春のディナーショー'10/南青山マンダラ(10/04/23)
出演:知久寿焼・ひとりTOMOVSKY
1.ねむけざましのうた
2.あんてな
3.ひとだま音頭
4.いわしのこもりうた
5.電車かもしれない
6.月食仮面
7.あたまのふくれたこどもたち
8.おるがん
9.いちょうの樹の下で
10.むりなおみやげ
11.死んぢゃってからも
12.月がみてたよ
13.時々しか
14.歌う44歳
15.いとしのワンダ
16.5時のチャイム
17.タイクツカラ
18.ユウウツに慣れちゃいけない
19.BAD DREAMS ALSO COME TRUE
20.現在位置(スネオヘアーのカバー)
21.アイタイヒトトダケ
22.天才ワルツ
23.幻想特急
24.スポンジマン
25.歌う44歳
26.学習
27.カンチガイの海
28.ちょっと今ココだけの歌
29.ワルクナイヨワクナイ
30.歌う44歳
南青山マンダラは、大晦日の原マスミ以来なので今年初めて足を運ぶ。
外苑前のハーゲンダッツは閉店してしまったが、その後にできた店ももう店じまいをしてしまっていた。
このライブハウスは昔、原マスミと柳原陽一郎と倉橋ルイ子くらいしかライブに行かなかった頃、ここでほぼ全てのライブを聴いていたので今でも一番落ち着きホッとする。
いつ休んでいるのだろうかと思うくらい、受付のスタッフがいつも同じなのもよい。
そう言えば、この前の日は倉橋ルイ子がここで歌っていた。
所要でこの日も行けず、数年聴いていないが(代わりに倉橋ヨエコは何度か行っていた、廃業してしまったが)、ベースの恵美直也も出ていたようなので次の機会にはフル編成の「ラストシーンに愛を込めて」を聴きたいところである。
ディナーショーは、「不思議なディナーショー」以来だったと思うので、相当久しぶりである。
篠田鉱平がサードクラス脱退を発表した日のことで、知的で澄んだ感性の篠田鉱平の楽曲に触れることができたのは非常に印象深い。
もう1回ぐらいTOMOVSKYのディナーショーには行っていたはずだが(七夕だけの頃だったと思う)、終演が23時を過ぎ終電がなかなか厳しかった覚えがある(このディナーショーと地球屋の双葉双一は終電要注意ライブである)。
ディナーショー形式のライブは人気が高く、原マスミもkuukuuのクリスマスライブは予約が取りにくかった覚えがある。
TOMOVSKY側に往復葉書を出したものは「ハズレネコ」が印刷されて戻ってきたが、知久商会側は定員に届かず全員当選で、とりあえず無事鑑賞することができた。
なお、会場でも別に前売りを発売していたので、仕事を早退できるのであればそれで買うことはできたようである(休日だったようではあるが)。
今回もTOMOVSKYディナーショーの料理は凝っており、TOMOVSKYが最後の方で述べていた「この値段で料理が付いていたら、誰かが損をしているのではないか」という思いは、正直全く同じようにいつも考えている。
なお、はかまだ卓のブログによれば、招待客(おそらくはかまだ卓一人)には料理が出ないようで、最後に頑張って踊ったら料理を出してくれたらしい。
考えてみればもっともなことであるし、ただ来るはずの客が来れずに料理が余っただけなのかもしれないが、あの場所で一人だけお腹を空かせているのは非常に気の毒なことである。
アボガドも入った良質なハンバーガー(横浜サムズアップに近い)、2人の名前が入れられたブラウニー、TOMOVSKYのマークの焼印や星型に刻まれた野菜など、見た目も美しく味も良質であり、調理スタッフの職人魂を感じさせる。
この日、無謀にも昼にインド料理バイキングで食事を取ったにも拘らず、この料理の質のおかげで青山の夕餉を楽しむことができた(ただし、ブラウニーは持って帰って翌日食した、美味しかった)。
整理番号のない今回の入場券に起因して、開場の2時間以上前から入口に行列ができる。
その間、TOMOVSKY本人などが頻繁に前を通り、それなりに楽しいひと時であったが、春なのに25度を超える2日前とは打って変わった寒さで、小雨もちらついていた。
それを心配してであろうか、開場時間まで1時間を切ってからではあったが、急遽整理券が配られて束の間の暖を各々取ることができた。
やがて開場となり、被りつき席やソファーシート席など人気のある席から埋まってゆく。
客層の男女比は、1:20ぐらいか。
