です。これはつまり、

 

・人は生まれながらに善隣の精神など持っていない(「性善説」の否定)

・だからといって、人は生まれながらに他者に対して闘争をふっかける気なども持ってはいない(「性悪説」、トマス・ホッブスの論の否定)

 

の両方が成立することを意味します。

 

多くの人は「性善説」や「性悪説」などを信じているから、逆にいらない憎しみも生まれるのです。無関心なのが普通なので、基本的に「表面上の付き合い」などは必要ありません。付き合いは魂が引き寄せあう「深い」間柄の人とだけすればいいのです。

それ以外の付き合いをしたところで、酒造メーカーとゴム屋が儲かるだけの話です。

 

ただし例外として、弱っている人間と困っている人間を放置したりしてはいけません。そんなのは人間としてクズ以下です。ただし、速やかに救った後は、また無関係に戻ります。(通常はね。すべて物事には例外があります。)必要以上の感謝は文字通り必要ありませんし、ましてや「恩を着せる」なんてゲスのすること以外の何物でもありません。

 

#1:この記事はクソ記事ですが、ある意味ではとても知的な実験記事でもあります。いずれにしても、私の本来のスタンスとは異なります。「裏スピリチュアル」とでもいうべきでしょうかね。しかし、私にだってこういう虚無感溢れる記事を書いてみたい時はあるのです。…っていうより、スタンス的にいつもは極力避けているだけのことです。

 

#2:裏を返せば、「だからこそ、魂で結びつきあってしまった間柄は親子関係などよりも大事にすべき」ということでもあります。知的好奇心で結びついた間柄の場合はって?そんな難しいことわかんないよ。