ちょっとよろしいですかな?
はい?
八王子行きはここでいいのでしょうか
そうっすよ
ありがとう
…
…
なんすか?
…ああ、いえ、懐かしくてねぇ…いや、何でもありません、気になさらずに
はあ…
もし、つかぬことをお聞きして宜しいでしょうか?
へ?なんすか?
自分の未来に希望はありますか?
…なんすか?
いや、失敬、ただ、聞いてみたまでです
…まあ、一応は…
そうですか、それは何より…いや、失敬、気になさらないで下さい。ああ、電車が着たようですね。あなたはお乗りにならないのですか?
僕のは違う方です
そうですか、それではお先に。今後人生、いろいろありますが、どうにでもなりますから、諦めなずに、自分の道を歩いて下さい
は?はあ…
こうして、その背広姿のじいさんは電車に乗って行ってしまった。
数分後、別の電車が来て、それに乗りながら考えた。もしや、あれは未来からきた自分ではないのかと。
だとしたら、話のつじつまが合う。もし、あのじいさんが過去の自分に合うために現れたとしたら…
紳士だ…
体は衰えていたとしても、身のこなしから喋り方まで、人間としての尊厳を失っていない、まさにイギリス流のスピリッツを持った紳士である。
人間、どういった生き方をすればあのような年の取り方をすることができるのであろう。
いつまでも若くありたいとか、ちょいワルでいたいとかいう風潮も、ああいった古風な真の紳士には敵わない。
白髪に背広、杖をついてたりしてシルクハットを被った、モノポリーに出てくるようなおっさんが似合う欧米人に、ひけをとらない紳士っぽさ。
そんな紳士に憧れて頑張ってきた。
頑張った者はああいう年の取り方ができるもの信じ込んでいるからだ。
“紳士”というものになりたいものだ。
還暦を迎えたゼミの教授だったり、引退した後の野球の監督だったり、「24」のブキャナンだったり、まあ、かっこい年配になりたくて、今があるということだ。下品なおっさんにだきゃなりたくない。
しかし、今わかった。あの人は、自分だ。未来の自分はあの人だ、と。やはり間違ってなかった。僕の想像通りだったよ。とても素敵なおじ様でした。
ああ、ありがとう。未来にありがとう。何だか、ほっとしたら、電車に揺られて…眠たくなってきた…むにゃむゃ…
一方、先に出た違う方の電車では…
もしもし、わたしだよ、まゆみちゃん。今もう着くから待っててねー、ん…バッグ?ああ、何でも買ってあげるよ。声を聞いただけでもうおじさんビンビンだから、なんつってね、ガハハハハハ…失敬、失敬