原マスミも、渋谷クアトロは男性客が多かったが、kuukuuクリスマスディナーショーは女性比率が高かった。
バスドラムがTOMOVSKY側の椅子の前に置かれ、「ワイト島の奇蹟」の際と同様のギターを弾きながらバスドラムを踏む演奏が予想された。
第1部は、知久寿焼からスタートする。
ネコがヒトに進化していく、面白い絵柄のシャツを着ていた(「猫背の人の祖先は猫」の文字あり)。
最近は比較的よく演奏される、「ねむけざましのうた」「あんてな」で始まり、「ひとだま音頭」へと続く。
そして、「いわしのこもりうた」だが、原マスミとの共演ライブのときに「この曲は黒姫で作った」と述べていた。
知久寿焼の歌は「曲先」でなく「詩先」のイメージがあるが、この曲は「曲先」であり、帰りの電車で歌詞は作ったらしい。
たま時代の曲で「いわしのこもりうた」同様に透明感が感じられる柳原作品「ふしぎな夜のうた」も「曲先」であることを、現在進行中の全曲ライブで知った(ちなみに「自転車」もそう)。
クオリティは別として、楽曲自体の透明度を高めるには、ある程度は先に曲側を濾過しておく必要があるのかもしれないと、多少興味深く覚えた。
それから、この曲に透明感を与えているもう一つの要素は、知久寿焼の特徴ある高音である。
一言で形容すると、「高速の(「光速の」と呼んでもよい)高音」である。
原マスミやワタナベイビーなどと比べて、高周波の倍音成分に到達するまでの時間が短く、言葉を感じ取ったと思う間もなくその音が突き抜けていく。
同じ音程を、アルトリコーダーでなく使い込んだソプラノリコーダーで出すような相違が、そこには感じられる。
そして、定番曲の「電車かもしれない」に続き、「月食仮面」「あたまのふくれたこどもたち」とギター伴奏に細かい工夫が多用された曲が続く。
「月食仮面」は、前からあそこまで細かく表現していただろうか。
「あたまのふくれたこどもたち」は、例の6弦をオクターブ落とすチューニングである。
「おるがん」は、歌詞が素晴らしい。
「僕が死んだ日」で始まるその歌詞は、物語の世界のようでありながら写実的なリアリティがあり、それだけで一つの世界として完結している。
おそらく病気で亡くなったであろう子どもの、煙になり天に昇っていく様の表現、そしてその角度からの視点、それらは机の上で言葉を探しても決して出てこない世界であり、初めてこの歌詞を通して目にしたとき身震いする思いがした。
並んでいるときから、「おるがん」が聴きたいと思っていたところであったので、聴けたのはよかった。
ここで、ウクレレに持ち替えて「いちょうの樹の下で」「むりなおみやげ」「死んぢゃってからも」と、近年作られた曲が続く。
以前は、10年以上歌っているギター曲と日が浅いウクレレ曲との間には多少温度差があったが、この日は曲そのものにもちろん違いはあるが、演奏面に関しては温度差が感じられなかった。
程よく力が抜けながらも、歌詞の断片断片に心が込められるのが感じられた。
「雪の下で蕗のつぼみが膨らみ始めてる」という言葉には、季節の到来だけではなく人生における何かの象徴まで感じさせるところがあった。
この前の日もライブがあり、「起きたら昨日歌ってた店でした」とのことであった。
再びギターに持ち替え、「月がみてたよ」で第1部終了。
後奏にハミングで音を入り、月光が音楽の中にも射し込んでいるような明るさが感じられた。
第2部は、TOMOVSKYのステージで、登場早々「雪になりました」とほら貝を吹きまくり、飛ばしまくっていた。
知久寿焼の本名を「下川久(しもかわひさし)」とでっち上げ、最後には11月11日のディナーショー(声が全く出なかった伝説のディナーショー)に来た客は「マンダラ発の飛行機が墜落して、もういない」と天を見上げるにまで至った。
TOMOVSKYの嘘MCは、全身全霊を込めてあらゆる引き出しから引っ張り出しているので、いろいろ感心させられることが多い。
スーツ姿がよく似合うTOMOVSKYであるが、シャツを黒くしたら特殊な職業の人物に見えてしまうところがあり、この日はそれをネタにしていろいろなポーズを取っていた。
いつものように「歌う44歳」で始まるかと思えば、「気を使え」という趣旨のさらに短い曲が演奏される。
ステージと客席との間の相互コミュニケーションを大切にしましょうという、暗黙のルールを明文化したものであろう。
そして、「歌う44歳」「いとしのワンダ」と続く。
