怒ったあとに直ぐ笑顔になれない人は、指導者になるべきではない。 | Jリーガー 安彦考真 オフィシャルブログ

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人生で一番輝く瞬間は、何かを達成したり、成功したりした瞬間ではない。人生が一番輝いている瞬間は「旅の途中」である。それは、その人の「生き様」である。
だから「チャレンジを応援し、失敗を否定しない」環境を作る。



怒りをコントロールできてこそ、その指導者には魅力がある。


そもそも怒ってる状態で、その怒りを相手にぶつけることほど意味をなさないことはない。


私が尊敬してやまないエドゥさんの通訳をしていた頃、エドゥさんは、「たかまさ、今から怒るからお前もテンション変えて準備してくれ」と怒る前には必ずこの一言をくれた。


それ以降、常に私はチームの状況や選手の表情を「エドゥ監督」として見る訓練が始まった。


褒めるも怒るもあくまでも手段だ。


殆どの指導者が、怒ることや褒めることを目的にしている。


そうじゃないといいながらも、それで満足している。


喜ぶは共感だ。


怒るや褒めるとは全然違うことがわかるだろうか?


褒めるとは依存を生むことがある。


例えば、目の前のゴミを選手が拾ったとしよう。


それは褒められるためではない。


ただ目の前のゴミをそのままにはできなかった彼の中の「大切な何か」が彼を動かしたのだろう。


今から、その彼の中の大切な何かが、他人の中へ移り変わっていく様を見ていただこう。


その選手の前にまたゴミが落ちていた。


彼はそれを何も考えず拾った。


3度目、また彼の目の前にゴミがあった。


彼はそれを拾った。


それをみたコーチがお前偉いな、と褒めた。


4度目も彼は拾った。そして、コーチは褒めた。


5度目も、6度目も目の前のゴミを彼は拾った。


でも、コーチは共に褒めてくれなかった。


彼は、少し寂しかった。


7度目、彼の前にまたゴミが落ちていた。


彼はどうするだろうか。。。


その目の前のゴミを素通りした。


彼の中の「大切な何か」が、コーチの褒め言葉により、コーチから褒められることが大切になってしまった。


褒めてもらえないゴミ拾いは、彼の中で大切ではなくなってしまったのだ。


あなたは、誰のなんのためにサッカーを始めたのですか?


今、あなたは誰のなんのためにサッカーをしているのですか?


指導者よ、あなた方の勝手な感情指導(主観指導)が子どもの「大切な何か」を奪い取っていることに気がついていますか?


怒るも褒めるも芝居であり、演出です。


指導者は指導者を演じるのです。


ありのままのあなたでは、トップコーチにはなれないことを理解するべきだ。


安っぽいプライド捨て、指導者として「必要な服」を着る努力をするべきだ。


「怒ったあとに笑顔になれる」そんな指導者が増えることで、子どもたちの世界観はより豊かになる。


カッコつけてんじゃねぞ!

本気で演じるんだよ!


「自信なんか持ってみろ

ろくなことないぞ!」

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※画像はネットよりお借り