山あり谷谷山あり谷谷 恋に人生に情熱大陸 -3ページ目

山あり谷谷山あり谷谷 恋に人生に情熱大陸

三十路♀。日本に住めなくて毎年ひとり海外移住
日本と海外を行ったり来たり、どこにも落ちつかず、誰とも落ち着かず
そろそろ本当に疲れてきた。どこかの国に永住して落ち着きたい

わたしは今回、海外の国に実際に行って最終面接を行ってきた。
一度も訪れた国ではなかったので、面接に行くまでは本当にこの国に住みたいか、暮らせるのか、言葉はどうするのか、など不安だった。
これまで数々の国の現地採用で仕事をしてきたけれど、いつもスカイプ面接で採用決定だったので、こうして面接で実際にその国にいくのは初めて!
精神的に万全ではない今の自分なので、行く気はあんまりなかったけれど、後悔はしたくないので結局面接の数日前に航空券を取って、行ってきた。

初めて来る地域にある国で、最初の2日間はホームシックというか、ひとりぼっちでこんなところまで来ちゃったよ~という不安からドキドキが止まらなかった。
まぁ、科学的に立証されているように、人の脳みそは新しい情報を理解するのに3日間を要するらしいから仕方がないことなんだろう。でも異国にいくと、毎回こういう状態になる。

面接の日の朝になっても、絶対受かってやる!という自信とかやる気はあまりなく、
飾らず、作らず、完全に自分自身で面接をしようと思った。
わたしは今迄面接で落ちたことがないので、役員受けはいいのはわかっていたけれど、
今の自分の情緒不安定な状態から、無理に元気な輝いている自分を演出する余裕も正直なかったのだ。

実際に面接にて役員の話を聞いているうちに、どんどんこの会社で仕事したいかもと思えてきた。
正直、会社の人と実際に話をしてその会社の仕事内容をしっかり聞くまでは、自分の想像の範囲でしかその会社のことや自分がする業務内容は描けない。
だから、今回の面接で話をしているうちに、自分の業務内容や会社がてがける仕事の図が見えてきて、さらに現地で1週間過ごしたせいで、すっかりわたしはこの国のこの会社で仕事がしたいと思えるようになっていった。

面接をしにはるばる遠くの国まで行ったので、1週間は過ごすことにした。
ツーリストとしてではなく現地人の目でこの町を体験したかったので、ホテルではなく現地人のアパートに滞在することにした。今ブームになってる airbnb.com !
友達がイタリアで airbnb を体験してすごく良かったという話をきいてから、
ものすっごくこのサービスを利用したかったから、今回利用するには大チャンスだと思った。

アパートはフルキッチン、リビング、ベッドルーム、バスタブ付きのアパートで、とってもチャーミング。ホストの女の子から、アパートの鍵を渡され、完全にそのアパートに住んでいる持ち主のような気分で滞在が出来た。最高♩

ツーリストではないので、あえて地元の人がいくような繁華街から離れた場所にあるカフェや食堂をみつけて、どんな金額で現地生活が出来るのかチェックしたりして過ごした。
もちろんスターバックスはあるけれど、地元の人がいくカフェの2倍はするし、わざわざ異国にきてまでスターバックスを飲む意味はない!

一人旅だったので、ひょんなことから現地の人と知り合いにもなり、一緒に行動したり、バーでビール飲んだり、素敵な場所に連れて行ってくれたり、それなりにたのしく過ごせた。
1週間この町を歩きまくって、帰国する2日前になると帰りたくなくなっていった。
自分がこの町で生活するというビジョンが見えてきていたから。

帰国後、この国のことがもっともっと大好きになっていった。本屋さんにいき、この国の言語本を読みあさったり、歴史や文化の映像をyoutubeでみまくった。

面接から1週間後の今日、採用結果を通知しますと言われていたので、この一週間の自分の心は相当ぐあんぐあん、大嵐のように揺れていた。

こんなにもこの国をどんどん好きになっていく自分。言語本まで開いてしまって、勉強意欲ばりばりみなぎっている自分。ネットで現地のアパート探しまでし始め、住みたい地区や住みたいアパートまで決まってしまっていた。

採用なら電話がかかってくるとわかっていたので、一日中5分おきに携帯を見ていた。不採用ならメールでくるとわかっていたので、メールも10分おきにチェックしていた。
そんな中、今日やっときた採用結果。
メールでの通知だった。不採用。

わたしは今この瞬間、自分の感情を一定に保とうと頑張っている、そしてブログに書いている。
どうしていいかわからないからだきっと。
あの国を初めて訪れてから10日間たっている。恐怖や不安から始まった旅だったが、完全なる異文化を体験し、30代独身女性である自分がこれから生きていく、一生涯を過ごすことになるかもしれない国だと認識しながらの10日間だった。

以前は面接に落ちたことがなかった。それが今年から落ちるようになってきた。
あれは20代だったからなのか?
それとも今の自分はかつてのような輝きがなく、悲しいオーラを発しているから採用されなくなったのだろうか。

