最後にAmebloを書いたのはいつだろうか?去年noteを立ち上げて1記事しか書いていなかったです(笑)僕にはどうやらAmebloが性に合っているんだろう。
*2005年から書いてました
さて、久しぶりに文章を書きたくなりました。ここ1,2年は書きたいことをふと思いついても、どうしたことか...「表現する気がどうしても湧かなかった」のです。
きっと自尊心レベルが低かったのでしょう(笑)
最近は人生で一番ストイックにボディメイクに励んでおりまして、結果もついてきているから自尊心が高まってきたのか...なんとなく記事を書く気が湧いてきています(単純か...)
4/1で社会人19年目になりました。節目でもなんでもないけど、2024年4月4日はきっと僕の節目になりそうだったから直近の僕、そしてこれからの僕に関して綴ろうと思います。(長いですがご容赦ください...)
福岡に引っ越してきたのが、2022年11月。あれから「2年半」が経とうとしています。
福岡、九州は僕の姓に合っているのでしょうね。東京に月の1/4は滞在しているけど、また住みたいとはこれっぽちも思わないんだよなー。(東京が嫌いとかそういう話でもない)多分、福岡がとても好きになってしまったということだけです。
でも、福岡だけだと僕の中ではきっと消化しきれない何かが生まれるから、きっと今の生活が「性に合っている」んだと思います。
いったい何回「性に合っている」とこの記事で書くことになるのだろうか...
さて、僕は目的をもって福岡に移住してきたのですが、ちょうど二年前に立ち上げたブランドビジネスの会社の代表取締役を退任しました。詳細はかけないけど、いわば個人としては失敗です。
代表取締役を退任したのは人生で2回です。サイバーエージェント時代に、CyberXというとても尊い組織、一番大きい時で150人の仲間がいた会社を意図的に精算しました。
精算はしたものの、それは失敗とは捉えてないないですが、退任はとても辛いことではありました。
昔、藤田社長に、アメリカでの事業を大失敗した時に、「負けたと、負けているは違う、次頑張れ」とぼそっと励まされてたことは、今でも忘れないですし、感謝の気持ちしかないです。
当時は、バチェラーという番組で人様の目に触れ、サラリーマンとして、次の「より大きな」チャレンジがどうしても見えなくて、悩みに悩んで好きな会社を辞めました。
あれから5年経つけど、「次の大きな何か」を自分は探してました。2019年にGhost, Inc.という会社を起業して、大きくはないけど、意味があるし、センスが問われるチャレンジはいくつかさせていただきました。
①オンラインサロン
を立ち上げてみたり(とよぽん、イセくん、レックのおかげ)
*これは今も続いてます(現在5年目)
②飲食事業
コロナ時に飲食業を何故かチャレンジしたり(目良と勇太のおかげ)
*イテウォンボウルズと言います
*最近はデリバリー特化型だけど、上野入谷にもできたんだったっけな
③サプリメントブランド
中俣って超絶優秀な仲間に誘われて、二日酔いサプリのプロダクトを出してみたり...
*MEZAMELと言います(Amazonで買ってくださいw)
④入浴剤ブランド
オンラインサロンのメンバーが兼業起業したいとのことで、Wellness文脈で、「自立神経を副交換神経優位に整えることに特化した入浴剤ブランド」を立ち上げてみたり
*色々大変だったけど、色々勉強になったよな
*re:urselfといいます(AmazonかLINE GIFTで買ってくださいw)
そして、僕が本腰入れて、福岡に移住してやろうとしていたことは、お酒のブランド事業。今もなお、元仲間たちが携わってやっているけど、当初の構想通りなかなか良い仕上がりになっています。今では応援しています🤘
⑤お酒のブランド
*reunionというブランドになります
*GINです
*地球と人間にとって究極的にイイ、ブランドを目指してます
それ以外は幸いなことに、さまざまなスタートアップの、アドバイザー/顧問、上場企業の社外取締役、エンジェル投資家などをつとめさせて頂きながら、時にビジネスタレント的な側面もあり、講演会やPRのお仕事などもさせて頂きながら、この5年間歩んできました。
ちょっと前までは、「小柳津さんってお仕事何しているのですか?」という質問をされるたびに、心の底から嫌気がさしていました。うまく答えられなくて....
