Ⅱ 違いを越えて
異国の軍隊に密命を託された四人は。一路、丘陵地帯のまばらな林の、道なき道を進んでいた。かれらの足である軍馬はこうした地形に馴れているらしく、旅はいままでのところ問題なく進んでいた。
トゥルースはふと、真昼の太陽を木の葉越しに仰いだ。連日の好天が幸いしていた。さもなければ地面はぬかるみ、とても馬では歩けなかったろう。
道を通らないのは敵、悪鬼の待ち伏せを危惧してのことだ。だが。砦を出発し三日目。目の前に広がる断崖に、行く手を阻まれてしまった。険しい渓谷を抜けるには、馬では無理。ならば道に戻り、橋を渡るか……それとも、別の手段があるものか。パーティは対応を迷っていた。
橋にこっそりと近付く。三百歩ほど離れた所から木陰に隠れ、慎重に様子を伺う。橋の向こうには、村がある。だが、うっかり近付くことはできない。もし、悪鬼に乗っ取られていたら?
「敵の、気配は?」
「人の生活する気配は、あるよ。でも」フェイクは遠眼鏡を覗き込みながら、調査をしている。「悪鬼、かもしれないね。もしかれらが、炊事洗濯をするようなら」
「そうか……交通の要所だからな」スティールは腕組みしてうなる。「俺が悪鬼なら、間違いなく橋で待ち伏せするね」
「昔日の経験がものをいうな、スティール」ドグは皮肉げに言う。「流れの賞金稼ぎとして、似たような作戦を多用していたのだろ」
「ドグ。おまえのお仲間が無能だから、俺のような輩が蔓延るんだぜ」
「ああ。おまえには、おれはさんざん手を焼いたからな」
「話によると」と、フェイク。「悪鬼の軍隊は、人間の作物を奪う略奪を行動の基本にしている。流通路での待ち伏せは当然だ」
「だからといって、なにか手があるのか?」
と、ドグ。戦士としては一人前だが、街の警備兵だった彼は野外活動に疎い。
「いくつか、ある」スティールは提案する。「峡谷を避けて遠回りするには、時間が掛かり過ぎる。ならば、馬を捨てよう。峡谷を徒歩で切り抜ける。そのほうが早い」
「そんな!」トゥルースが反対する。「地図によると都市まではまだ四分の一も、近付いていないわ。ここから徒歩なんて大変よ」
「そうだね。スティール、案外橋で村に入って大丈夫だと思うよ」フェイクは楽観的だ。「悪鬼は、まだ都市部には手を出さないだろうし。それに橋には一応、守りがあるから」
「流通路を守る、辺境の農村か。だが」スティールは考え込む。「あるとして、どうせ砦とも言えない、衛兵の詰め所だ。村人は百名やそこら、いるかもしれない。だが戦える兵士はせいぜい五人」
「それなら」フェイクは大胆な作戦を思いついたようだ。「悪鬼だって、目立つ橋の上でずっと待ち伏せをしているとは、限らない。ならば隙を付いて橋を渡り、軍馬の速度を生かして逃げ切ろう」
「ま、積極案ではあるな」ドグは賛同した。「どっちみち完全に安全な、道なんてないさ」
「強行突破か。やってみるか」
スティールも決断した。
「どこを突破するというのだ?」
突然、女の声がした。ほんの三十歩ほどの距離だ。
トゥルースではない。話に気を取られ、周囲への警戒を怠っていた!
スティールとドグは、反射的に剣に手をかけた。四人は、驚いて声の主を見た。
板金鎧に異国の下士官の制服をまとった女兵士が、立っている。歳は三十代半ば、か。男性並みの身長にしまった体つき。
女は、さっと手を上げた。すると少し離れたところの茂みが、同時に数カ所がさりと動いて、膝を地につき両手で石弓を構えた、六名の兵士が現れた。以前から地に伏せて潜んでいたのだろう。
女戦士は、武器も構えず四人に歩み寄った。堂々とした態度で誰何を始める。
「わたしは辺境防衛軍、中隊長の騎士、エィムだ……諸君、どこの所属だ? それとも。その訛り、もしや異国のものか? 密偵ならば、容赦はせんぞ」
「われわれは、第四砦のネィル隊長から、使者の任を受けたものです」スティールが答えた。それから、二つの封筒を出す。「密書と、並びに都市レイクまでの通行証です」
異国の女隊長は無言で封筒を受け取った。通行証の方は一瞥するや、スティールに返した。
しかし。密書を読んだエィムは、しばしうつむいて目線を落としていた。
そして。彼女はその書類を無造作に破り出した。ばらばらにして宙に捨てる。
砦への、援軍の要請を。穏やかな風に乗り紙片は飛び去った。
パーティの四人の取った態度は様々だった。
「!」
スティールはぴくりと身じろぎをしたが、態度は変えなかった。
「?」
フェイクはきょとんと、事情が飲み込めていない様子だ。
「………」
ドグは無言で大きく長く、息を付いた。
そしてトゥルースは声高に叫んでいた。
「なにをするの!」
「こんなものは、無効だ」エィムは端正な顔を歪め、冷徹に言う。「都市に余分な戦力はない。砦のものたちには、現有戦力だけで部所を死守してもらおう」
「砦を……見捨てるの?」
「そうだ」
「何故? あなたたちの仲間でしょう」
「軍務は、兵士風情が口をはさめるものではない。ましてや、民間人はな」
「そんな理屈! 仲間を見殺しに、なんて」
「よせ、トゥルー!」ドグが制止する。「やむない措置だ。これは、どうしようもないんだ」
「ドグ! あなた、兵士でしょ? そんなことで民を守れるの」
「そうだ」ドグは陰鬱に……しかし、はっきりと断言する。「兵士は……国という全体を守るためなら、その一部である自分の犠牲は、受け入れるもの」
「はっ!」
スティールは嘲笑的に息を吐いた。流れの賞金稼ぎと宮仕えの警備兵の差異。これまで幾多も二人を衝突させた、違い。彼は断言する。
「個人の幸福無くして、全体の幸福があるはずはない」
異国の女騎士は、目を細めた。
「夜迷いごとを。ドグといったか? その男の言う通りだ。諸君等は戦士だな。それも、相当の場数を踏んでいる。ならば、ここの村の防衛に加わってもらおう」
「なんだと?」
スティールの顔が、こわばった。
「異国のものであろうと、異論は無いはずだな。この戦争に負けたら、人間はみんな悪鬼の奴隷だからな」
「ま、それはそうだ」と、フェイク。「でも、砦はどうなるの?」
「どうにも、ならんさ」
エィムは言い放つ。フェイクはきょとんと、いった。
「ほんとうに、どうにもならない?」
トゥルースはボケるフェイクの頭を小突いた。エィムは失笑しながら、命じる。
「同行願おうか。とっとと橋を渡れ。この吊り橋は焼き落とすからな」
「そんなことをしたら……砦の兵士たちは、誰も生きては戻れないではないか!」
スティールは鋭く言う。
「スティール、やめろ」制止するドグ。「しかたないんだ。砦が陥落するようなら、ここの村だって危険だ。橋を落として敵の侵入を防ぐは、民間人の安全を優先するための当然の処置じゃないか」
「ドグ! だからって俺たちには、異国の街を守る必然性なんてないんだぜ」スティールは頑固に言い張る。「ネィル隊長には、俺は恩を受けた。俺たちは砦へ引き返す。砦を放棄させて、俺たちの王国へ迎え入れる」
「貴様等の国へ、だと?」
女騎士は、眉根を寄せた。