたところで不気味に野卑に見えることを知っていたからである。代りに、誠実さをもって接した。真摯な態度で、気品を持ってもてなしたのである。

王子はほどなく、少女を妻に迎えることになる。指の数に余る子を授かった。その子らの角は小さく、折る必要は無くなった。ここに歴史は大きな転機を……

 スティールは鋭く問う。

「悪鬼の王子と人間の少女が、結婚したというのか? たくさんの子をもうけたと。信じられない。それも陵辱ではなく、恋愛で?」

 話の腰を折られたトゥルースは、きっとした目を向けた。彼女は膨大な資料を速読し、話をかいつまんで要約して説明しているのだから。トゥルースは読み手の口調でこう続けた。

「だが、恋愛であったであろう証拠らしきものは別に記録されている。後に王子が戦死し孤立した人間の妃は、他の鬼に暴行され子を孕んだ末、自害しているのだ。以後、鬼の王子同士で内乱が起こっている。先の鬼と人間の混血児たちはその戦いに打ち勝った。なおかつ伝統とされる種の純血を守るため、兄弟姉妹同士が結婚し、子孫を残す事となる。体力・知力・統率力とも優れた種の新たなる王朝となった。現在の鬼の王族は、人間とのハーフなのだ!」

「とにかく、それでわかった。悪鬼が人間を食べなくなったわけが」

 スティールは謝意を込めて、穏やかに言った。フェイクも間延びした口調で続けた。

「そうだね、それだったら悪鬼の王が人間だって戯曲も半分当たっているよね。ぼくらの国の亡国の王族が噛んでいるというのは脚色としても」

「いいえ、フェイク」トゥルースは思わしげに語る。「歴史と照らし合わせるとね、正確な年代がわからないから明らかではないけれど、追放された王女が海賊に襲われ、行方不明になった事件もたしかあった。うろ覚えだし、信憑性も低いけれど。事実だとしたら」

「はなしが込み合って来たねえ。ほんとに陳腐な戯曲だ。でも事実なら、人間と悪鬼はひょっとして……」

「なにも込み合ってはいない」ドグは陰鬱に不機嫌に言う。「これは戦争だ。相手が悪鬼だろうが人間だろうが変わるものか! 寝かせろ、もう日も落ちてきた。今夜は火も熾せない上、死体の山の中で寝るんだからな」

 トゥルースはそのことばに一瞬、身震いした。フェイクはいつもどおりの柔和な顔で、大丈夫だよ、と無言で言っている。スティールは厳粛な顔で、答えた。

「そうだな、そろそろ休もう。今夜は安全だよ、五十もの英霊がわれらを見守ってくださる、とすれば」

たしかに、そのとおりなのだろう。四人は疲れきっていた。さすがに食事はろくにのどを通らなかったが、毛布にくるまり、休息についた。こんなところで眠れるものか、と思っていたトゥルースも。睡魔には勝てなかった。眠りに落ちていく。ほどなく、暗闇が覆った。

どろどろした、眠りだった。静寂の中、冷たい、暗い、荒涼とした夢を見た。



 思いもかけないことに、四人にとってはひさびさの熟睡となった。起きてみれば、もう東の空が白みかけている。濃紺から漆黒の夜空に、まだ星は瞬いていたが。今日の月は大きく、昼間でも見えるだろう。

 四人とも、穏やかな気持ちに包まれていた。冒険行のある意味での達成感が、心を安定させていた。この朝は、場が場でも朝食はある程度胃に入った。

 四人は旅立ちの準備に入った。とりあえず、食料の補給できる辺境の集落へ。それともスティールとフェイクの弓の好手がいれば、獲物となる獣を見つければ問題はないが。

どのみちこの場に長居はできないのだ、軍馬のえさとなる草がないのだから。無論、砦の飼料も全部焼けて灰になっていた。草原地帯へ向かわなければ。

が、ここで問題に行き当たった。書類の束は、あまりに多すぎるのである! 四人で手分けして背負って運ぶといっても、他の武具食料を一緒に旅をするにはかさばりすぎる。軍馬に乗せたってそれは同じだ。無理だ。金庫に鍵をし、封印してから帰還し、応援を仰ぐか? どうする。迷っている時間は、もう無い。エサの無い馬が弱ってしまう。

そのときだった。フェイクがすっとんきょうな声を発した。

「見て見て! 馬車があるよ。水と干草も積んである」

「そんなはず!」

 三人は声をそろえたが、事実だった。昨日は気付かなかったが、砦からやや離れた岩場の陰に、立派な馬車が放置されている。二頭引きのホロ馬車で、中は四人入れるくらい大きく、車輪と車軸は荒野でも走れるよう頑丈だ。これなら荷はすべて積める!

「なんでこんな都合よく」ふだん陰鬱なドグでさえ、幸運に興奮している。「だが、おかしい。燃えた跡もないし、悪鬼が見逃した理由もわからない」

「ネィル隊長が用意してくれたんだろう。なにか策を使ったのかな」

 スティールは笑みを浮かべていたが、トゥルースは反論した。

「それもおかしいわよ、わたしたちがすぐ戻ってくるのを、隊長が知っていたはずないもの」

「どうでもいいじゃない、この幸運は逃せないよ」

 いつもどおり、楽観的に言うフェイクだった。状況が状況だけに、彼にしては珍しい正論だ。ワナとしても構っているひまは無いのだから。

 こうして四人は出立した。明確な行く当ては無い。王国へ戻るとして辺境の砂漠地帯を、馬車で走り抜けるには困難だ。補給ができる地帯が必要だった。こんな荒野では話にならない。

 フェイクが御車を努め、馬車は走り出した。馬車にはトゥルースが乗っている。ドグとスティールは互いの軍馬の騎乗だ。まさに四人に割り当てられた馬車だった。

 トゥルースは馬車の中で揺られながら、書類を読みふけり解読作業を進めていた。