おそらく自分の理想と、現実のギャップに悶絶していたんだと思う。そういう人はたまにまわりで見かけますが、「痛いほどわかる...」
「誰かにならなきゃいけない、何かを成し遂げなきゃいけない。」真面目な人ほど、そういう感覚に、時に苛まれるんだと思います。
今はこう、答えています。
「スーパーフリーランスです、と。」(笑)やっと、等身大の自分を受け入れることができたんだと思います。
ちなみに余談ですが、昨年亡くなった坂本龍一さんは、その昔、記者に、「坂本さんは、作家、大学教授、時に俳優...いったい坂本さんの職業はなんと表現したら良いんですか?」という問いに、
坂本さんは「職業、坂本龍一ですかね...」
と答えたらしいのですが、まさに「僕の憧れであり、理想です(笑)」
さて、1年半前に、僕が社会人になる前に、一度目、そして社会人になってから二度目、そこから10数年たって久しぶりに再会した占い師の方がいます。
お酒の事業から抜けて、メインでコミットするビジネスがなくなって、
一人ぽつんと福岡で「いったい、絶対、俺は福岡で何してるんだろう...」という、ある種、最愛の人にふられて、立ち直れず、次どうしたら良いかわからない的な、思考停止状態にありました。
その時は...悩みに悩んで、人生長いんだし、「やっぱ、親父と同じ医者になるか!!!」と中途半端な志で、九州なら長崎大学だ!と思い立って、学士編入で受験しようと考えた時期もありました。結果、生命科学の座学をやりはじめて、俺は集中力なさすぎると悟り、断念した記憶も今では懐かしいです。(お父さん、ごめんなさい🙏)
そんな、大の迷走時に、たまたま親父が久々に占いを受けて、良かったかららしく、俺も藁にもすがる思いで久しぶりに受けてみたのです(笑)
その時に言われて一番ビビった言葉が、「小柳津さんは、後1年半ぐらい、ふらふらしててください。」
「えーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」
そんなことが俺にできるかーい、と思ったのですが、「今は、自分の事業ではなくて、人様の助けになることに集中するでいいと思います」と言われて、妙な腹落ち感があり、素直に受け入れて再発進することになるわけです。
ちなみに、「2024年4月4日からは、色々ひらけてきます、」と言われたのですが、ようやく、本日この記事を書いているわけです。
その「啓示」(笑)を受けてか、すぐ翌月には、旧友の誘いで、Web3✖️Gameのスタートアップである、(現在は)Mint Townという社名のスタートアップに参画することになります。当初は、「えーーーーーーーーーー、またゲーム???」散々やったし、もう5年も離れているんだけど、またーーーーーーー???...という感覚でおそるおそる生きていくために、様子見ながら参画しました。今は、元DeNAの社長だった守安さんという人の側近として、最初は人事から、そしたら社名とかコーポレートブランディングとか、今では、ビジネスプロデューサーとして、資本業務提携案件やら、新規のIP版権の獲得やら色々と楽しくやらせてもらっています(色々他にもやりながら)
守安さんという人について言及しておくと、当初は、正直、、、俺は昔モバゲーにゲーム出してた側をやっていたころから思ってましたが、「ただのおっかねーーー人」だと思ってましたが、並走させてもらうと、とてもフェアな人で、ビジネスマネージメント力がめちゃ高いなー、と尊敬しています。そして加えるなら、EQは俺の方が高いから「人にまつわることは俺に任せてください」、と思える存在なので、意外と組み合わせは良いなーと勝手に思ってます(笑)
自分の会社で仕事として受けていますが、心は組織の当事者としてやっていますよ🤘久々に0から組織作りに携わっているので、思うのですが、「組織とは実に尊い。」面倒くさいことはくそほどあるけど、一人じゃできないことを組織(チーム)でやっているわけであって、ここ数年は個人でいきてましたが、チームって本当にいいなと、時に、昔の150人の仲間をたまに思い出しながら邁進していたりします。
