Twitterのトレンド
「あなたの体育会系レベルを診断」
「精神論の多さ」
「熱苦しさ」
「ガチの体育会系」
などが今まさに賑わっていますね。
これについて解説していきます。
(あくまで歴史に基づく個人的な考察です。ご了承ください。)
戦争をしていた時代、富国強兵のもと、男性の体力増強が必要不可欠でした。
1872年の学制が領付され、学校教育において、「体術」が義務付けられました。これが今でいうところの「体育」の始まりになるわけです。その後すぐ「体術」から「体操」に表現が変わります。
そこでは、軍隊式に、「整列!」「番号!」「右向け右!」と言ったように集団行動が徹底されていたようです。もちろん先輩の言うことは絶対ですよね。
1878年、東京大学で「体操会」というものができます。これが部活動の始まりと言われています。
その後、漕艇競技、陸上競技、野球、武道などのクラブができていきます。
1890年代に入ると、慶應義塾大学や早稲田大学でも「倶楽部」という名でさまざまな部活が発足していきます。
当時は、まだ体力増強と言うことがメインで、競技自体はお遊びに近かったようです。
でも、体力増強ですから、厳しいルールも決められており、練習なども厳しかったようです。
1900年代になると、東京周辺の大学(6大学)を中心に、徐々に対外試合などが行われるようになります。
体力増強がメインだった部活ですが、なんとなんと、所属していた学生は、なぜか学校の成績が良かったんです!(今では科学で証明されています。後日説明?)
そこから部活動が推奨されるようになり、小中学校でも広がっていくようになります。
しかし、集団行動の厳しさなども併せて広がってしまうわけですね。(仕方ないか)
それと時を同じくして、戦争が終わることで「体操」から「体育」になり、従来までの厳しい指導は徐々に廃れていきます
また、国の学習指導要領にも変化がおきます。
1947年の学校体育指導要綱では、生徒の自主性を尊重しつつ、「クラブ活動」などの取り組みが重視されるようになりました。この当時から、勝敗優先の指導にならないよう注意されています。
1958年の学習指導要領では、部活動は特別教育活動に位置づけられ、自由参加で、生徒の自治を目指した集団でした。
ここら辺で自主性が重要視され、所属する者としない者がでてきますね。
これが、体育会系と言われるかどうかの分かれ目なのではないでしょうか。
部活動に所属する者は従来通り、厳しい取り組み
そうでない者は、経験せず学校生活を送る、という感じですかね。
1970年に改定された中高の学習指導要領で、国は「必修クラブ活動」を設け、部活と並行して授業でクラブを行うことになりました。授業では野球クラブ、放課後に野球部の活動が実施されるような状況ですね。
私が中学生の頃、クラブ活動も、部活動もありましたね〜
現在の学習指導要領では、クラブ活動は必修化されていません。
部活動については、礼儀やマナーの指導、勝利至上主義にならないようにすることが挙げられています。また、最新の科学等に触れさせる、ともあります。
果たしてできているのでしょうか!?(笑)
また、集団行動については、「集合、整とん、列の増減、方向変換など」と言う表現になっており、偏ることなく、全部の領域で適切に扱うようになっています。
うーん、ふわっとした表現ですね。
ですが、それだけの授業を厳しく行うってことはないようですね。
話が行ったり来たりしていますが(笑)
そんな体育の始まりがあったので、部活動に「厳しい体育」と言うレッテルが貼られるようになり、今でも残っているのではないかと思います。
「オス!!」「はい!!」などの熱さもわかります(笑)
今の部活動は、「体操」時代と比べると幾分か緩くなっていると思います。
しかし、特に歴史の長い、武道、野球、ボート、陸上などでは今でもそのような習慣のある部活動もあるのではないでしょうか。
一時期、運動中に水を飲むな!など、科学的根拠のない、まさに精神論がありました。
今は完全にアウトですが、殴る蹴るなどの体罰は当たり前だったでしょうね。
そんな名残を感じます。「ガチの体育会系」
私個人としては、体育会系出身と言われるのが非常に嫌です。
どんな集団であろうと、上下関係や礼儀は大事ですし、さまざまな場で精神論がいまだにありますから。
しょうもないグルーピングをする必要なはいと思います。
帰属意識?レッテル? …わかりませんが
そういう一括りにすることによって変な評価がなされるわけですので、よろしくはありませんんね。
「体育だから」みたいな。
あまりまとまっていませんが、こんな感じ終わります。(笑)