はいこんにちは、Johnでございます。
えっと、前の更新からはや二週間弱が過ぎてしまいました。
相変わらず忘れっぽいのとめんどくさがりは治さなくてはいけませんね。
さて、今日はやっちゃいけない話、禁忌とかタブーとか言われる話をします。
「歴史に"if"は存在しない。」という言葉はご存知でしょうか?
私も詳しい理由を覚えていないのですが、「もしも」はあってはいけないそうです。
例えば、こんなありえそうな、ありえなさそうな話です。
「十字軍が派遣されなかったら…」とか、「アメリカが独立していなかったら…」など。
歴史の各々の場面にあったであろう数多の可能性の話…とでもいいましょうか。
まぁ、そんなことをいちいち議論していたら時間がいくらあっても足りませんものね。
しかし、それは学問での話。人間一個人は多くの「もしも」を考えます。
それを「後悔」とよぶのか、「回顧」とよぶのか…それはその人によりけりでしょう。
たとえば学問、たとえば恋、たとえば進路。それはもう、数え切れないほどに。
具体的に、そうですね。「もしも高校の時にもっと勉強していたら…」というのはどうでしょう?
私が「高校に進学してから頑張って、今の地元の大学ではなく東大に進学していたら…?」
とでも考えてみましょうか。
私の母校では、十五人に一人は東大に進学しますから、不可能ではなかったはずです。
もっとも、そのためには勤勉にコツコツと学問に励まなくてはいけなかったわけですが…。
宿題すら満足に提出しなかった怠け者の私には夢のまた夢の話です。
少し話が脱線しましたが、とりあえず東大に進学するとしましょう。
とすると、安全圏内まで学力がついた時点で他の国立大学進学の可能性が消えます。
そして、合格発表で合格がわかった瞬間に予備校や私立大学に進む可能性も消えます。
数ある可能性、選択肢は別の一つと決まった際、それが持つ未来とともに消滅する…。
考えてもどうしようもないものなのですがね。
こういうことを考えたとき、高校の頃に先生が仰っていた言葉を思い出します。
「君たちはもう可能性に満ちてはいない。人は日々可能性を犠牲にしているだから。」
色々と文脈をすっ飛ばしているので誤解を生みかねないかもしれませんね。
とりあえず、言われた時は何を言っているのかよくわかっていませんでしたが、
「まだ時間がある。とのんきに構えていないで真剣に考えろ。後悔はしたくないだろう?」
っていう言葉なんじゃないかなぁ。と今は勝手に解釈しております。
私は今までにどれほどの可能性を犠牲にしてきたのでしょうか?
それとも可能性はあるように見えて元から無く、全てが最初から決まっていたのでしょうか?
それは私にも、もちろん誰にもわからないことなのではありますが…。
さて、次回はこのような一生の難題ではなく、もっと単純な話をしようと思いますよ。
とりあえず、三日内をめどに更新しようと思っておりますが、かなうでしょうかね…?
というわけでまた今度!