「いとしのワンダ」は、TOMOVSKY2号や3号(宅録)との共演が面白いが、この日は普通にギターで演奏される。
その代わり、持参したキーボードで「5時のチャイム」「タイクツカラ」が続けて演奏される。
「5時のチャイム」は、「強制ハミング」とわざわざメモに書いてきたのに観客に伝えるのを忘れてしまった。
だが、「タイクツカラ」は素晴らしかった。
この曲は、曲だけで言えばTOMOVSKY最大の名曲だと思う。
歌詞だけであれば「忘却toハピネス」など、TOMOVSKYに名曲はたくさんある。
だが、「タイクツカラ」の曲はミュージカル音楽のように展開・構成が存在し、曲を聴くだけでも一つの物語のような広がりが感じられる。
特に、最後の高音で上り詰めるメロディは、「TOMOVSKYのライブに足を運んで本当によかった」と実感させる幸福感を引き起こさせる。
ギターに戻り(バスドラムも叩いているが)、「ユウウツに慣れちゃいけない」「BAD DREAMS ALSO COME TRUE」と続く。
それにしても、TOMOVSKYの歌には驚くほどラブソングが少ない(そもそも存在するのだろうか)。
まるで、「恋愛」という事象は安易に非日常性を創り出す記号に過ぎず、それを社会的に生産していく装置に自らの音楽を貶めたくないとでも主張するかのように。
前奏の伴奏が全く同じとのことで、スネオヘアーの「現在位置」をワンコーラスだけおぼろげに歌い、「アイタイヒトトダケ」が歌われる。
「アイタイヒトトダケ」は、昔PVか何かを観て一度聴きたいと感じていたが、リアリティのない別世界に感じたその音源とは少し印象が違った。
当時のキーで演奏していないのかもしれないし、レコーディングで低い周波数をカットするなどの調整を行っていたのかもしれない。
「それにしても」が続くが、TOMOVSKYの曲名はカタカナが多い。
知久寿焼のひらがなが多いのはおそらく語感の柔らかさを求めてのものであろうが、TOMOVSKYの場合はおそらく何かを排するために機械的にも見えるカタカナ表記を用いているのであろう。
いずれ、それが何か思いついたら記してみたい。
「天才ワルツ」「幻想特急」に続き、「スポンジマン」がいろいろな楽器を混ぜた音でキーボードを用い演奏される。
「不思議な~」シリーズが定例化されていた頃、ワタナベイビーやサードクラスがツアーのために新曲を作るのに感化されて作った曲と記憶している。
そのため、「スポンジマン」だけはその当時の記憶がフラッシュバックのように鮮やかに甦り、「タイクツカラ」とはまた異なる高揚感を覚える。
ワタナベイビーやTOMOVSKYが本気で楽しみサードクラスに感謝をしていた「不思議な~」ツアーは、またいずれ再開してほしいものだと思う。
そして、「歌う44歳」で第2部は終了する。
第3部は本来2人の共演ステージであるが(しかも最初の3曲はTOMOVSKYはドラム)、飛び入りさせられたはかまだ卓が全部持っていった。
「学習」こそ2人で演奏されたものの、「カンチガイの海」でははかまだ卓がコーラス以外にいつもの踊りを披露し観客の視線もそちらにおのずと惹きつけられる。
「カンチガイの海」も結構な大曲で、展開も豊富なのに、全く飽きさせなかったのはさすがである。
ここで一旦引っ込むが、2人の強い要望で「ちょっと今ココだけの歌」からも再登場する。
虫のように這って登場する様は、2人の予想を遥かに超えていたらしく、真剣に取り組む姿勢を感じさせる。
TOMOVSKYも、「全ての人が真剣に行動した故のステージ」について絶賛していた。
「ワルクナイヨワクナイ」では、TOMOVSKYからドラムのスティックを手渡されたが、意図的にか自然にかは分からないが空振りしたりして見せ場は多く作っていた。
はかまだ卓の以前ブログに記載があったが、「普段どこで踊っているんですか」と本来方向違いの質問をされたときに、「呼ばれればどこでも踊ります」と見事な返事をしていた。
最後は「歌う44歳」を歌い終了し、22時50分ぐらいで帰ることができた。
なお、次回のディナーショーは8月8日とのことで、7月7日が固定でないことは意外であった。
もしかすると、サードクラスのワンマンが7月7日にあるため、TOMOVSKY自身がその日を外したのかもしれない。
いずれにしても、この日のディナーショーは帰路を幸福感で包み、また機会があれば行きたいと感じさせるものであった。