普通にしてても必ず受かった20代の面接とは違う。
現実とは厳しい。
元気で輝いたオーラのない今の自分にも責任はある。

受かっても受からなくてもどっちでもいいくらいに考えていたから、会社について勉強していかなかった自分もいる。

結果が悲しい。けど、自分の人生は続いていく。


いままでは、また次があるとわかっていた。
就職も、結婚も、出産も、これまではいつか近い将来必ずできると信じていた、確信していた。
でも33歳の今の自分は、これまでの心境とは全く違う。
就職も限られてきて、いままで受かっていた面接に受からない、
結婚も、夢みているようにすんなり出来るものじゃないとわかった、
出産できる時期もあと10年を切った。女性はこのリミットまでにどうにかしなければと思うから、男性の人生とは全く違う。わたしだってもし自分が男性だったら、33歳でこんなに全てに焦りはしないだろう。だからこそ、女性のこういう心境、精神的・身体的な事情を理解して結婚というステップを踏んで、家族を築こうとする男性は本当の意味で男らしい。

今頃、わたしは長年をともにした彼と結婚し、アメリカ西海岸で暮らしているはずだった。
妊娠している頃だった。

それが全てなくなり、自分がいったいこれからどの国に落ち着けばいいのか、失ったものへの記憶や執着や後悔を振り払い、どうやって一人で生活していけばいいのか、人生は本当に難しい。

子供の頃、人生がこんなに難しく複雑なものだとは思ってもいなかった。
なんで大人は暗い表情をしているんだろう、子供みたいに無邪気じゃないんだろうと思っていたけれども、今よくわかる。大人になると本当にいろいろと、うまくいかない。
不採用で泣いたのはこれが初めてだ。。
あの国に感情移入してしまった。これがいつも悪い癖なのに。
そしてあの国で出会った人たちにも感情移入してしまった。あっちからすれば、またいつものように街角で出会った観光客の一人だったのだろうに、わたしはどんな出会いもいつも”縁”とか”運命”だと思って大切にしたいと思ってしまう。きっと相手にとってはわたしはただの他人なのに。
そんな私はかなりめんどくさい人間なんだろうな。いちいち出会う人に感情移入し、何かを求めてしまう。
面接だって、決めるのは会社なのだからわたしに決定権はないし、なぜ受からなかったのかも一生わからない。それなのにわたしは会社にも感情移入してしまった。

いつもこうなんだ。付き合って間もない相手にも、友人にも感情移入してしまう。

23歳のときに唯一の親友が死んだ。彼女に会いたい、話したい。
なんで死んでしまったのわたしを置いて。彼女しかいなかったのに、全てを話せる本当に大好きな友達は。
彼女がこの世から去り、長年付き合っていた彼が親友になった。親友であり恋人であり将来の旦那さんだった。彼も去っていった。いまでは新しい彼女がいて、わたしへのメールも電話も一切途切れた。


わき上がる感情や本音を殺してコントロールして、一定な感情を保ち、傷つけられないように自分を守り、
そうやってうまく生きて行く。それがわたしには出来ない。いまだにできない。
多くの人はわたしと同じくらいに豊な感情を持っていないからここまで葛藤しなくても普通に生きられているのか?
それとも、このくらいの感情を持ちながらもうまくコントロールし自分の中で消化し、他人や社会には感情の起伏や弱みを見せないで生きているのだろうか?わからない。
わたしの友達の中に、自分ほどメールや電話で感情をストレートにそのまま表現し、弱さを見せてくれる子がいない。
みんな、あまり感情や弱さをそのまま見せてくれない。


子供の頃から、自分は感情が豊かで感受性が強いことはわかっていた。
でも、感情が豊かだということは良い、+のことだと信じていた。
感情があまりなく冷めている人よりも自分はずっと人間らしいと思って、生きてきた。
そのうち、天真爛漫だと周りから言われる度に、感情、表情豊かに、自由に生きたいように生きていることが、駄目なことのように聞こえた。

そのうち気づくと、中学生の頃からの友達がわたしから離れていき、
長年連れ添った彼はわたしの元を去り、
その後に恋に落ちた相手もわたしの元を去って行った。

相手と合わなかったと言えばそれまでかもしれない、でも今回の堕落でわたしは自分と向き合うことにした。そうすると、いつも台無しにしてしまうのは、自分の感情のせいなのかもしれないということがわかった。
一喜一憂はいけないことなのか?
感情豊かな人は損する時代に生きているのだろうか?
わたしにはわからない、いままで生きてきた自分を完全に変えることはできない。
感情豊かな自分を受け入れてくれ、好きだといってくれる男性や友達がいると信じていきてきた。
でも結果、私が愛した男性はみんな去って行った。

わたしは人を愛すると、周りが見えなくなってしまう。
華原朋美、梅宮アンナタイプと言えばわかりやすいだろうか。

実際、感情を一定に保ててる人のほうが友達が多かったり、仕事場で好かれたりする。
この事実を知らされる度、わたしは自分のような人間が住むにはとても難しい社会に生きていると思う。今の時代だけに限らずいつの時代もそうだったのかもしれないけれど。

いくらスピリチュアル本や仏教の本を読んで自分の感情コントロールをしようとしても、
そううまくいくわけでもない。
もともと感受性や母性がとても強かったり、感情がとても豊かに生まれてしまった人間はどうすればいいんだろう。

採用通知の話からかなりずれてしまったが、こんなことを思っている生身の33歳独身女性です。