- 殺さないで―児童虐待という犯罪/毎日新聞児童虐待取材班
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まぁ、おかしな話(-_-メ
一人の大人が
酔っ払って裸になったのを
寄って集って大騒ぎし、
関係の無い者までが、アレコレ言っております。
「最低の人間」ですか?
発言を訂正して
反省すると言ってる顔が
薄ら笑みを浮かべているのは、
齢六十の振る舞いですか?
私は、
そんな事よりも、
もっと目を向けるべき事があると思う。
女の子がベランダに放り出され、
恐らく、
衰弱して死んだのであろう。
周囲の大人たちは、
気付いていても、「我、関知せず」か?
顔に痣があっても、
大人たちは、
何の行動も取らなかったのか?
秋田の次は、大阪。
次は、何所で起こる?
私たちの知らないところで、
似た様な事が起きてはいないのか?
あの母親と男たちは、
「過失致死」と
「死体遺棄」の罪だけ、問われるのか?
あのマンションの住人たちは、
明日も
何も変わらない生活を送れるのか?
女の子の実父は、
今、何を思っているんだろうか?
さて、
このブログ記事のタイトル、
普通の人なら、
「理解できない」になると思うが、
私は、「理解しない」と記した。
我が子を殺めた者が、生きている必要は無い。
如何なる理由があっても、
子を殺めて、己が生きている事を
私は、「許せない」。
もし、
私が、これから先、
この様な事件の『裁判員』の任を受けたなら、
裁判で、弁護人が
「被告は反省している」と述べたとしても、
私は、
「それは当然であり、
減刑への考慮には及ばない」と吐き捨てるだろう。
可能な限り、『極刑』を求めると思う。
我が子を殺めたなら、
己も、自らの手で命を絶て。
その覚悟が無いのなら、子を持つな。