あとは、もう1社。実は今江ノ島で新しいホテル事業を展開しようとしているのですが、大学の後輩でもあり、僕の会社の役員でもある中澤という(時に)ぽんこつ人間(あ、実は優秀です)が代表をつとめている会社、Fund Cloud Holdingsの役員もつとめています。元々不動産(投資)は好きで、弟も大手ディベ勤務だし、うちのおかんもNYUの不動産金融大学院出てるし、医者以外に、不動産と金融という血もながれてそうな気もしています。
ここはここで動物園みたいな役員構成になっていますが、普段は攻める側ですが、こっちはどちらかというと監査役に近い、「守り」側の役割で動物園の園長先生を務めています(笑)最初は、ほんまこの会社大丈夫かなーと思ってましたが、みんなの本気が少しずつ形になってきて、面白いことになると思っています。「金融業界、不動産業界にアイデアと突破力、時にDX力で風穴をあけにいこうかと!」
さて、福岡に話が戻りますが、引っ越ししたての頃から、今では親友/マイメンと呼べる存在に出会えました。そいつは電通本体から電通九州に出向してADやってる子なんですが、たまたまバチェ1の広告クリエイティブのADをやっていたのことで、仲良くなりました。彼がきっかけで、出る側のお仕事で、長崎の南島原のCMに美川憲一さんと出させてもらったのですが、最近そやつと島原、南島原に行く機会があり、市役所の方々にもご挨拶させていただいた次第なのですが、はじめて行ってみて、、、
「島原、、、めっちゃええやん!なんでも俺、今ままで九州住んでて、気づかなかったんだろうか、」という強烈な体験をさせて頂きました。
何が言いたいかというと、僕ですら知らない九州の魅力はまだまだあるわけだから、東京の人なんてもっと知らないんだろうなーと。ましてや、海外の人はなおさら。
さーて、いきついた結論は、俺は:
①多種多様な業界に携わってきた
②英語も日本語もしゃべれる
③九州に何故か移住してしまった
④その魅力をこの目で確かめてしまった
ということで、それにひもづく事業に再度チャレンジしようと思います。
あ、勘違いがないようにいっておくと、他の仕事は並行して続けます。相乗効果があるので。でも、「僕はこれをやっています」、を、「こういう新しい価値を生もうとしています」がそろそろ自信もって言える日が近づいています。解像度まだ低めですが、ようやく見えてきたということです。色々やってきたことが、Web3、不動産、金融、地方創生筆頭に「Connecting the Dots」してきたということです。
いずれまた共有しますね。
最後に...ちょっと前に素敵な出会いがあって、その人との会話の中で、「俺は何かで1番をとるのかしんどいだよねー、2番でいいだよねー...」的な会話をしていたのですが、その子に、「それだとダメじゃない?ぬるくない?」と言われてふと反省したことがありました。
20代、30代前半は何かで絶対1位になる覚悟で生きてましたが、30代後半、40代で、それなりに飯が食えるようになって、「まあ、力むなよ」的なニュアンスで、スタートアップ業界あるまじき、「ロハスな」感覚でゆるくやっていたのでしょう。ですが、最近その人のおかげで目が覚めたらしいです。
自分が「これだ!」と思ったニッチな領域で圧倒的なNo.1になること
と、
好きな人の絶対的なNo.1になること
これだけは全身全霊かけて形にしていく所存です。
ということで、2024版の小柳津林太郎もよろしくお願いします。
最後に、福岡にこられる際は、福岡の気の良い仲間と、スナックと言いますか、カラオケバーと言いますかをはじめたので、良かったら、顔を出してください。
-REVIVE20240404-