いまは誰もが写真を撮れる | たぬき写真工房ブログ

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マイクロビキニのオンナノコが登場するかと思えば、路上ライブの写真レポートもあります。

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 明治維新で学校教育が義務化されるまで、読み書きできる日本人は全体の半分以下だった。だから文章を書くのは特殊技術で、役所に届ける文書から日常の手紙まで、代筆が仕事として成り立っていた。

 当時の写真はというと、コロジオン式ガラス湿板の時代。ガラスが湿っているうちに撮影、現像をすませてしまわなければならず、写真家は組み立て暗室を背負って歩き、撮影現場で湿板をつくり、現像もした。その際には水銀などという猛毒も扱うわけで、写真とは特殊技術の最たるものだった。

 明治二〇年代、活字ばかりの新聞が売れるようになり、錦絵入りの新聞が急速に衰退した。識字率が急にあがった結果、総ルビふった新聞は誰でも読めるものになった。そうなると、くだらない絵なんかよりも文字情報の方がありがたいというわけだ。読めるということは書けるということでもあり、代筆の仕事は激減したし、もはや文章を書くことは特殊技術ではなくなった。

 写真の方はというと、乾板の時代を経てフィルムが普及することで特殊技術ともいえなくなって、素人が撮れるようになった。それでも写真館はなくならない。

 ワープロが出来てから、たいていの文書は国語辞典がなくても作成できるようになった。それでも文章を書く仕事はなくならない。

 もちろん文章を書くのも写真も、以前と同じレベルで仕事が成り立つわけはない。プロとしてやっていけるハードルはあがっているのだ。七〇歳をすぎた写真家が「いままででもっとも勉強したのはデジタル化」といっていた。それでこその生涯現役だ。

 いまは誰もが写真を撮れる。だからこそ、これは自分にしか撮れないという技法を持っている人、あるいは、あるテーマを撮り続ける執念を持っている人、こういう人が強みを発揮するだろう。